CATEGORY

ハレ・イプ・ククイ~ハワイの道シリーズ~

ビショップ博物館のドーセント(解説スタッフ)として長年の経験を持つDAVID氏による人気コラム『ハレ・イプ・ククイ』。毎回“ハワイの道”を通して、身近にありながら気付かずに見過ごしてきたハワイ文化と歴史を再発見できるストーリーが綴られています。

  • 2019.9.20

第25回【アオレレ・ストリート】空港の周りには雲を表す通りの名が

        ダニエル・K・イノウエ国際空港。ホノルル空港に上院議員の名が付けられたのは2017年4月。ヒッカム空軍基地と滑走路を共用しています。  アオレレ通りは、日本や隣島へ行くのに何気なく利用するホノルル空港にあります。ハワイアン航空が使用する第1ターミナルの山側、郵便局のビルの前からダイヤモンドヘッドの方向、ケイヒラグーンに向かって長く延びている通りです。  「アオ」はハワイ語で雲や陽の光、「レレ」は飛ぶことを意味しますので、「アオレレ」は貿易風に乗って流れてくる雲を表しています。ホノルル到着時に感じる、なんとも爽やかな気候を象徴するような名で […]

  • 2019.9.20

第24回【ヤング・ストリート】カメハメハ大王を支えた英国人

      ジョン・ヤングは1744年ランカシャー生まれの英国人。  ヤングの名を冠した通りが、ホノルル美術館前のトーマス・スクエアから、ハワイ日本文化センターの前のモイリイリ公園まで東西に走っています。ベレタニア通りとキング通りの間にあって、あまり目立たないかもしれませんが、この三つの通りの名は19世紀半ばにはすでに記録に残っています。  カメハメハがハワイ王国を創り上げる4年前、1791年3月。ある米国の貿易船がハワイ島コナの南、ケアラケクア湾に到着した際、1人の船員が上陸したまま行方不明になりました。その人物がヤングです。  ハワイ島全てを支配した後、他の島 […]

  • 2019.7.9

第23回【ワイリー・ストリート】ハワイ王国外務大臣 日本との関係も

    ロバート・C・ワイリーはスコットランド生まれ。ハワイ王国の外務大臣を務めた人です。  ホノルルのダウンタウンから日本国総領事館やマウナアラの王家の墓地の前を通り、山に向かって真っすぐ伸びるヌウアヌ通りがパリ・ハイウエイに接する交差点から、エヴァ(西)方向に向かう道が、ワイリー通り。マエマエ小学校がある道です。このワイリー通りがパリ・ハイウエイに接する東側、ヌウアヌ川沿いに彼の家があったことが知られています。  この通りの名になったワイリーはグラスゴー大学を卒業した医師で、船医になり南米やインドにも住み、1844年にカメハメハ3世の治めるハワイに来島。3世の良き助言者 […]

  • 2019.7.9

第22回【タンタラス・ドライブ】ハワイ王国と英国の絆

      英国のヴィクトリア女王の名を冠したのか、それともカメハメハ5世と4世の妹ヴィクトリア・カマーマル王女から名付けられたのか?  ヴィクトリア通りはサウス・キング通りのNBCホール横から山に向かい、トーマス・スクエアとホノルル美術館の東側を通る短い道です。しかしH1フリーウェイの山側にも同じ名の通りがありますので、高速道路が造られる以前はパンチボウルの丘に向かって、もう少し先まで延びていたのでしょう。  名の由来はさておき、この道はどうやら1850年頃には既にヴィクトリア・ストリートと呼ばれていたようです。19世紀半ばのハワイ王国はカメハメハ大王の息子、カ […]

  • 2019.7.9

第21回【ウルマイカ・ストリート 】ネイティヴハワイアンの遊び

    ウルマイカ通りはカハラの閑静な住宅街に在ります。カハラモールの西側を海に向かって延びるフナカイ・ストリートに面し、ワイアラエ・カントリークラブの東側から始まるファーマーズ・ロードの突き当たりにある小さな緑地「フナカイ・パーク」を囲む小道です。 この道の名になっている「ウル・マイカ」は、ネイティヴハワイアンの人達が昔から盛んに行っていた競技の一つです。丸く削り出した太めの円盤状の石を正確に遠くまで転がす競技で、石を転がすさまはボーリングに例えれば分かり易いかもしれません。 円盤の直径は5~10cm程度の手の平に乗る大きさ。溶岩や砂岩、珊瑚の石などが使われていて、形はア […]

  • 2019.4.26

第20回【タンタラス・ドライブ】公園の名はプウ・ウアラカア

    高層ビルの向うに広がる群青色の海と白い波、背後の緑の山々の色も春分を過ぎた太陽の下でより鮮やかに見えます。朝日があたるダイアモンドヘッドから、空港の沖合にせり出した滑走路の先に沈む夕日まで、オアフ島の南側を鳥瞰できるタンタラスの丘。この公園の入口から更に山の奥に上ったところから始まり延々と続く道がタンタラス・ドライブ。道の途中には稜線の両側が深く切れ、車が交差するのもやっとの細い場所もあります。 水平線まで見渡せる丘の上の公園の名はタンタラスではなく「プウ・ウアラカア州立公園」。ハワイ語の公園のを直訳すると「転がるスイートポテトの丘」。 タンタラスの山頂付近にはパン […]

  • 2019.4.26

第19回【スクール・ストリート】ロイヤルスクールへの道

      Sから始まる道の名を探してみると英語或いは人の名に基づくものがほとんどで、ハワイ語の道は見つからない。もともとハワイ語にはSの音が無いのです。 スクール ストリートはホノルルのダウンタウン、H1フリーウエイの山側、クイーンエマ通りとの角から北西にまっすぐカリヒ地区まで延びていて、この道と交差するカパーラマ通りにビショップ博物館が在ります。博物館は、1887年(明治20年)に開校したカメハメハ スクールの元の敷地内に建てられたので、カメハメハ校への道としてスクール通りと名付けられたのかと想像したのですが、どうやら答は「否」。 正解は、カメハメハ3世が王家 […]

  • 2019.4.26

第18回【リチャーズ・ストリート】ハワイ語の聖書を完成させた米国人

    ハワイ州庁舎とイオラニ宮殿の西側に沿って、ベレタニア通りからホノルル港に向かう一方通行の道がリチャーズ通り。カメハメハ3世により1850年に名付けられた、ハワイ王国の歴史の香りがする道です。アラモアナ ブルバードに接するところで終わりますが、19世紀にはクイーン通りまで海岸が迫っていました。 この道路に名を残すウイリアム リチャーズはマサチューセッツ生まれの牧師で、カメハメハ2世の時代、1823年に第2次宣教師団の一員として来島。マウイ島ラハイナを拠点としてキリスト教の布教と、自らも教鞭を執り教育に努めた人でした。教会を建て、ラハイナルナ校を設立し、ハワイアンの人々 […]

  • 2019.4.26

第17【クイーン・エマ・ストリート】カメハメハ4世の妃 エマ

      ハワイ州で一番背の高いビル、ファースト ハワイアン バンク本店の屋上に立てられたクリスマスを祝う大きな星の電飾も、1月になりそろそろ仕舞われる時期になりました。銀行のダイアモンドヘッド側に沿ってホノルル港から山に向かって伸びる一方通行の道、アラケア通りは、ベレタニア通りとの角、セント アンドリュース カテドラル教会の前から、クイーン エマ通りと名前を変えてH1フリーウエイの先まで続いています。 この通りに名を残すエマは、カメハメハ大王が8島を統一して王国を創り上げた時、腹心の部下の1人として行動を共にした英国ランカシャー生まれの船員、ジョン ヤングの孫 […]

  • 2018.12.28

第16回【パールハーバー ブルバード】真珠湾海軍基地内の主要道路

H1フリーウエイを西へ。ダニエル K. イノウエ国際空港の次の出口が、真珠湾海軍基地とヒッカム空軍基地への入口につながっています。現在はパールハーバー・ヒッカム ジョイント ベースとして海空軍の共同管理基地になっていますが、その海軍基地の中に在り、航空母艦やイージス艦、リムパック環太平洋合同演習などに参加する各国の艦船が停泊する埠頭に沿って伸びる直線の道が、パールハーバー  ブルバードです。 さて、アメリカ合衆国は真珠湾をいつ頃から使い始めたのでしょうか。話は、歴史は1887(明治20年)にまで遡ります。 ハワイ王国は19世紀半ばまで太平洋捕鯨の中継補給基地として栄えていましたが、ペンシルバニ […]

  • 2018.12.28

第15回【オーシャンビュードライブ】ダイアモンドヘッドの裏にもう1つ火口が

大海が鮮やかに見える道。その名のとおり、この道沿いの家からはオアフ島南東側の海がパノラマ画像のように見え、現在のようにコオラウ山脈の斜面に高級住宅地が続々と造成される以前、カイムキの丘の東斜面は、空気の澄んだ日にはラナイ島やマウイまでも見渡せる1等地だったのでしょう。オーシャン ビュー ドライブは、カピオラニ コミュニティー カレッジの裏手から、H1フリーウエイのココヘッド出口近くのパホア通りまで続く細い道です。 ダイアモンドヘッドからコオラウ山脈の稜線に向って、カイムキの丘が亀の甲羅のように続いています。ダイアモンドヘッドから北に向かって幾つか続く火口の1つから流れ出た溶岩でつくられた丘で、 […]

  • 2018.9.28

第14回【ヌウアヌ・パリ・ドライブ】ヌウアヌ・パリの峠近くに残る旧道

  貿易風がコオラウ山脈にぶつかり、吹き上げる様を体感出来るヌウアヌ パリ。展望台の下をトンネルで抜けるパリ ハイウエイが完成した後も、この峠近くのハイウエイ沿いに一部残されている旧道がヌウアヌ パリ ドライブです。 道は舗装されていますが、周囲は密林。水源を守るために水道局が管理している森に勝手に入ることは出来ないのですが、許可を得て、ハイウエイの東側の道に沿ってうっそうと茂る木々の間をしばらく歩くと、コアの大木の中に石組の壁だけが残る、廃墟となった建物の跡が見えてきます。1840年代にカメハメハ3世によって建てられた「カニアカプープー」と呼ばれる夏の離宮です。生育の早い植物に覆わ […]

  • 2018.9.6

第13回【マノア・ロード】ワイキキの山手、谷の奥まで続く道

ワイキキの裏手に広がるマノアの谷。ハワイ語では「マーノア」と少し伸ばして発音します。プナホウ校のあたりから、この谷の一番奥まで伸びる道がマノア ロードです。   1920年代後半、昭和の始めにアラワイ運河が造られるまで、ワイキキと地続きだった広大な谷、マノア。現在はハワイ大学や住宅地として発展していますが、この辺りは昔、ワイキキに向かってきれいな川が流れ込む、緑豊かなところとして絵画にも描かれています。コオラウ山脈から吹き降りる貿易風がもたらす雨が降り注ぎ、山の頂から流れ落ちる清水は滝を作り土地を潤し、タロイモ(ハワイ語でカロ)やパンノキ(ウル)、バナナ(マイア)、サツマイモの類(ウ […]

  • 2018.8.3

第12回【ルナリロ・ホーム・ロード】民を重んじた王 ルナリロ

  ハワイ王国第6代の王「ルナリロ」の名を冠した道が、ハワイカイに在ります。カハラから東へ、ココ マリーナ センターの先、ハナウマ湾に向かって上り坂になる手前で交差する通りで、この道路に面するカイザー高校の隣にルナリロ ホームと云う名のお年寄りのための施設があります。 1864年に改正されたハワイ王国憲法には、もし王が後継者を指名しなかった場合、王の血の流れている者の中から、王国議会での選挙で後継の王を選ぶ、との一項がありました。そして、カメハメハ5世が後継者を指名することなく亡くなったため、1873年(明治6年)1月、その条文に従い議会の選挙で選ばれた初の王が37歳のウイリアム チ […]

  • 2018.7.3

第11回【カワイアハオ・ストリート】オアフ島初のキリスト教布教の地

  イオラニ宮殿前。カメハメハ大王像を正面に見て、左側の信号の先に目を移すと、カワイアハオ教会が遠望できます。この教会の名を冠した小道が、キング通りに面する教会とミッション ハウス博物館の間から始まり、カピオラニ大通りとクイーン通りの間を平行に東へ、ワードセンターの山側、カマケエ通りまで続いています。 キリスト教の宣教師がハワイに初めて来島したのは1820年春のこと。ボストンから南アメリカ大陸の南端を廻り160日余りの長い航海の末、ハワイ島の北西部カワイハエに到着した一行は、カイルアコナに移動して他の1団を残し、ハイラム ビンガム師の一団はオアフ島のホノルルに上陸。ビンガム師が初めて […]

  • 2018.6.4

第10回【ジャッド・ストリート】カメハメハ3世の良き助言者

  幹線道路の名をノースとサウスに分けるホノルルの中心ヌウアヌ通りを、マウカ(山側)に向かい、日本国総領事館前を更に丘に上って行くと、オアフ墓地の手前でジャッド通りと交差します。1828年に第3次宣教師団の一員として夫妻で来島した医師、ゲリット ジャッドに因んだ通りの名です。 1803年、ニューヨーク州生まれのジャッドは、キリスト教の海外伝道に大志を抱き24歳で来島。伝道と医療、教育、そして王国の政治に深く携わりました。宣教師にとって、伝道のみでなく教育や西欧文化を説くために現地語を学習することは必要不可欠でしたので、ジャッドは婦人と共にハワイ到着前からハワイ語を学び、ホノルルでハワ […]

  • 2018.6.4

第9回【イヴィレイロード】パイナップル工場跡地を通る道

  ダウンタウンから川を渡ったエヴァ(西)側に在る道の名、イヴィレイ。直訳すれば「レイの骨」、レイを掛けたように見えるイヴィ=骨、ハワイ語で鎖骨を意味します。鎖骨から手を伸ばした中指の先まで、ネイティヴハワイアンの人達が長さを測る単位の1つでもありますが、何故この地区にこの名前が付けられたのかは分からないそうです。 ワイキキからホノルル空港や真珠湾方面に向かう、ザ バスの19番か20番に乗ると、この道を通ります。ホノルルに住む人達は、映画館やコスコ近くの道としてご存知でしょう。20世紀の後半まで、この辺りを通ると甘酸っぱいパイナップルの香りがしたものです。それもそのはず、イヴィレイ通 […]

  • 2018.4.6

第8回【ヘルモアロード】ワイキキ中心部の歴史ある地名を残す小道

  ハレクラニホテル正面に通じるルーワース通り。海に向かってホテルに突き当たる1つ手前、ワイキキパークホテルに通じる小道にヘルモアと云う名が付けられています。 ワイキキは、世界に名だたるリゾートに生まれ変わる前、山から3本の川が流れ込むタロ芋栽培にも適した湿地帯でした。その海沿い、買い物客で賑わうロイヤルハワイアンセンターや、ピンクのロイヤルハワイアンホテル、瀟洒なハレクラニホテルの立ち並ぶあたりはヘルモアと呼ばれ、かつては16世紀にオアフ島全体を支配していたアリイ(首長)カ-クヒエヴァが植えたと伝えられる椰子の木が1万本も林立する場所でした。ハワイ語で「ヘル」は「土などを引掻く」、 […]

  • 2018.3.26

第7回【グーリックアベニュー】カリヒ地区の住宅街を貫く道

  ABC順に道の名に因むハワイの歴史や文化を紹介していますが、Gから始まる道の名は思いのほか少ない。その中でグーリック通りは、フィリピン系の小さな旅行社を訪ねた時にカリヒ地区で見つけた道ですが、ホノルル在住者にも馴染みの薄い通りの1つでしょう。リケリケ ハイウエイに通じるカリヒ通りに平行して、その西側を、キング、スクールと云った幹線道路やルナリロ(H1)フリーウエイを串刺しにするように、カリヒの中心部をマウカ(山側)に向かって伸びています。   この通りに名を遺したのはチャールズ トーマス グーリック。米国から来島した宣教師の家庭に1841年に生まれ、プナホウ校の出身です […]

  • 2018.2.16

第6回【フォートストリート】ダウンタウンを貫く遊歩道

  「アロハタワー」。昨今、停泊する大型豪華客船に比べると小さくも見えますが、それでもホノルル港の象徴として、その姿と存在感を誇っています。建てられたのは1926年、大正15年のこと。 アロハタワーから市街地に向ってニミッツ・ハイウエイを越えると、北東へ真っ直ぐ、フォート通りという名の道が続きます。以前は車の走る通りでしたが、1968年に広い歩道に改修されました。 カメハメハ大王がハワイ王国を創り上げた18世紀終わりから19世紀始めにかけて、アロハタワーのあたりでは、海岸が現在のクイーン通りまで迫っていたようで、その港にロシア人が砦を建てようとしたものの大王はそれを拒み、その後ハワイ […]

  • 2018.2.2

第5回【エレパイオ・ストリート】ハワイの鳥・エレパイオが通りの名に

    ワイキキの雑踏を離れて、ダイアモンドヘッドの東側へ。静かな佇まいの住宅が並ぶカハラへ行くと、ハワイ語の鳥の名を付けた通りに出会います。 その1つがエレパイオ通り。エレパイオは体長15センチにも満たない虫を食べる小さな鳥で、オアフの他、カウアイとハワイ島にも生息していると聞いています。この他にも、プエオ(梟)や、ノイオ(アジサシの一種)、コロア(ハワイ マガモ)、イイヴィ(ミツスイの一種)の通りの名も。どれもハワイに棲む固有種の鳥です。 昔、ハワイの島々には花の蜜を吸う固有種の鳥が多く生息していました。蜜を吸うのに適した、湾曲した長めの嘴を持ち、鮮やかな赤や黄色、艶の […]

  • 2018.1.4

第4回【ドールストリート】ハワイ準州初代知事 サンフォード ドール

ハワイ大学マノア校に通じるドール通り。ルナリロ(H-1)フリーウエイの山側に沿って東西に伸びて います。1900年にハワイが米合衆国に併合され、準州(テリトリー)になった際、初代知事を務めた サンフォード バラード ドールの名を冠した通りです。 法律家であったサンフォード ドールは、1844年、ホノルル生まれ。父はメイン州から来島し、 後にプナホウ校の校長も務めた宣教師でした。 さて、米合衆国への併合を求める砂糖業界中心の親米派と、王権擁護派の対立が続くハワイ王国で、 1893年(明治26年)1月、リリウオカラニ女王は紛争を回避すべく退位を決断。その際、イオラニ 宮殿正面に建つ政府庁舎アリイオ […]

  • 2017.11.21

第3回【クレグホーン・ストリート】カイウラニ王女の父 クレグホーン

  いつも賑わっているワイキキの中でも、あまり知られていない通りですが、ハワイ王国時代の歴史がうかがえる道の1つです。 プリンセス・カイウラニ・ホテルの角から、カイウラニ通りをアラワイ運河に向って入っていくと、観光で訪れる人々の姿をめったに見かけない、コンドミニアムが立ち並ぶ静かな住宅地の中に、クレグホーンという名の細い通りに出会います。 ハワイ王国第7代目の王カラーカウアと、8代目の女王リリウオカラニの末の妹にあたるリケリケ王女の夫君、アーチボルド・スコット・クレグホーンにちなんだ通りです。と言うよりは、カイウラニ王女の父と言った方が分かりやすいかもしれません。 クレグホーンはエジ […]

  • 2017.10.10

第2回【ビショップ・ストリート】王国の政治、経済、教育へのビショップ氏の貢献

 まさに州経済の中枢。ハワイ有数の銀行の本店が立ち並ぶダウンタウンを、ベレタニア通りからホノルル港まで走るビショップ・ストリート。ハワイで初の銀行業を営んだビショップ氏の名を遺す通りです。  チャールズ・リード・ビショップは、ニューヨーク州ハドソン川上流、グレンズフォールズの生まれ。1846年、24歳の若さで来島し、カメハメハ大王の曾孫、バニース・パウアヒと29歳で結婚。1858年には、ビショップ&カンパニーという名のハワイで最初の銀行を立ち上げています。  ビショップの手腕は商業に留まらず、永年にわたりハワイ王国の政治にも力を注ぎ、王国の議員や内務、外務、財務の主要ポストも歴任。そして活躍の […]

  • 2017.10.5

第1回【アラワイ・ブルバード】ワイキキを一大観光地に変えた アラワイ運河

〜身近にありながら気付かずに見過ごしてきたハワイ文化と歴史の再発見〜 ワイキキの裏手を運河に沿って一直線に延びる道、アラワイ・ブルバード。運河の名がそのまま道の名としても使われたのでしょう。 アラワイ運河が完成したのは、1928年(昭和3年)のこと。 運河が造られる以前、ワイキキにはコオラウ山脈の3つの谷から川が流れ込んでいました。 ダイヤモンドヘッド(東)側にはパロロの谷から流れ出た川が、今のアラワイゴルフ場を突っ切ってカパフル通り近くで海に注いでおり、中央の川はマノアの滝からハワイ大学近くを流れる川で、インターナショナル・マーケットプレイスを通って海岸に流れ込んでいました。河口の海底の構造 […]