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年末年始の増便や成田・ハワイ島コナ線の運航など、ハワイ路線をコロナ禍後の国際線において重要な路線と位置付けている『JAL』。そのホノルル支店へ昨年4月に着任した山縣信寛空港所長に転機を伺った。

 

大学卒業後、JALに総合職客室系として入社しました。羽田空港での勤務を2年間経験した後、8年間客室乗務員として国内線と国際線を乗務しました。この間、日本人に限らず世界のお客様と接する業務を担当しました。社会人としてのスタートから航空会社の最前線でお客様サービスに携われたことは、とても貴重で重要な経験だったと思っています。

 2007年に福岡空港へ転勤し、入社17年目にして初めて本格的に空港業務に携わることになりました。このとき同時に管理職という立場になりました。それまでとはまったく違った業務を、新たな地域で進めていくことは、一つの転換期でした。まずは社内外で一から信頼を築いていく必要がある中で思ったのは、環境は違っても人間関係の構築は同じということ。「一番汗をかかなくてはいけないのは自分である」を肝に銘じて、コミュニケーションを大切にしながら、良いチームを作っていきました。

 その後まもなくして、会社が経営破綻しました。2010年のことです。

寛大なご理解を得て苦しい時期を乗り越えられた

 当然、戸惑いもありましたが「残ったメンバーで頑張ろう」と覚悟を決めました。その後、経営再建のために就任した稲盛和夫会長により、会社の体制が変わっていくのを目の当たりにしました。「安全」は変わらず大切な使命でしたが、実現し続けるためには「利益」を上げて安全への投資を継続することが大切であると学び、皆がベクトルを合わせ、安全と経営を両輪として働くようになりました。

 部門別採算制度が徹底され、各部門ごとに細かく数字を見るようになった中、2011年に調達本部へ異動となりました。職務の一つは、空港で使用する物品などを購入すること。市場価格で買うことが大前提でした。経営破綻直後ということもあり、交渉は厳しいもので、きついお言葉を受けることも多々ありました。一方で、再生するまで4〜5年は待っていただきたいという我々の意思をご理解いただける取引先もありました。この苦しかった時期に、私たちを信じ理解していただいた方たちへの感謝は忘れることはできません。

 私自身も、早期に会社再生を果たしたいと思う一心で、日々奔走していました。ちょうど40歳を超えたこのとき、会社にとっての転機は、自分の人生の転機にもなりました。

お客様を笑顔にして、ハワイを元気にするお手伝いを

 ホノルル空港に着任したのは昨年4月です。入社31年目にして初の海外勤務。海外に暮らす経験も初めてのことでした。今も家族全員で戸惑うことばかりですが、ハワイは気候が素晴らしく、人も優しいところだと実感しています。

 そんなハワイに来られたお客様の笑顔を、空港で毎日見られることは何よりもの喜びです。改めて、飛行機の近くに身をおきながらお客様の幸せな表情を見届けられる現場が好きだと感じています。今後、さらに多くの方々がハワイを訪れ満喫していただき、同時にハワイも盛り上がっていくという好循環の一助ができればと思っています

調達本部で、飛行機のコンテナ購入のためノルウェーに出張。厳しい交渉を終えて一息


やまがた・のぶひろ◎1968年生まれ。神奈川県横浜市出身。1991年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、JAL入社。羽田空港での勤務を経て、1993年から国内・国際線の客室乗務員、1999年にJALウェイズ、関西空港で3年間勤務後、2007年に福岡空港、2011年調達本部、2016年成田空港、2018年宮崎空港勤務を経て、2022年4月にホノルルに着任。コナ空港所長も兼務。

※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2023年1月号掲載の記事です。

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