この6月に『ハワイ日系人連合協会』会長に就任した重村フェイさん。日系3世として日本に興味を持つようになったきっかけ、ボランティアや日系コミュニティーで活躍するようになった人生の転機を伺った。
私はホノルルの東本願寺というお寺で育ちました。私たちは大家族で、祖父母と両親、叔父叔母と子どもたちの総勢10人。戦時中、収容所に入れられるのを恐れて、誰もお寺に住みたがらなかったため、祖父が管理人として家族を連れて引っ越してきたのです。
子どもの頃の私は踊りが大好きで、毎年盆踊りへ行くのが楽しみで仕方ありませんでした。11歳のとき、お寺で日本舞踊教室が始まり、私は興味津々! 貧しい家庭だったので、それまで習い事をするという習慣を知らなかったのですが、母にお願いして習い始めました。夢中になり、週1回のレッスンが待ち遠しく、毎日自分で練習していました。
日本舞踊との出会いは私の人生で大きな財産になりました。日本に興味を持つようになり、日本の文化や歴史を知り、礼儀を学び、年上の方を敬うことなど、日本の考え方を学ぶことができました。日本舞踊の先生とは60年来のお付き合いになりました。
当時の月謝は12ドル。母は大変な苦労をして払ってくれていたことを知ったのは、随分後になってからです。
喪失感に苛まれた母の死を乗り越えて
高校卒業後に結婚。2人の娘を授かり、2つの仕事をかけもちしてちょうど12年目に、高齢だった母が病気になりました。父を早くに亡くした私にとって母は大きな存在でした。仕事を1つ辞め、3年間必死で介護しましたが、1995年に他界しました。
悲しみに耐えられず、しばらく離れていた東本願寺に行くようになりました。母が近くにいるように感じられたからです。お寺で掃除をしたり、台所仕事をしたり、行事の手伝いをしたり。空いた時間は、長年勤務していたHMSAでボランティアを始めました。会社で催すさまざまなイベントの手伝いをして、夜も週末もボランティアに明け暮れました。忙しくなるほど悲しみを忘れることができました。不思議なことに、どれほど忙しくてもボランティアをしているときは楽しかった。誰かのためになるという喜びに気付いたのです。会社のボランティアは2012年に退職するまで続けました。
人を助けていくことが数々の経験からの学び
10年程前、東本願寺ハワイ別院の理事長になりました。あるとき、お寺のメンバーから『ハワイ日系人連合協会』に誘われました。こうした団体のイベントで日本舞踊を披露したことは多々ありましたが、そこに所属したことはありませんでした。それから4〜5年経ち、この夏、会長に就任しました。今年は元年者150周年でもありますし、目の回る忙しさ。秋篠宮ご夫妻とお話しするなんて、思ってもみなかった経験もしました。光栄な立場ですが、日々学ぶことばかりです。
思えば、仕事と家の往復だった私が、お寺に戻ったことをきっかけに、ボランティアや日系コミュニティーで活動することになり、世界が格段に広がりました。多くの経験をし、気付きと学びを得ました。母がそのように促してくれたのだと感じています。
困っている人を少しでも助けていくこと。これが亡き母への恩返しだと思っています。
Faye K. Shigemura
◎1946年ホノルル市生まれ。小中高校をホノルルの学校へ通う。1957年に日本舞踊を始め、後に坂東流の名取取得。1966年、HMSAに就職。2008年、真宗大谷派東本願寺ハワイ別院の理事長に就任。2012年、46年間勤務したHMSAを退職。2018年、ハワイ日系人連合協会の2018〜2019年度会長に就任。
(2018年9月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年9月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。