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ハワイで45年近くコーディネーターとして、日本からの撮影やイベント、米本土のコンサートなどを請け負ってきたジョン・T・ヒサモト氏。長年情熱を注ぐことになる天職に出会うまでの経緯と転機を伺った。

私は東京で生まれ、父がハワイ出身の日系2世で、中学1年生のときに家族でハワイへ移住しました。全てが新鮮で楽しい学生生活でした。

 大学に通学していたのは1970年代。JALのジャンボ機がハワイに初就航し、日本人観光客が増えた時代です。それを受け、旅行会社ではバイリンガルが必要となりアルバイトを始めました。各大手旅行会社のお客さんなどをサポートしました。

 あるとき、帰国した友人を通して、タレントのプロモーションビデオのハワイ撮影を手伝う依頼がありました。小柳ルミ子さんだったのですが、通訳していた自分も出演することになるなどハプニングもありながらも、小学生時代は映画クラブだった自分にとって興味深い仕事でした。

コーディネーターとして覚悟を決め、突っ走る

 1970年代半ばに、ハワイの元祖コーディネーターのもとで働き始めました。最初の仕事が、浅丘ルリ子さん主演の映画でした。初日にポンと台本を渡され、何をすればよいのかわからないところからのスタートでした。現地スタッフ用に英訳し、撮影現場では監督の横で通訳をしました。ところが英語のセリフでは「カット」のタイミングもわからないので、私がカットからダメ出しまで行うことに。編集作業も手伝い、結局映画のほぼ全てに関わりました。

 まもなくして独立したのですが、仕事が少なく、義理の弟が経営する旅行会社のサポートもしていました。本業を優先させると言いながらも、仕事が一つ入っては、次の依頼がいつ来るのかもわからず、辞めることを考え始めました。

 そんな中、転機となる再会がありました。カウアイ島で行われた知人の結婚式で、偶然にも浅丘ルリ子さんの映画のプロデューサーに再会したのです。「実は辞めようか迷っている」と伝えたところ、「やる気があるならこれから仕事を振りたい」と言われ、覚悟を決めました。

 以降、アサヒビールの青木功さんとジャンボ尾崎さんのCMや、JALのキャンペーンは30数年間担当させてもらいました。日本テレビ開局記念ドラマでは脚本家の倉本聰さんから学ばせていただき、三船プロとの仕事以来、三船敏郎さんと親しくさせていただき、カウアイ島で開催されたハワイフィルムフェスティバルに三船さんを呼べたことも嬉しいことでした。ハワイでの人脈も広がり、重要な仕事の一つである許可申請や調整範囲も広がっていきました。

これまでも、これからも「できません」は言わない

約45年間この仕事を続けてこられたのは運と縁に恵まれたからだと思います。せっかくの依頼に「できません」と言わないことにしています。大切なのは「なんとかなる」と考え、常にバックアッププランを用意しておくこと。そして責任を持って最後までやり尽すことです。

 ピンチといえば、今かもしれません。2年続いたパンデミック。リモート撮影で要望に応えられる体制を整えているところです。その先の構想は、具体的にはまだ言えませんが、夢はワイキキに全てを備えた施設をつくること。好きな仕事ですから、一生リタイヤはしたくありません。

NHKの番組で、タレントの長澤まさみさんとハワイ島ロケに行ったときの1枚

ジョン T. ヒサモト

John T. Hisamoto◎東京出身。中学1年生のときにハワイ移住。マッキンリー高校卒業後、カピオラニコミュニティーカレッジ入学。大学時代に空港内に開業した『ビジターズ・オブ・ハワイ』でアルバイトをする。日本からのビデオ撮影を手伝い、CMや映画などの撮影を経て独立。映画、ドラマ撮影、ハワイフィルムフェスティバル、イベント、コンサートのコーディネーターとして活動。

※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2022年4月1日号掲載の記事です。

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