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第6回【フォートストリート】ダウンタウンを貫く遊歩道

 

「アロハタワー」。昨今、停泊する大型豪華客船に比べると小さくも見えますが、それでもホノルル港の象徴として、その姿と存在感を誇っています。建てられたのは1926年、大正15年のこと。

アロハタワーから市街地に向ってニミッツ・ハイウエイを越えると、北東へ真っ直ぐ、フォート通りという名の道が続きます。以前は車の走る通りでしたが、1968年に広い歩道に改修されました。

カメハメハ大王がハワイ王国を創り上げた18世紀終わりから19世紀始めにかけて、アロハタワーのあたりでは、海岸が現在のクイーン通りまで迫っていたようで、その港にロシア人が砦を建てようとしたものの大王はそれを拒み、その後ハワイ王国の手で改修して砦が築かれ、19世紀半ばまで使われていました。「砦=フォート」、19世紀前半の出来事が、今でも通りの名に残されています。

カメハメハ3世が治める王国の中期、19世紀の中頃のホノルル港は捕鯨船の越冬補給基地、米本土への鯨油販売の経由地として繁栄しており、フォート通りや、それに交差するクイーン、マーチャントといった通りはさぞかし賑わい、海の男が行き交う場所でもあったと思われます。

日本人として、この光景を目にした人達がいました。ジョン万次郎等5名です。土佐沖で強風に煽られ漂流して鳥島に流れ着いた後、マサチューセッツ州ニューベッドフォードの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されホノルル港に入港したのが1841年(天保12年)のことでした。1860年、中濱万次郎が咸臨丸で再度この地を訪れた時も、フォート通りの賑わいを楽しんだかもしれません。

その後ハワイは、王国、共和国時代を経て、1900年には米国の準州になりますが、その経済を支えていたのは砂糖産業。フォート通りとクイーン通りの角には、その時代を彷彿とさせる大きな建物が残っています。ハワイ五財閥の1つであったCブリューワー社が1930年に建てた石造りの建物で、現在はある非営利財団が使用しています。

さて、食堂や商店が軒を連ねる歩道は、ベレタニア通りに面するカトリック教会の前で終わりますが、フォート通りはさらに、曹洞宗ハワイ別院や日本国総領事館の方面に向かうヌウアヌ通りに平行して、車道として続き、パリ・ハイウエイに吸収されていきます。

以前はもっと先までフォート通りが続いていたようで、本派本願寺ハワイ別院のパリ・ハイウエイを挟んだ西側に在る本願寺系の日本語学校に、フォート学園の名が残されています。

 

(2018年2月1日掲載)

執筆 David

◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む

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