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人気コラム

  • 2019.7.19

陶芸家   エスター・ノーウェル

    かつてのホノルルを回想する   私はオハイオ州に生まれましたが、2歳のときに母に連れられてハワイに移住したのでオハイオのことは何も覚えていません。父はスイス系アメリカ人ですが母の先祖のことはよく知りません。今98歳なので96年間ハワイに住んでいますから、自分ではローカルだと思っています。 子どもの頃はパロロのアヌヘア通りに住んでいました。今は親が車で子どもを学校に連れて行きますが、当時は皆が歩いて学校に行きました。私は白人ですが、近所には日系人やフィリピン系の人など、さまざまな民族の人が仲良く住んでいたので、学校にもいろんな人がいました。 まだ近所にスーパ […]

  • 2019.7.19

グラフィックデザイナー  モミ・カジメロ

    かつてのハワイ島やホノルルを回想する     私は、ハワイ島ヒロの北にある小さな村、ペペエケオに生まれました。父は沖縄系日系人の修理工で、母はイギリスとハワイアン系で、裁縫婦でした。私は幼少の頃、ペペエケオの母方の祖父母に育てられ、同じ家に叔父や叔母、従兄弟も住んでいました。当時ハワイアンの家庭では、広い意味でのオハナ(家族)という考え方があり、祖父母や親戚の人に育てられることはよくあることでした。 キラウエア火山が噴火したときには、母方の親戚が火山の女神ペレのためのお供えを火山まで持って行ったのを覚えています。家の近くに収穫したサトウキビを製糖 […]

  • 2019.7.19

建築家  鈴木敏資

    予備軍に志願したときのことやかつてのハワイを回想する   私は、1942年に福岡県に生まれました。子どもの頃から建築模型を造るのが好きで建築に興味があったので、知人の家に下宿をしながら法政大学に通い建築を専攻しました。大学卒業後は他の人とは違う経験をしたいと思い、米国大手のダニエル・マン・ジョンソン・メンデンホールの東京支社に2年勤めました。 外資系の会社の雰囲気に触れてから、苦労してもアメリカで勉強したくなり、インディアナ州の学校に通いながら建築設計事務所で働くことができる会社を見つけました。永住権は会社が申請してくれたのですが、ベトナム戦争の時代だった […]

  • 2019.7.19

雅楽講師・天理教ハワイ伝道庁主事  社本正登司

    ハワイで雅楽を教えることになったいきさつを回想する   私は、1934年に愛知県江南市に生まれました。5歳の時、雅楽をたしなんでいた父から竜笛(りゅうてき)という横笛を「吹いてみさない」と言われたのです。吹いてみたら良い音が出て、嬉しくて雅楽を始めました。 雅楽は世界最古のオーケストラですが、日本人でも知らない人が多いですね。雅楽では、篳篥(ひちりき)、竜笛(りゅうてき)、笙(しょう)、琵琶、火焔(かえん)太鼓、鞨鼓(かっこ)、筝(そう)という楽器を使います。 日本語には雅楽にまつわる言葉がたくさんあります。雅楽では「えんばい」と言いますが、“塩梅”は、音 […]

  • 2019.7.19

編集者・芸術家  ローラ・ルビー

    かつてのカパフル、モイリイリを回想する     私は1945年にロサンゼルスに生まれ、1974年にハワイに来ました。飛行機から初めて見たハワイは、海の色が印象的で、岸辺に近くなると青色からエメラルドグリーンに変わるのがとてもキレイだと思いました。 当初はダイヤモンドヘッドの麓のカパフルに住んでいました。カパフルは、いろんな民族の人が住む地域で、英語では「Mom and Pop store」と呼ばれる、夫婦で細々とやっているようなよろず屋があちこちにありましたが、今ではそんな店はほとんどなくなってしまいました。 1980年代にモイリイリに引越し、近 […]

  • 2019.7.19

古流なぎなた直心影流師範  三浦花枝

    ハワイに来る縁となったなぎなたとの出会いを回想   横浜に生まれましたが、4歳のときに父が他界し、私は水戸市の夫婦に養女にやられました。養父母は方言が強く、養母は自分のことを「オレ」と呼んでいました。初めはすぐ家に帰れると思っていたので、寂しくて泣いてばかりいました。そんな私を見た近所の人がなぎなた道場に連れて行ってくれたので、なぎなたを始めました。 なぎなたは日本古来の武道で、江戸時代には僧侶と婦人の武器でした。戦前は婦女子のたしなみとして学校でも教えていました。道場にいるときは寂しいと思いませんでしたし、「少女の友」という雑誌になぎなたをする私の記事が […]

  • 2019.7.19

シャミナード大学助教授  フェイス・ミルンズ

    東海岸、スウェーデン、かつてのノースショアを回想する   私は、マサチューセッツ州ボストン市郊外のウェークフィールドという町に生まれました。母はスウェーデン系アメリカ人で、父はスコットランド系アメリカ人です。家では犬を飼っていて、幼稚園には犬と一緒に歩いて行きました。今では5歳の子どもが犬と一緒に歩いて幼稚園に行くなんて考えられませんが、当時は犯罪が少なかったので親も心配しませんでした。 両親が離婚したので、私と兄2人は母に育てられ、マサチューセッツ、コネチカット、カリフォルニアなど、あちこちに引っ越しを繰り返しました。私の育ったボストン郊外には森や湖があ […]

  • 2019.7.19

FraisVie Wedding CEO三浦 雅

    海の中を山の上から見て知る俯瞰して見ることの大切さ     9歳のときに初めてハワイに来て、ハワイっていい! サーフィンしてみたい! と思ったのがサーフィンを始めたきっかけです。帰国後、大阪の自宅から車で1時間ほどの場所にある和歌山県の磯の浦というサーフィンが有名なビーチで始めました。 1998年に、当時日本で勤務していたブライダル会社でハワイ支社を立ち上げることになり、ハワイに移住しました。海がこれほどまでに近い環境ですから、頻繁にサーフィンをするようになりました。あれから20年間、今も海へ通う日常です。でも海の中は非日常。波に押されて海の上を […]

  • 2019.7.19

創作居酒屋みのりBy塚田農場 副料理長   藤永一郎

    小笠原や福島の海を見てきたから気付くハワイの素晴らしさと課題     アメリカの有名なサーファー、ケリー・スレーターに憧れて、同世代として20歳のときにサーフィンを始めました。モテたい! と思ったのも理由の一つです(笑)。 26歳のときに、小笠原諸島の父島へ移住しました。東京の竹島桟橋から島へ行く船は一週間に1便。人口が2000人程しかいない小さな島です。ここで調理を生業にするようになり、他にもハマチの養殖を成功させたり、無人島でヤギ狩りをしたり、サバイバル生活をしていました。このとき無人島でのサーフィンも経験しました。きっとそこでサーフィンをし […]

  • 2019.7.19

ジャルパック カスタマーサービス 部長藤田鉄哉

    サーフ天国ハワイの恩恵をたっぷり享受できるスポーツがサーフィン   小学生の頃から本格的にサッカーをしていてスポーツは大好きでした。サーフィンを始めたのは19歳のとき。兄に神奈川県茅ヶ崎の海へ連れて行ってもらったのがきっかけです。 就職した旅行会社では、カナダへのスキーツアー添乗の機会が多く、このとき滑っていたのは海ではなく、もっぱら雪山でした(笑)。その後ジャルパックへ就職し、ハワイに10年間駐在しました。1年中サーフィンを快適にできるハワイはまさにサーフ天国だと思いました。 成田空港へ転勤となり、休日は1時間かけて九十九里の海へ通う生活に。そして5年前 […]

  • 2019.7.19

コナ・ベイ・ハワイ ストアマネージャー   佐々木 克

    海で自然の流れを感じるように人生の流れを感じて生きたい   サーフィンを始めたのは2014年。研修ビザでハワイに滞在していたとき、知人にボードをもらったのがきっかけでした。もともと興味はあったのですが、地元の鳥取は冬にしか波が上がらないところでしたし、学生時代に引っ越した大阪は海から3時間。そんな環境下で始める気にはなりませんでした。でもここハワイは海まで自転車で5分! これはチャンスだと思いました。 一旦帰国し、2017年にハワイへ移住。今度は本格的にサーフィンをしようとボードを買いました。それ以来海に通っています。 僕のサーフィンとの付き合い方は、時間 […]

  • 2019.7.19

ラニヴァイ・ディズニー・スパ マッサージセラピスト ベイ 玲奈

    仕事の疲れもストレスも海で浄化パワーチャージしたらシェア!     幼少期はシドニーに住み、帰国後は神奈川県の江ノ島の近くにある湘南学園へ。アメリカ人と結婚した後はサンディエゴに住んだりして、海には縁がありました。ところが妊娠出産などのタイミングが重なって、サーフィンデビューはなかなかできませんでした。2004年にハワイに引っ越し、子どもがプリスクールに入り、ついに念願のサーフィンをスタート。海に入っているだけで楽しくて、夢中になりました。 サーフィンが生活の一部になった頃、一旦帰国。日本での4年間は真冬でも海に通いました。ハワイはサーフィンにと […]

  • 2019.7.19

Peace Cafe アシスタントマネージャー   ドミニク・コーデル

    サーフィン、仕事、あらゆることをきっかけとして学ぶことが楽しい!     ホノルル生まれ、育ちはラスベガスです。体を動かすことが大好きで、サッカーやレスリング、水球、マウンテンバイクやクロスフィットなどいろいろなことをしてきました。でもサーフィンだけはしたことがなかったんです。 2年前の17歳のとき、カリフォルニアへ行き、ハンティントンビーチで初めてサーフィンをしました。ラスベガスは砂漠なので、ずっとサーフィンに憧れていたんです。家族が見守る中、1日中一人で海に入っていました。ボードの上に立っては海に落ちるという繰り返しでしたが、1日が終わる頃に […]

  • 2019.7.19

曹洞宗ハワイ別院正法寺僧侶    星野真隆

    サーフィンと座禅は、心がリラックスする瞬間が通じています     ハワイのお寺に配属されて引っ越して来たのが2015年。もともと海とは縁がなく、サーフィンへの興味どころか日焼けするのが大嫌いだったのですが(笑)、休みが平日でしたし、一人で特にすることもないという理由でサーフィンを始めました。最初は全然できなかったので楽しくなかったですね。でもユーチューブを見て習いながら海に通い続けるうちに少しずつ波に乗れるようになっていきました。 ハワイの海は本当に気持ち良くて、その中にいるだけでもストレス解消になります。それまで乗れなかった波に乗れるようになっ […]

  • 2019.7.19

『BetterHalf』 General Manager/Photographer太下直哉

    海と町、文化のあるハワイで好きな仕事と家族に恵まれて     子どもの頃からJリーガーを目指し、高校時代は地元の京都パープルサンガユースでプレーしていました。でも現実は厳しく、その夢を断念。大学に入学後はサーフチームに入ってサーフィンを始めました。親がスキーで海外に行った経験があると聞き、海外に興味があったので、サーフィンを通して海外と繋がれたらと漠然と思ったからです。 実家の京都市は海まで遠かったので、仲間と毎週2回は夜中に出発し、3〜4時間かけて、夏は太平洋の伊勢へ、冬はビーチが雪化粧をする日本海へ行っていました。サーフィンはもちろん、仲間と […]

  • 2019.7.19

『おおきにおにぎり』 代表   川端高次

    海で気持ちを前向きにリセット サーフィンは夢の実現に不可欠です   サーフィンを始めて約20年です。初めてサーフィンしたのは高校卒業後、地元の京都から行った愛知県伊良湖の海でした。最初からショートボードで、思うように乗れないどころか、潮の流れが早くてグイグイと沖に流されてしまったんです。陸に戻るのに必死で、とにかくしんどかった。そして悔しかったというのが初サーフィンの思い出です。 でも、海に入ると何だか気持ち良くて、毎週末のようにサーフィンへ行くようになりました。冬でも通っていましたね。 サーフィンをして気付かされたことは、自然の力の凄まじさ。決して自然を […]

  • 2019.7.19

『JIMBO Restaurant』 オーナー   元島万起子

    海は、新参者の自分を受け入れてくれたハワイへ感謝するところ     うどん屋をオープンするためにハワイへ移住したのが1993年。翌年『ジンボ』を開店させ、仕事と子育てに追われ、気付けば十数年が経っていました。子育てが一段落した37歳のとき、サーファーの知人のレッスンを受けたらすっかりはまってしまいました。それ以降、毎朝子どもを学校に連れて行き、その後は海へ寄ってから仕事場へ、という生活に一変しました。 数年後、海で会う人たちに「今度の大会出る?」と誘われるようになり、出場してみたんです。大会では、普段は混雑しているワイキキのポイントが、その15分 […]

  • 2019.7.19

ブティック『Here.』 オーナー   カワムラ万葉

    夫と出会い、仲間は家族同然に  サーフィンは人生に欠かせません     思えば人生の半分はサーフィンをしています。2000年にハワイ大学へ編入してきたのですが、ハワイに来て初めて買ったものがショートボード。校内のショップで175ドルで買ったのを覚えています。 それから毎日海へ通う生活で、当時の友達はほぼ100%がサーファーでした。特に仲の良かった友人がサーフショップをオープンし、そこでボードを削るシェイパーをしていたのが今の夫です。その後、ますますサーフィン一色の人生になりましたね。 サーフィンは生活の一部なので1日の流れの中にあるもの。性格的に […]

  • 2019.7.19

写真家 / 映画監督 / クリエイティブディレクター平野功二

    ハワイの海は特別な時空間 人生にアイディアを与えてくれる       サーフィンを始めたのは高校時代です。新島に行ったときに見たサーファーがかっこよくて、その後は埼玉県から千葉県の九十九里浜まで電車で通っていました。 高校卒業後はミュージカルの劇団に所属し、1990年にアラバマ州の短大へ入学。卒業後は台湾の大学への進学が決まっていたのですが、途中ハワイに立ち寄ったんです。ハワイでサーフィンをしたら、すぐにハマりました。なんともいえない開放感を感じさせてくれたのです。時間的にゆとりがあったので、ハワイ大学に短期間通ったところ、奨学金で入学 […]

  • 2019.7.19

イベントプランナー / ウクレレプレイヤー デレック カミ

    ウクレレもサーフィンもアロハの心で人を喜ばすことができるツール   高校生の頃からボディーボードをしていて、海で出会うサーファーがあまり好きではありませんでした。 そんな私がサーフィンを始めたのは4年前。サンディービーチでボディーボードをしたときに大失敗をして背中を痛めたことがきっかけでした。病院で「手術をしなくては治らない」と言われ、手術を断り、カイロプラクティックに行くと「海水に入りなさい」と。それがフィジカルセラピーになると言うんです。言われるままに、大きなロングボードの上で横ばいになって両手でゆっくり水をかいてリハビリを始めました。徐々に状態が良く […]

  • 2019.7.19

Junya Sakurai LLC Founder / Hair Stylist櫻井 惇也

    環境意識の高まりも人生設計もサーフィンが大きく影響しています     昔からスノーボードをしていたのですが、夏にできることがないなぁと思って、24歳のときに始めたのがサーフィンでした。スノーボードに近い部分もありますが、波をつかまえたときにグングン加速するスピード感はサーフィンにしかない独特の感覚。それが楽しくて、すぐにはまり、東京から神奈川県の鵠沼海岸に通っていました。 ヘアサロンをアメリカでオープンさせるため、2015年にハワイへ引っ越してきました。日本では冬でもサーフィンをしていましたが、ハワイは暖かいし、海はきれいだし、海がすぐ近くにある […]

  • 2019.7.19

Hawaii HIS Corporation ハワイインバウンド支店長 高崎 雄介

    息苦しく感じていたハワイがサーフィンを通して大好きになった   アメリカの音楽やカルチャー、サーフカルチャーに憧れていた中学2年生のとき、サーフィンを始めました。友達と一緒に東京から電車に延々と乗って神奈川県の鵠沼海岸まで行っていました。当時は簡単に波のチェックなんてできませんから、着いてみたら「全然波がない!」なんてことも。でも楽しくて、高校を卒業するまで海に通っていました。 大学入学後はサーフィンから遠のいていたのですが、卒業後に仕事でオーストラリアに1年間住んだときに再開。1992年にHISのロサンゼルス支店に就職し、その後ラスベガス、サンフランシス […]

  • 2019.7.19

Photographer 桐生 真

    世の中で何があろうと変わらず  そこにある海に入ると安心できる   ボディーボードを始めたのは約20年前。1998年にハワイ大学の交換留学プログラムで、ハワイに来たことがきっかけでした。仲良くなったローカルの友達がサーファーだったので海に連れて行ってくれて、ショートボードを貸してくれたんです。人生初めてのサーフフィン。しかもショートボード。波に乗るどころかパドルすらうまくできず、サーフィンとはなんて難しく大変なものなんだと思い、1回で断念しました。 半年後、みんなで海で遊びたくてボディーボードを買い、ワイキキビーチに行きました。ショートボードと違って、すぐ […]

  • 2019.7.19

ドクターズ・オブ・ワイキキ ナースプラクティショナー   滝沢 美恵

将来を模索していた高校時代。ふとしたきっかけから 思い切ってハワイへ来たことで人生が変わりました。 高校年生のとき、行きたい大学がなく、進路を考えあぐねていました。一応センター試験を受けたのですが、1年間予備校に通うことにしました。ある日、たまたま道で配られたティッシュに挟まっていたチラシを見ると、そこに海外留学の文字が。「これだ!」と思ったんです。 長野県で生まれ育ち、ずっと親元にいたので、両親は、東京ならまだしも海外なんて心配だと大反対。日本から比較的近く、治安も良いとされ、日本人も多く住むハワイを選び、なんとか説得しました。母が看護師だったこともあり、興味を持っていた看護について学ぶため […]

  • 2019.7.19

こども学習教室オーナー/グレイス インターナショナル不動産・PB・オーナー   岡崎 恵子

    人を信じる気持ちを大切に生きてきた結果、ひどい目にあった30代前半。 今はハワイの人々に支えられ、次世代の子どもの教育に情熱を注いでいます。   私の学生時代は、就職の氷河期と言われた就職難の時代。気の進まない会社に就職するより、もっと学びたいとハワイパシフィック大学に編入しました。在学中に結婚して、グリーンカードも取れ、ハワイの旅行会社に就職も決まり順風満帆。ところが初出勤の日がなんと同時多発テロが発生した9・11。社内はパニックでごった返し、ただただそこにいるだけの初日でした。 1年後、大学時代に知りあった日本の大手メディア会社の社長から頼まれ、ハワイ […]

  • 2019.7.19

創作居酒屋みのりBy 塚田農場  ゼネラル・マネージャー   関口 茉希

    若くしてサンフランシスコ勤務を実現。そして、次はハワイ! つらい現場ほどやりがいがあり、お客様の笑顔を見たときの達成感はひとしおです。       小さい頃から活発で、中学時代は陸上部に所属し、中距離・長距離走に熱中。持続力、我慢強さをこの頃に習得した気がします。高校時代に理系か文系かを選択するとき、広い世界を見たい、英語という世界中の人たちとコミュニケーションできるツールを学びたいと思い、英語科を選択。当時、映画『プラダを着た悪魔』を見たときは、英語で何を言っているのかすべて理解できたらいいなと思いました。 共立女子大学の国際関係学部 […]

  • 2019.7.19

ボディビルダー  メイ 広美

    大好きな仕事と趣味に没頭し、充実していた日々から一転。 難病と闘いながら、好きなことに挑戦し、今を精一杯生きています。   結婚を機に1999年にハワイに移住しました。すぐにヒルトン・グランド・バケーション・クラブに就職。仕事は楽しく、3人の子宝にも恵まれ、充実した日々を送っていました。夫は定職に就かず、たまに子どもに怒鳴ることがあったのだけが気がかりでしたが、そんな夫も長男のような存在に思え、家族のため、そして自分のために、マイホームも購入しました。 エクササイズが大好きで、休日はスポーツクラブでズンバを教えていました。興味を持ったボディビルを始め、20 […]

  • 2019.7.19

ライター/ツアーエスコート  スピア 和子

    タフな旅行業界のトラブル対応や不妊治療などを乗り越えて強くなった私。 お母さん目線での教育情報をライトハウスから発信しています。       私が外国に憧れるようになった最初のきっかけは、1970年に地元大阪で開催された日本万国博覧会です。アポロ12号が持ち帰った月の石を見たときには、幼な心に衝撃を受けました。さらに中1のときに、型破りな英語の先生に出会います。当時は珍しいフォニックスを取り入れた授業のおかげで英語が大好きになり、海外留学を夢見るように。高校卒業後は附属の短大にエスカレーター式に入学したものの、どうしても留学したくて親を […]

  • 2019.7.19

HTA(Hawaii Tourism Authority)  ボードオブディレクター  木村 恭子

    1998年創設のハワイ州観光局の理事に日本人としてただ一人選任。 無報酬のこの職は、ハワイを愛し観光業の大切さを分かるからこそできるもの。     私が就職したのは、男女雇用機会均等法が施行された最初の年。バブル期だったこともあり、就職先のリゾートホテルの開発会社では女性を重用してくれました。2〜3年の腰かけ勤務のつもりが、会社が初めて手掛ける海外リゾート開発のため、マウイ島に転勤の辞令が下りました。赴任したマウイ島では、日本の建築家と共にキャンプをししながら、更地から約1年半かけて、ホテルのイメージを湧き上がらせ、新ホテルを作り上げました。それ […]

  • 2019.7.19

プロソロフラダンサー、フラコーディネーター プアナニ コネクション代表  カプアナニ由美子

    ハワイアンネームの意味は、「真っ赤な太陽の家から降りてきた美しい花」。 その名に誇りを持ち、フラを通してハワイに恩返ししたいと思います。     片道2時間かけての通勤に疲れていた私は、何とか日本を脱出したいと思っていました。母が以前からフラを習っていたので、私も本場ハワイでフラを学べば、海外へ行けると、英語が話せないにも関わらず、1996年ハワイに渡航しました。 まずは、英語学校に入学し、フラの勉強と両立。ところが、この学校で知り合った方から、ある男性を紹介され、お付き合いをすることになったのです。その彼との結婚と予定外の出産で、子育てに専念す […]