1910年にハワイに住む日系人のための日本雑貨店として店を構えて以来、地元に愛され続けてきた博文堂。その歴史を継ぎ、ピンチや変化に向き合い、新展開を仕掛けてきた大橋明彦さんに人生の転機を伺った。
高校生のとき、人生で忘れられない経験をしました。修学旅行でカリフォルニアに行ったのです。初めての海外旅行。地元の福島では外国人を見る機会もなかったので、初めてアメリカの人、街、文化に触れ、驚きの連続でした。視野が広がり、アメリカに興味を持つようになりました。
大学時代、両親の心配をよそに奨学金を得て1年間オレゴン州に留学。日本人の留学生のうち自分だけなぜか男子寮に入れられ、アジア人は珍しい上に全然英語を話せなかったので、他のアメリカ人の寮生となじめませんでした。この中で生き抜くぞ! と覚悟を決めて奮闘。やがて友人ができ、彼らとは今も続く仲に。このときの出会いと経験は貴重な財産となりました。
帰国後、多国籍企業に就職したいという気持ちが強まり、出版物などの輸出入を行う日本出版貿易に入社しました。
念願の海外勤務は思い出のサンフランシスコ
入社4年目の2001年、念願の海外勤務が叶い、サンフランシスコ支社に駐在することになりました。高校時代に初海外旅行で訪れた思い出の地に住めるなんて感無量でした。教科書や雑貨を日本から輸入して日系書店に卸したり、展示会に出展して新規開拓をしたり、多忙な毎日でしたが、アメリカで働ける喜びで満たされていました。
2011年3月、東日本大震災が発生し、福島に実家を持つ自分への会社の配慮もあり、4月に東京本社に異動しました。おかげで両親を安心させることができました。でも、上司や同僚から「アメリカに帰りたいんだろう?」と言われた通り、アメリカが恋しくなっていました。
そんなとき、1991年から当社が経営するハワイの博文堂の経営状況が悪化。ハワイへの辞令をもちろん快諾! 妻を連れてハワイに来ました。
経営再建のためハワイ赴任初めての小売店経営
立て直しのためにハワイに来たとはいえ、小売店経営の経験はゼロ。当時はホノルルのパンナムビルの1階に店を構えていました。経営を勉強しながら、まずは暗い店内を明るく、清潔に、日本の商品を取り扱うのにふさわしい、入りやすい店作りをしました。思えば当たり前のことですが、陳列やポップを工夫するなど、その業務量は膨大でした。
翌年、ワードウエアハウスに店舗を移転。徐々に業績が上向きになっていきました。ワードビレッジの開発のためワードウエアハウスの取り壊しが決まり、 新たにワードセンターに店を開け、2店舗同時経営。2店舗体制が整ったのを機に、2017年にファミリー層が多いパールリッジセンター内にもう1店舗をオープンしました。
ハワイに来て最初の3年間は息つく間もない日々でした。第一子も生まれ、自分の子どもと博文堂と、二人の子どもを育ててきたような感覚です。なんとか乗り越えられたのは、この仕事を理解し、応援してくれた妻の支えがあったから。
そんな妻と娘と、いつか大好きなアメリカ大陸横断の旅をするのが夢です。そしてもう一人の子どもである博文堂も、本土に進出させたいと思っています。
おおはし・あきひこ
◎1974年福島県生まれ。1993年東京国際大学経済学部国際経済学科入学。翌年オレゴン州ウィラメット大学に1年間留学。1997年東京国際大学卒業後、日本出版貿易株式会社入社。2001年サンフランシスコ支社(現地法人JPTアメリカ)に駐在。2011年4月東京本社へ異動。同年11月ハワイの博文堂へ着任。
(2018年11月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年11月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。