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全日本空輸株式会社 ホノルル支店 空港所所長  野口博史

 

 

世界最大の2階建て旅客機A380を2019年春に成田〜ホノルル間に導入する全日空。その運航に向け、スパートを掛ける全日空のホノルル支店空港所、所長の野口博史さんに人生の転機を伺った。

 

 

 

初めて飛行機に乗ったのは生後6カ月のときでした。父の転勤でイタリアへ行き、小学一年生で帰国。1年も経たないうちにヒューストンへ。中学3年生になり、このままアメリカで進学するか、一人で日本へ帰るかという人生の岐路に立たされました。日本で高校と大学に通いたいという気持ちを貫くため、帰国を決断しました。

家族と離れて京都の高校へ入学。寮生活が始まりました。その生活が厳しかったこと! 先輩後輩の上下関係がはっきりしていて、あいさつの徹底は当然ですが、先輩の洗濯物をしたり、アメリカでは考えられない習慣を目の当たりにしました。学年が上がると今度は後輩の面倒を見ることに。この集団生活により、どんなときも周囲に気を配ることを身に付けました。

大学の4年間は体育会のバレー部で練習に明け暮れました。就職したのは就職氷河期と言われた時代。幼少期から何度も飛行機に乗ってきたので、目指すは航空会社。第一希望は全日空。まだ国際線の便数が少なかった全日空に入り、会社と一緒に成長したかったのです。ところが、パイロット以外に採用枠がなく、諦めて家電メーカーに就職しました。

 

諦めきれずに再挑戦採用はフランクフルト

2年後、大きな転機が訪れました。定期購読していたジャパンタイムズで、全日空のフランクフルトでの現地採用の求人情報を見つけたのです。すぐに応募し、内定をもらいました。1996年11月にドイツへ飛び、空港での地上職に就きました。お客様の声を聞いたり、飛行機を一機飛ばすのに多くの要素が絡み合っていることを知るなど、発見の連続でした。

2001年、研修として成田空港での勤務を経て、空港本部に配属。その後、総合職の試験を受け、合格。フランクフルト空港所を退社し、日本の全日空に入社しました。2010年にシカゴの空港マネージャーとなり、4年後にまた日本勤務となりました。

 

チャレンジする会社で自分自身も挑戦し続けたい

全日空は、新しい技術などを積極的に取り入れながらサービス向上に努める会社だと感じています。2006年、成田空港の第二から第一ターミナルに移転した際には、自動チェックイン機を100台以上導入しました。ところが、当時はまだお客様になじみがなかったこともあり、一部で混乱を招くことになってしったのです。すぐに対処できましたが、この経験により現場で起こり得るあらゆる事態を広く深く想定する重要性を改めて感じました。挑戦を控えるのではなく、プランAの他に、プランB、Cを用意することが大切だと思っています。

今年4月にホノルルに着任し、現在は来年の春に成田ーホノルル間で就航予定の2階建飛行機A380の準備に奔走しています。日本からハワイへ、ハワイから日本へ、それぞれ500名余りのお客様に、ハワイ、そして日本のすばらしさを感じていただくことが私たちのゴールの一つ。こうした新たなチャレンジが全日空らしさ。その一翼となれるよう自分自身も挑戦していくつもりです。

苦楽を共にした?! 自動チェックインとの思い出の一枚

 

のぐち・ひろし

◎1972年東京生まれ。父親の仕事の関係で、生後6カ月でイタリアへ、さらに日本、米テキサスへと移転。1994年に同志社大学英文科を卒業後、シャープに入社。1996年全日空のフランクフルト空港所に入社。退社後、2002年全日空入社。空港本部、シカゴ空港のマネージャー、空港センター課長を経て、2018年4月に現職へ。

(2018年9月16日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年9月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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