イオラニ宮殿前。カメハメハ大王像を正面に見て、左側の信号の先に目を移すと、カワイアハオ教会が遠望できます。この教会の名を冠した小道が、キング通りに面する教会とミッション ハウス博物館の間から始まり、カピオラニ大通りとクイーン通りの間を平行に東へ、ワードセンターの山側、カマケエ通りまで続いています。
キリスト教の宣教師がハワイに初めて来島したのは1820年春のこと。ボストンから南アメリカ大陸の南端を廻り160日余りの長い航海の末、ハワイ島の北西部カワイハエに到着した一行は、カイルアコナに移動して他の1団を残し、ハイラム ビンガム師の一団はオアフ島のホノルルに上陸。ビンガム師が初めて布教を始めた場所に現在建つのがカワイアハオ教会です。
ハワイアンの人達によって海中から切れ出されて運ばれた珊瑚の石で造られ、カメハメハ3世の時代、1842年に完成しています。ロイヤルスクールに学んだ王家の子女も通い、歴代の王の就任式やカメハメハ4世の結婚式にも使われた由緒ある教会です。
カワイアハオ通りを挟んでダイアモンドヘッド側(東側)に建つミッション ハウス博物館では当時の宣教師の暮らしぶりが見られます。家はニューイングランドで切り出され船で運ばれた木材で建てられていますが、元々マサチューセッツでの冬の寒さをしのぐ構造で、窓が小さく風通しが悪く、貿易風が爽やかなハワイには不向きな建物だったのではないでしょうか。当初宣教師が住んでいたのはキング通りの山側、ホノルル市郡庁舎「ホノルル ハレ」隣のミッションメモリアル講堂のあたりでしたが、その後、道を挟んだ現在の場所に移築されています。
この家で宣教師の婦人たちが食事の用意をする土間には、いつも地元の人達が物珍しそうに集まっていたとか。でも、初めて見る異国の文化に興味を抱いたのは、一般のハワイアンの人々ばかりではなかったようで、カメハメハ大王の妻の1人、カアフマヌもしばしばこの宣教師宅を訪れて西欧文化に親しみ、泊まっていたそうです。キリスト教が、当時のハワイ社会の頂点に立つ王家の人々に好意的に受け入れられ全島に浸透していく、まさにその始まりの地が、カワイアハオ通りとキング通りの角あたりでした。
ところで、これは全くの想像にすぎませんが、土佐沖で漂流し幸運にも鳥島に流れ着き、マサチューセッツ州ニューベッドフォードの捕鯨船ジョン ハウランド号に救出されたジョン万次郎らがホノルル港に上陸したのが1841年(天保12年)ですので、万次郎は完成間近のカワイアハオ教会を見ていたのかもしれません。
(2018年7月1日掲載)
◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む