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私の転機〜ハワイで活躍する人たちに聞いた人生のターニングポイント

  • 2019.7.19

Ikoi no Ba(憩いの場) 代表  メルビン・イナツカ

    日本語でおしゃべりをして、日本食を食べて、リラックスして自分らしく過ごすことができるアダルトデイケア『憩いの場』。ホテルマンから転身したメルビン・イナツカ代表に人生の転機を伺った。     ハワイ出身の父が軍の仕事で東京に駐在していたため、生まれも育ちも東京です。高校まで米軍の学校に通っていました。学校では英語でしたが、母は日本人なので最初に覚えたのは日本語です。高校卒業後、ハワイに引っ越し、ハワイ大学へ進学しました。 卒業後はJALパックを経て、ホテル業界で20年以上働きました。担当は主に日本やアジア向けの営業でした。JALパックという、ホテル […]

  • 2019.7.19

ホノルル補習授業校 レインボー学園 政府派遣校長  稲田 和良

    日本人補習校として、ハワイで44年の歴史をもつレインボー学園。生徒数は600名を超え、ハワイにおける日本語教育発展の一翼を担ってきた。そんな学園に今年4月に着任した稲田和良校長に転機を伺った。     北海道生まれの私は、高校生のときには、海外で働きたいという夢を持っていました。小さい頃にYMCAに通っていたことやテレビ番組の影響もあったのでしょうか、海外への憧れが強かったのです。外交官、商社マン、航海士等が海外で活躍できると考えましたが、同時に教師という仕事にも興味を覚え、千葉大学教育学部に進学しました。 卒業後は、千葉県内で小学校の教員となり […]

  • 2019.7.19

日本航空株式会社 ハワイ支店長  黒田 浩

    昨年より、ハワイアン航空とコードシェア、マイレージ提携等ハワイへの利便性向上に努めている日本航空。成田−コナ(ハワイ島)の直行便も順調な同社ハワイ支店に赴任した黒田浩支店長に人生の転機を伺った。     大学時代はバブルの絶頂時期。自然と世界に目が向き、注目したのが航空業界でした。当時の日本航空(JAL)は、航空事業だけでなく、手広くホテルなどの関連事業も展開していた頃。世界的視野で働ける上、社名に「日本」と付いているのも気に入りJALに入社。最初の配属先は大阪の伊丹空港でした。初めての関西勤務に、緊張して初日を迎えたことを覚えています。 関西で […]

  • 2019.7.19

Island Snow オーナー  ジェームス・コダマ

    店内にアパレルとシェイブアイス店が並ぶカイルアの『Island Snow』。そのシェイブアイスはオバマ前大統領もお気に入りだ。先月にはワイキキに新展開を遂げたばかりのジェームス・コダマ社長に転機を伺った。     母が日本人なので東京で生まれ、2歳のときにハワイへ来てカイルアで育ちました。 大学卒業後は、サーフブランド『ローカルモーション』に勤務。趣味がカヌーなので海関連のアイテムを扱う仕事が身近だったのです。 働くうちに、洋服とシェイブアイスを一緒に売ったらどうかなどのアイデアを試したくなり、1979年に会社アイランドスノーを立ち上げました。2 […]

  • 2019.7.19

サーフガレージ オーナー  山口 亨

    地元サーファーと日本からの観光客が通い詰めるサーフショップ『サーフガレージ』。開店以来16年間、日本とハワイのサーファーたちをつなぎ、ハワイの海を守ってきた、オーナーの山口亨さんに転機を伺った。     海外に興味を持ったのは3歳頃です。進駐軍で通訳をしていた祖父と海外番組を見ていて、そこに映るアメリカが、子ども心にも印象的でした。 海外志向と、スキーを本格的にしていたことから、大学卒業後は商社でスキー関係の輸入の仕事に就きました。でも会社の中で自分は歯車の一つ。もどかしかったですね。週末はサーフィン三昧だった私は、上司の誘いを断るうち、仕事がし […]

  • 2019.7.19

アロハ・ウエディング・ガウン・クリーナース 社長  西川明宏

    海外挙式の中でも不動の一位を誇るハワイ。輝く日差しの中でカップルがまとう真っ白なウエディング衣装をクリーニグする影の立役者、アロハ・ウエディング・ガウン・クリーナースの西川明宏社長に転機を伺った。     小学生のときにスキーを始め、大学はスキー部に所属。準指導員の資格を取得し、就職は迷わずスキーメーカーを受けました。ところが全滅。慌てて2次募集に応募し、たまたま受かったところが、クリーニング業界大手の白洋舎でした。 就職試験で英語の点数が良かったらしく、面接の際に「海外に行く気持ちはあるか」と聞かれ、思わず「はい」と答えたら、ハワイ勤務要員とし […]

  • 2019.7.19

ユニバーサル・コンストラクション 社長  朝比奈ディーン功

    連協や明治会、県人会など日系コミュニティー活動を精力的に行ってきたディーン朝比奈さん。小児科医を目指した大学時代から現在までの数々の転機を前向きに受け止めてきた人生を語ってもらった。     祖父母が山梨県出身で、私は日系3世です。小児科医を目指していたのですが、大学卒業後、医学部に入る前に子どもの心理学をリサーチするために日本に行きました。 東京の町田市という、のどかな場所にある児童養護施設で初めての日本生活が始まりました。それほど日本語が話せなくても、子どもたちとはスキンシップですぐに打ち解けました。でも大人たちとのコミュニケーションは苦労し […]

  • 2019.7.19

日本航空株式会社 コナ空港所長  岡冨省二

    昨年9月に就航した日本航空の成田−コナ(ハワイ島)直行便。2010年10月に運休して以来、約7年の時を経て待望の復活となった。その新コナ空港所長に就任した岡富省二さんに人生の転機について伺った。     18歳のとき、テレビ番組で双発機がグランドキャニオンの谷間を飛行している姿を見て、その壮大な映像が脳裏から離れず、パイロットになろうと決意しました。ところが、教師の父は非常に厳格で、長男の私が危険な職業につくことを許してくれません。思いを貫くには家を出るしかないと、勘当同然で生まれ故郷の鹿児島を離れ就職しました。 働きながらフランスの国営航空学校 […]

  • 2019.7.19

ハワイ沖縄連合会  会長  コートニー高良

    今年1月の第68回ハワイ沖縄連合会の役員就任式において歴代最年少の31歳で会長職に就任。約4万人の会員を持つ、ハワイ日系社会で最大の県人会の長となったコートニー高良さんに転機を聞いた。     ハワイ沖縄連合会は50ほどのクラブが所属していて、約4万人の会員がいます。小さい頃から祖父母に連れられて、そのクラブの一つである中城村人会の行事に参加していました。 曽祖父と曽祖母が沖縄県中城村からの移民なので、私は日系4世です。新年会やピクニックの他、年に1度のビッグイベントである沖縄フェスティバルなどに行っては楽しんでいました。琴を始めるきっかけになっ […]

  • 2019.7.19

ヨシ・ディベロップメント・ニューヨークOwner/Designer/Design Doctor 白石ヨシ

    現在開発が進むワードビレッジの公式デザイナーとして活躍する白石ヨシさん。これまで、トランプタワーやハレクラニ、カハラホテルと関わった高級プロジェクトは数知れず。そんな彼に人生の転機について伺った。     実家は埼玉の日本蕎麦屋。家には大きな白い壁があり、物心ついた頃からそこに絵を描いていました。上手に描いたら、クレヨンを買ってもらえたので、いつしか壁全体が私の絵で埋まりました。 高校生のときに友達と休みごとにユースホステルを泊まり歩きました。そこで、さまざまな空間に出会い、「建築とは空間を共有する人に素晴らしい影響を与える」と心底感じ、建築家を […]

  • 2019.7.19

あいおいニッセイ同和損保(株)DTRIC社 上級副社長 伊藤雄一

    昨年6月末にハワイ州の損害保険会社DTRIC社の100%子会社化と増資を実施した「あいおいニッセイ同和損保」。同社のハワイ首席駐在員として赴任した伊藤雄一さんに人生の転機について伺った。     鹿児島県の郡部でのびのび過ごした幼少期でしたが、小学校5年生で父の実家のある神戸に引っ越し。学校で鹿児島弁をからかわれ、カルチャーショックを受けることに。しかしながら、ほどよい都会の神戸は異文化を柔軟に受け入れる土地柄で、友達にも恵まれ楽しく過ごせました。 ただ、もっと広い世界を見たいとの思いから、大学は東京へ。かつて鹿児島の田舎から神戸に出てきた経験の […]

  • 2019.7.19

Oh! Sozai by KuruKuru 社長 後藤英里奈

    権兵衛、はな火、くるくる寿司。日本の味で在住者の胃袋を満たしてきたレストランのオーナー家族、長女の後藤英里奈さん。カカアコにオープンしたばかりの惣菜店『Oh! Sozai』の社長になるまでの転機を伺った。     家族でハワイに移住したのは1984年。4歳のときでした。空港で大勢の親戚や友人たちに見送られ、私たち家族は泣きながら日本を発ったという記憶があります。 まもなく父と母は『権兵衛』という和食レストランを開店させました。両親は忙しく店を切り盛りしていたので、私が毎日学校から帰る場所は家ではなく店! 仕込みの時間は店内のイスを向き合わせてベッ […]

  • 2019.7.19

ハワイ日系人連合協会プレジデント シェリー・タムラ

    ハンディキャップを持つ子どもたちをサポートする教師、そして日本舞踊の師匠としてだけでなく、ハワイ日系人連合協会のプレジデントとしても活躍するシェリー・タムラさんに人生の転機について伺った。       私は生みの親のことを知りません。生後間もなく、オアフ島の孤児院に引き取られ、1歳半のときにカウアイ島に住む日系のタムラ夫婦の養女として迎え入れられました。 プリスクールでは「アイム・シェリー・タムラ。アイム・アダプテッド(私は養子です)」とよく意味もわからず、自己紹介していたのを覚えています。養父母は愛情たっぷりに私を育ててくれたので、悲 […]