スマホ時代の需要に応え、デジタルツールを活用したマーケティングを行う『ハイビスカス』。ハワイで15年間、バイリンガルスキルを生かして日米の経営者をサポートし続けてきたテッド斉原代表に、人生の転機を伺った。
5歳のときにニューヨークへ移住し、刺激の多い環境下で育ちました。一番刺激的な出来事は高校入学後、初めてパソコンを手にしたとき。人生が決まった瞬間でした。あらゆる情報を瞬時に入手できる! と感動したのです。NYの新人アーティスト情報や最新音楽情報などを誰よりも早くキャッチしては、友達とシェアしていました。そのうちに自分がコンピューターグラフィックで作った画像や友達の作品をサイトに上げたり、音楽のダウンロードサイトを作ったりして、いかに検索に当てアクセス数を上げるかを工夫するようになりました。高校生ですから単に人気者になりたかったのです(笑)。
大学時代、レコード店で「CDをウェブで売れないか」と話しているのを聞き、「次はデジタルを売る時代が来る」と感じ、ビジネスを始めました。あちこちに営業をかけ、NBAチームのニューヨーク・ニックスや、HBOなど大手ケーブルテレビ局のデジタル広告の提案と制作、コンサルティングをしました。
卒業後も5年間この仕事に没頭し、30歳を目前に考えたのは、今後の人生でした。自分がやっていくのはこのビジネスしかない。でも何かを変えるなら今だと。キーワードは〝バイリンガル〟でした。英語と日本語という需要で市場を調べた結果、ハワイという場所が浮かんだのです。
真髄に気付いたハワイで日米の地元ビジネスを応援
2005年、NYからホノルルへの片道切符、スーツケース一つ、半年分の生活費だけを持ってハワイに来ました。カラカウア通りのレストランを1軒ずつ営業して回りました。日本企業ならアメリカ市場へ、アメリカ企業なら日本人市場へマーケットを広げることを提案し、「売上を2倍に!」をキャッチコピーに、ひたすら営業しました。
英語が話せるアジア人である自分は、ハワイですぐに受け入れてもらえると思っていたのですが、それは大誤算。言葉も感覚もタイミングも、営業の仕方も、ハワイでは全く通用しませんでした。なぜだろうと考え続け、ようやく気付いた3年後、「今からスタートだ」とビジネスを仕切り直しました。私たちの会社名は『ハイビスカス』。ハワイ州の花=おはな=ハワイ語では家族を意味します。ビジネススタイルを完全にローカル化し、開発やアプリなどという言葉を並べる前に、しっかりコミュニケーションをとる。そして集客のためにはどうすれば良いかを提案しながら、信頼関係を築き上げる。リレーションシップとパートナーシップが大切。ハワイで学んだことです。
約20年間住んでいた本土ではいつもマイノリティーでしたが、ハワイは初めて自分がメジャーな人種だと思わせてくれた場所。その上でビジネスをするにも最適な所です。そんなハワイで、これからも日本人と英語圏の経営者によるローカルビジネスを応援していきたいと思います。
日々進化するデジタルの世界。将来AIが人の仕事を奪うという予想もありますが、仕事の種類が変わり、その職種は増えると感じています。6歳の娘には、パソコンに触れる機会を増やし、将来の選択肢を広げてあげたいですね。
Ted Saihara
◎1976年埼玉県生まれ。5歳で家族で渡米しニューヨークへ。10歳で東京、13歳で再びNYへ。ニューヨーク大学コンピューターサイエンスを専攻し、2000年に卒業。学生時代から始めた、コンサルティング、マーケティング、デザインなどのコンピュータービジネスを継続。2005年、ハワイへ移住。『Hibiscus interactive』を創業。現在に至る。
(2019年9月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年9月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。