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第4回【ドールストリート】ハワイ準州初代知事 サンフォード ドール


ハワイ大学マノア校に通じるドール通り。ルナリロ(H-1)フリーウエイの山側に沿って東西に伸びて
います。1900年にハワイが米合衆国に併合され、準州(テリトリー)になった際、初代知事を務めた
サンフォード バラード ドールの名を冠した通りです。

法律家であったサンフォード ドールは、1844年、ホノルル生まれ。父はメイン州から来島し、
後にプナホウ校の校長も務めた宣教師でした。

さて、米合衆国への併合を求める砂糖業界中心の親米派と、王権擁護派の対立が続くハワイ王国で、
1893年(明治26年)1月、リリウオカラニ女王は紛争を回避すべく退位を決断。その際、イオラニ
宮殿正面に建つ政府庁舎アリイオラニ ハレに暫定政府を樹立したのが、カラーカウア王の時代から
下院議員など王国の要職を勤めていたドールでした。しかし、第24代米国大統領、民主党のクリー
ブランドは、ハワイの併合ばかりか暫定政府をも支持しない姿勢を取り、親米派は、大統領は今後も
併合を承認することはなく、次の政権まで待たざるを得ないだろうと判断。米国への併合をしばし諦め、
ハワイ共和国樹立へと舵を切り、1894年7月4日、米国の独立記念日を選び、共和国誕生を宣言。
ドールがハワイ共和国大統領に選ばれました。

その年、米国とスペインの戦争が始まり、米国はキューバに出兵。フィリピンでも戦闘が始まり、
パリ条約によりフィリピン、プエルトリコ、グアムが米国に割譲されます。1897年に第25代
大統領になった共和党のマッキンリーはハワイ併合に意欲を燃やし、連邦議会も、アジア進出の補給
地としてハワイの有用性を見出し、米国はついにハワイ併合を承認するに至ります。
その結果、1898年8月にイオラニ宮殿で、共和国旗としても引き続き使われていたハワイ王国国旗が降ろされ、星条旗が掲揚され、ハワイの国としての存在に終わりを告げました。

その後、ハワイは1900年に正式に米合衆国の準州となり、サンフォード ドールが初代知事に就任。その後、ハワイが50番目の州になるまで、戦時を越えて59年の歳月が流れます。
蛇足ですが、後にパイナップルをハワイの一大産業に育てるジェームス ドールとサンフォードは、
親戚関係にありました。

 

 

 

(2017年12月1日掲載)

執筆 David

◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む

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