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私の転機〜ハワイで活躍する人たちに聞いた人生のターニングポイント

ハワイで活躍される企業・団体の代表者など、ハワイ社会を牽引する人たちに、人生の転機(ターニングポイント)を伺いました。ハワイが生きる場所となったきっかけを始め、ライフストーリーを辿りながら、現在に到るまでの人生の節目や当時の思いを紹介しています。

  • 2019.9.30

ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート 支配人(GM) 栗山智英

    ワイキキを象徴するピンクパレスと呼ばれる「ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート」。創立92周年を迎えた、このホテル初の日本人支配人、栗山智英さんに人生の転機について伺った。       東京生まれの私は、不動産業を営む父の仕事の関係で7歳でハワイに移住。日本語を忘れないようレインボー学園に通学しつつ、中・高校を卒業後は、ハワイパシフィック大学(HPU)で、インターナショナルビジネスを専攻しました。運命が変わったのは、卒業前にシェラトンワイキキでインターンシップとして働いたこと。当時の支配人がパワーポイントを上手に […]

  • 2019.9.20

Aska ゲートウェイ・エステーツ Inc. President & Co-CEO、Principal Broker 富田千賀子

    「ハワイを玄関口(ゲートウェイ)として、アメリカのさまざまな地域の不動産をご案内したい」という願いが込められた総合不動産会社『Aska ゲートウェイ・エステーツ』。富田千賀子代表に、人生の転機を伺った。 これまでの人生を振り返ると3回の転機がありました。最初は何と言っても、ハワイに移住したこと。全く興味のなかったハワイに初めて来たのは新婚旅行のとき。到着間際に機内でパイロットが発した言葉が「ウェルカム・トゥ・パラダイス」。ハワイ島に降り立ったときに聞こえた鳥のさえずり、目の前に広がる青い海に、本当にパラダイスだと心を奪われ、「ここに住みたい!」と思いました。  それ […]

  • 2019.9.20

Hibiscus Interactive, LLC. 代表  テッド斉原

    スマホ時代の需要に応え、デジタルツールを活用したマーケティングを行う『ハイビスカス』。ハワイで15年間、バイリンガルスキルを生かして日米の経営者をサポートし続けてきたテッド斉原代表に、人生の転機を伺った。   5歳のときにニューヨークへ移住し、刺激の多い環境下で育ちました。一番刺激的な出来事は高校入学後、初めてパソコンを手にしたとき。人生が決まった瞬間でした。あらゆる情報を瞬時に入手できる! と感動したのです。NYの新人アーティスト情報や最新音楽情報などを誰よりも早くキャッチしては、友達とシェアしていました。そのうちに自分がコンピューターグラフィックで作っ […]

  • 2019.9.20

Roy’s オーナーシェフ ハワイ・フード&ワイン・フェスティバル 創始者 ロイ山口

    ハワイで初めて「料理界のアカデミー賞」といわれるジェームズ・ビアード賞に輝いたシェフであり、『ハワイ・フード&ワイン・フェスティバル』創始者でもあるロイ山口さんに、人生の転機について伺った。       神奈川県の座間にある米軍基地で育ち、18歳まで日本に住んでいました。16歳のときに料理教室に参加したところ、女子14人に男子が2人と女の子がたくさん! そんなクラスで習う料理がものすごく楽しくて、将来シェフになろうと決意。高校卒業後、NYの名門料理学校「カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ」に入学しました。   もち […]

  • 2019.8.1

フィンカ・ビューティー・サロン 店長・スタイリスト坂本和也

    2015年のオープンから、今では1カ月先まで予約の取れない人気の美容室に成長した『フィンカ・ビューティー・サロン』。そのサロンを立ち上げたスタイリストの坂本和也さんに、人生の転機について伺った。     就職の第1、第2希望は音楽のレコーディング・スタッフか音響エンジニア。第3希望が美容師。高校3年生の進路相談のときの希望です。友達とバンドを組んでいたので、音楽関係の仕事に就きたかったのですが、同時に髪を染めたり、パーマかけたり、友達の髪の毛をカットをしたりと髪を触るのも好きでした。美容の専門学校を見学したら思った以上に楽しそうで、美容師になるこ […]

  • 2019.7.19

布哇大神宮 宮司 ハワイ日系人連合協会 会長 岡田章宏

    明治36年(1903年)に日系移民の心のよりどころとして創建された『布哇(ハワイ)大神宮』。日本の神、ジョージ・ワシントン米初代大統領、カメハメハ大王もまつられる神社の岡田章宏宮司に人生の転機を伺った。   三重県の伊勢神宮から800メートルという場所で生まれ育ちました。実家は祖父の代からお守りやお札を作っていました。そのまま神道を歩みそうですが、兄が家業を継ぐことが決まっていたので、私は大学で経済学を専攻。クラブはボート部。就職は第1志望の企業1社に絞り、そのまま一般企業へ就職するつもりでした。ところが就職面接の当日、電車の事故があり、間に合わなかったの […]

  • 2019.7.19

BRUG LLC President & CEO崔 美保

    2013年のハワイ上陸から6年。紆余曲折を経て、今年5月に5店舗目をカハラにオープンさせた北海道発の『ブルグ・ベーカリー』。その復活劇を繰り広げた仕掛け人、崔美保社長に人生の転機を伺った。     人生最初の転機は9歳のときです。24時間テレビで『ウィー・アー・ザ・ワールド』を歌うマイケル・ジャクソンを見て、世界には天才がいる! と思って以来、世界に目が向くようになりました。航空会社に就職し、各国をめぐり、世界の人と触れ合い、今度は外から日本を見つめました。8年後、コンサルティング関係の企業に転職。食品の海外展開を手掛けました。  2009年に上 […]

  • 2019.7.19

JALPAK International Hawaii,Inc. President & CEO 栗田甲一郎

    日本初の海外パッケージツアーブランド『ジャルパック』。今ではハイエンドツアーからリーズナブルなツアーまで、その選択肢を広げ、変遷を遂げてきた同社ハワイの社長、栗田甲一郎さんに人生の転機を伺った。       北海道北部の羽幌という町で生まれ、千葉のローカル線小湊鉄道が走る田舎町で育ちました。遠い存在であった海外へ興味を持ち、海外パッケージツアーを扱うジャルパックに就職しました。  東京本社に配属され、1年半はヨーロッパ方面のツアーコンダクターをしました。その後、大阪支店で予約やセールス、東京本社でハワイツアーの企画、経営管理部門へ。異動 […]

  • 2019.7.19

JTB Hawaii,Inc. President & CEO 北川 博幸

    社員数800名を超えるハワイの大企業、JTBハワイ。旅行ランドオペレーター、バス会社、ゴルフ手配会社、レンタカー会社を含む「旅の百貨店」と呼ばれる同社、社長の北川博幸さんに人生の転機を伺った。     宮本武蔵が湯治に訪れたという佐賀県の温泉街、武雄市で生まれ育ちました。大学時代はバンドをつくってライブハウスや大学の学園祭で演奏していました。この頃、バンドの先輩とNYCに行くチャンスがあったのですが、それが叶わず非常に残念な思いをしました。もともと外国の文化や歴史への関心が強く、仕事で頻繁に海外に行けるだろうということから旅行会社に就職。法人営業 […]

  • 2019.7.19

セントラル パシフィック ファイナンシャル コーポレーション 会長兼CEOポール与那嶺

    祖国アメリカのために戦った元日系2世兵士たちが「日系人のために」と設立した銀行、セントラル パシフィック バンク。その銀行のトップに就任した、日本生まれのポール与那嶺さんに人生の転機を伺った。       私の父ウォーリー与那嶺は、日本プロ野球界で戦後初の外国人選手として、東京読売巨人軍に入団したハワイの日系2世。後に外国人にもかかわらず、日本の野球殿堂入りを果たすなど輝かしい功績を残した父でしたが、現役時代はいつクビになるかわからないとハワイに戻ることを念頭に、子どもの教育はすべて英語でした。当時、父はアロハ航空の宣伝に出ていたので、 […]

  • 2019.7.19

Hawaiian Joy 社長  深山博史

    ハワイで1978年に創業し、日本人をはじめ多くの人に快適な住まいを提供し続けてきた不動産会社ハワイアンジョイ。20代で社長に就任し、11年目を迎える若きリーダー深山博史さんに人生の転機を伺った。   日本出身の父と母がハワイで出会い、結婚。1978年に母がハワイに不動産会社ハワイアンジョイを立ち上げ、父が社長となり、その2年後に私が生まれました。 幼少期からこのままハワイで進学し、就職するのだろうと思っていました。ところが高校入学のとき、母が慶應義塾ニューヨーク学院の情報を持って来たのです。ハワイを出るのは一つの挑戦。NYへ進学しました。初めての日本人だけ […]

  • 2019.7.19

the rice factory HONOLULU ゼネラル・マネージャー  川村祐輝

    米文化を持つここハワイで「日本のお米はやっぱりおいしい」と、住民に改めて認識させたライスファクトリー。昨年、ゼネラル・マネージャーとしてハワイに着任した川村祐輝さんに人生の転機を伺った。     北海道の函館で生まれ、大学まではずっと北海道。就職も周りのほとんどが道内という環境の下、私は日清製粉に入社しました。勤務先は神戸に。初めての一人暮らしで、北海道から神戸という、人も文化も言葉も違う未知の地域へ。最初はよそ者という疎外感を否めませんでしたが、すぐに神戸は人が優しく、皆で助け合って生活している街だと気付きました。震災があったからかもしれません […]

  • 2019.7.19

カピオラニ・コミュニティー・カレッジ 日本語学科教授 HATJ(ハワイ日本語教師会) 会長 片岡由紀夫 

    ハワイのカピオラニ・コミュニティー・カレッジの日本語学科の教授として教鞭を執る片岡由紀夫先生。HATJ(ハワイ日本語教師会)の会長としても、日本語教育の発展に尽くす片岡先生に人生の転機を伺った。     千葉県生まれで、両親は共に教員でした。そのせいか、大学では英文学を専攻しつつも、教員免許も取得。英語の教師だった父を訪ねて、アメリカ人の先生たちがよく我が家を訪れていたので、子どもの頃から英語には慣れ親しんでいました。兄や義理の姉も教師となり、千葉市で開催された研究授業では、義理の姉が実習者で、兄も教員として参加。父はその研究授業を監修する立場で […]

  • 2019.7.19

エンジェルズ・バイ・ザ・シー オーナー  ニーナ・タイ

    ビーチライフスタイルを意識したファッション・ブランド『エンジェルズ・バイ・ザ・シー』を成功に導いた若き起業家ニーナ・タイさん。ベトナムからの移民である彼女に成功への道のりと人生の転機を伺った。     私はフランス系ベトナム人としてベトナムで生まれました。16歳で「ミス・サウスベトナム」に選ばれたのがきっかけでモデルとなり、資生堂やエビアン、タイレノールなどのCMに出演しました。 人生1番の転機は、2005年に家族でハワイに移住したこと。母はベトナムで優秀な洋服のテイラー、叔母は刺繍のスペシャリスト、そして父はテキスタイルを仕事にしていたので、自 […]

  • 2019.7.19

ドクターズ・オブ・ワイキキ 共同創立パートナー/一般内科医  トニー・トリコフスキー

    「ウクレレ・ドクターT」として、子どもから大人まで約3000人の患者に親しまれてきたトニー・トリコフスキー医師。ニーズに応え『ドクターズ・オブ・ワイキキ』を開院させた医師としての人生の転機を伺った。   私の両親は、旧ユーゴスラビア(現マケドニア共和国)出身です。政情が不安定だった1960年代にそれぞれがアメリカに渡り、シカゴで出会いました。ですから私は生まれも育ちもアメリカです。 19歳のとき、両親とともに独立を果たしたマケドニア共和国へ引っ越しました。そこでメディカルスクールに奨学生として入学しました。両親の家系はビレッジドクターで、ハワイで言えば〝カ […]

  • 2019.7.19

ハワイ日米協会 会長 チェイニー ブルックス&カンパニー 社長 アロハビールカンパニー オーナー  スティーブ・ソンブレロ

    今年、ハワイ日米協会の会長に就任し、ハワイと日本の架け橋としての大役を務めるスティーブ・ソンブレロさん。ビール好きが高じて創設した「アロハビールカンパニー」のオーナーでもある彼に人生の転機を伺った。     私の父は沖縄県の嘉手納基地に勤務していました。その父が最近、連邦政府からメダルを戴きました。授与式では、「Love Your Enemy 2度と戦争がないように」とスピーチ。太平洋戦争で日本軍と戦った父が、敵国の日本人の母と結婚したことをユーモアを交え、平和の大切さを訴えたのでした。私はそんな両親の元に4人兄姉の末っ子として誕生。畑に囲まれた […]

  • 2019.7.19

ハウスマート (ダイソー/ベン・フランクリン・ クラフト/エース・ハードウェア)共同オーナー  ウェイン・カミタキ

    低価格で高品質、豊富な品ぞろえを誇り、日本国内に3300店舗を有するダイソーがハワイ初上陸。待望の出店と1ドル50セントの価格を実現させたハウスマートのウェイン・カミタキさんに転機を伺った。     私たち家族の商売は、広島から来た祖母がマウイ島カフルイに小さな店を開いたことが始まりでした。子どもたちにその店を残すためだったそうです。「子どものために」という日本語は、自分を犠牲にしても次の世代を想う日本の文化だと思います。それを見て育った父は、母の店を手伝った後1951年にベン・フランクリンを開店しました。 父は忙しくていつも家にいなかったので、 […]

  • 2019.7.19

ドクターズ・オブ・ワイキキ 共同創立パートナー/一般内科医  アラン・ウー

    「ハワイの深刻な医師不足をなんとかしたい」と、一念発起。シェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテル内に『ドクターズ・オブ・ワイキキ』を開院させたドクター、アラン・ウーさんに人生の転機を伺った。     台湾で生まれ、9歳のときに家族でハワイに移住してきました。育ったのはパールシティーです。 ずっと医師になりたいと思っていたのですが、医学部はあまりにも高額。働いて貯金して医学部に入学し、なんとか学費を納めていました。あるとき米軍から医学生として全額奨学金を受けないかと声が掛かったのです。当時、その枠は全米でたった200人。すべての試験と身体検査など […]

  • 2019.7.19

ワタベウェディング ハワイ支社 ゼネラルマネージャー  吉田 勝彦

    美しい自然に包まれたチャペルでの挙式を叶えるリゾート婚を提唱して40年の実績を誇り、今や〝リゾ婚〟という言葉を浸透させたワタベウェディング。GMとしてハワイに着任した吉田勝彦さんに転機を伺った。     大学を卒業後、外資系アパレル企業に就職し、店長として約80名のアルバイトスタッフと働いていました。あるとき、軽い気持ちで転職サイトに登録。ホテルとベンチャー企業の合弁事業(ブライダルコンサル)に興味を持ち、転職しました。 入社数年後の2005年、一つ目の転機が訪れました。 合弁事業が終了となり、社長から「ホテルに残るか俺のところで働くか?」と尋ね […]

  • 2019.7.19

ホアカレイ・カントリー・クラブ マネージャー  宇野 昌三

    開発が進むエバビーチにあり、圧倒的な開放感とウォーターハザード(池)が美しいコースを有する『ホアカレイ・カントリー・クラブ』。新たな企画も進行中の同クラブの宇野昌三さんに人生の転機を伺った。     私の人生は小学校1年生で始めたボーイスカウトに大きく影響を受けました。高校2年生のとき、アメリカのニューメキシコ州のフィルモント・トレーニングセンターという施設へ行き、全世界から集まった隊員たちと、20日間山の中で訓練をしたのです。クマやヘビから身を守り、救急法を学び、食事はNASAなどで採用されているドライフード。どれも想像を超える体験で、地元の奈 […]

  • 2019.7.19

エコタウン ハワイ COO エコタウン セレクト 代表  関戸 弘史

    『ブックオフ』がハワイに初上陸したとき、日本語の本が安く読めると小躍りした在住者も多かったはずだ。ハワイに『ブックオフ』を持ち込み、今『エコタウン』を展開する関戸弘史さんに人生の転機を伺った。     大学時代にウィンドサーフィンにのめり込み、大学卒業後はウィンドサーフィンの店に就職。すぐに、グアム支店のマネージャーとして抜擢され、グアムに赴任しました。高校時代から憧れていた海外暮らしが実現し、大好きなウィンドサーフィンが仕事で、充実した時期でした。 しかし、グアムに住むうちに、ウィンドサーフィンのメッカ、ハワイのマウイ島への思いが強くなり、グリ […]

  • 2019.7.19

パイオニア・サルーン 代表・皿洗い  坂本憲彦

    モンサラット通りのプレートランチ店として人気を博している『パイオニア・サルーン』。並びには『アース・カフェ』、さらにカカアコ店もオープンさせた、料理人であり、経営者の坂本憲彦さんに人生の転機を伺った。       バブル絶頂期、遊び回っていた私は、20歳のとき、亡き父の親友から叱責を受け、彼の紹介で建材会社に入社しました。すぐに営業成績が上位になったのですが、上司の家に遊びに行き、決して裕福ではない生活を見て、「出世より、社長になるしかない」と生意気にも思ったんです。 人脈とお金を作るため、日中は会社勤務、夜は赤坂の高級ナイトクラブの専 […]

  • 2019.7.19

Hakubundo, Inc(博文堂) Director大橋明彦

    1910年にハワイに住む日系人のための日本雑貨店として店を構えて以来、地元に愛され続けてきた博文堂。その歴史を継ぎ、ピンチや変化に向き合い、新展開を仕掛けてきた大橋明彦さんに人生の転機を伺った。       高校生のとき、人生で忘れられない経験をしました。修学旅行でカリフォルニアに行ったのです。初めての海外旅行。地元の福島では外国人を見る機会もなかったので、初めてアメリカの人、街、文化に触れ、驚きの連続でした。視野が広がり、アメリカに興味を持つようになりました。 大学時代、両親の心配をよそに奨学金を得て1年間オレゴン州に留学。日本人の留 […]

  • 2019.7.19

HUNDRED DREAMS, INC. President CEO 内田 直

    「インターネットを通じてハワイの経済を元気にする」を会社のビジョンに掲げ、インターネットビジネスの伝道師としてハワイで活躍する内田直さん。人生の転機や今後の展望について伺った。     家庭の方針で、全寮制の高校に入学。道徳科学を重視した学校で、寮生活は非常に厳格でした。6人部屋で先輩たちと共に生活し、掃除に始まり、朝食の準備まで上下関係の厳しい生活。ここで、目上の人への礼儀や規律を守ることの重要性を習得しました。 英語が好きで、早稻田大学教育学部英語英文学科に入学。4年のときにはアラバマ州に1年留学して、英語力に磨きをかけました。いつか海外で起 […]

  • 2019.7.19

リボンプロダクションズ 社長  宮原 まゆみ

    ハワイを代表する、グローバル人材育成教育のプロであり、長年に渡り日本とハワイにおける、教育研修や異文化交流事業を支えてきた宮原まゆみさんに、人生の転機について伺った。     小・中学校合わせて6回の転校を経験しました。特に小学校2年生のときは、都会から鹿児島の小さな島に転校し、方言が分からず、いじめられることもあり、不登校児になってしまいました。島になじめず、ずっと海を眺め、学校に登校するふりをしては滝壺に隠れ、見当たらない私を近所の人が探しに来ることもありました。ところが、次に転校した指宿市で素晴らしい先生との出会いがありました。人になじめず […]

  • 2019.7.19

全日本空輸株式会社 ホノルル支店 空港所所長  野口博史

    世界最大の2階建て旅客機A380を2019年春に成田〜ホノルル間に導入する全日空。その運航に向け、スパートを掛ける全日空のホノルル支店空港所、所長の野口博史さんに人生の転機を伺った。       初めて飛行機に乗ったのは生後6カ月のときでした。父の転勤でイタリアへ行き、小学一年生で帰国。1年も経たないうちにヒューストンへ。中学3年生になり、このままアメリカで進学するか、一人で日本へ帰るかという人生の岐路に立たされました。日本で高校と大学に通いたいという気持ちを貫くため、帰国を決断しました。 家族と離れて京都の高校へ入学。寮生活が始まりま […]

  • 2019.7.19

ハワイ日系人連合協会 会長 重村フェイ

    この6月に『ハワイ日系人連合協会』会長に就任した重村フェイさん。日系3世として日本に興味を持つようになったきっかけ、ボランティアや日系コミュニティーで活躍するようになった人生の転機を伺った。     私はホノルルの東本願寺というお寺で育ちました。私たちは大家族で、祖父母と両親、叔父叔母と子どもたちの総勢10人。戦時中、収容所に入れられるのを恐れて、誰もお寺に住みたがらなかったため、祖父が管理人として家族を連れて引っ越してきたのです。 子どもの頃の私は踊りが大好きで、毎年盆踊りへ行くのが楽しみで仕方ありませんでした。11歳のとき、お寺で日本舞踊教室 […]

  • 2019.7.19

ワイキキ横丁CEO Real Select Internationalオーナーフランク・クラーク

    活気あふれる日本食店が軒を連ねる〝横丁〟をハワイで再現した『ワイキキ横丁』。誰もが気軽に立ち寄れる場を作り、日本が誇る横丁文化を世界に発信しているフランク・クラークさんに人生の転機を伺った。     ボストンで生まれ、軍に勤務していた父の異動で、ドイツ、韓国、日本に住みました。 日本で父と一緒にゴルフを始めたのが13歳。夢中になり、軍基地内の練習場で毎日一人で練習していました。ところが15歳のとき、父が病に伏し、急遽ボストンに帰国。翌年、父は53歳で他界しました。 アメリカでもゴルフを続け、17歳で州の大会などで何度か優勝。プロゴルファーを目指し […]

  • 2019.7.19

AQUA ASTON Hospitality アジア地区セールス・マーケティング本部長  有田 亜佐美

    4人の子どもを育てながら、女性としてキャリアの階段を一段一段登ってきた有田亜佐美さん。アクア・アストン・ホスピタリティーのアジア地区セールス・マーケティング本部長である彼女に人生の転機を伺った。     私の青春時代は映画『グリース』などが人気のあった時代で、高校卒業後は憧れのアメリカに留学しました。留学先のノースキャロライナ州は、ほとんどが白人で、「お父さんはサムライか」と聞かれるような場所でした。 1年が過ぎた頃、父が急性の癌で死去。傷心で帰国したものの、初志貫徹を目指し留学先をアトランタに変更し短大を卒業。ホテルで働くことに興味のあった私は、その後、 […]

  • 2019.7.19

ユニクロ・ハワイ COO 棚橋右弥

    日本発の上質なアパレルメーカーとして知られる『ユニクロ』。今秋のハワイ初上陸を前に、ポップアップストアをアラモアナセンターに開店した。そんなユニクロ・ハワイのCOO棚橋右弥さんに転機を伺った。     小学2年生から5年生まで家族でニューヨークで暮らしていました。このとき、日本とアメリカの考え方の違いを感じたのを覚えています。日本では皆同じが良いとされていますが、アメリカは個々が違うことが大前提。しっかり主張する、そんな文化にも慣れ親しんだ頃に帰国しました。 帰国後、帽子を斜めにかぶり、太めのジーンズを履いている自分は「完全に浮いている!」と気付 […]