今年はどこに旅行へ行こう? 旅を知り尽くしたプロに、2020年ぜひ訪れてほしいという旅先を語ってもらいました。 アクティブ派ものんびり派も、週末旅もロングバケーションも、ア...
続きを読む今年も「タックスリターン」のシーズン到来。 アメリカでは会社員であっても個人で確定申告を行います。 そこで、申告手続きを始める前に知っておきたい最新情報を、連邦税と州税別に...
続きを読む2009年に始まった『ウクレレピクニック・イン・ハワイ』は、実力派若手ミュージシャンからベテランまで日本とハワイを中心としたウクレリアンが集結し、観客動員数は約5000人を...
続きを読む水、野菜、フルーツなどのハワイの恵みに魅了され手仕事で酒づくりに精を出す職人たちがいる。 決して大量ではないがコツコツと作り上げるその酒は、味わいも香りも、オリジナリティー...
続きを読む老後は、生まれ育った日本で過ごしたい。そのためには、どこを生活拠点にするかを決める必要があります。 今回の特集では、「日本の地方で暮らす」というテーマで、そのメリット・デメ...
続きを読む永住権を取得して5年以上経ち、一定の条件がそろえばアメリカの市民権を申請できます。 この特集では、取得資格から申請の手順、費用、テスト内容まで、分かりやすく解説します。 &...
続きを読む全世界で肥満とされる人は約6億5千万人、体重過多は19億人もいるのをご存じですか?※ 中でもアメリカ人の数が多いのが現状です。肥満に加えて、糖尿病、高血圧が増えている原因に...
続きを読む「ハワイにだって冬がある!」そんなことを日本に住む人はあまり信じてくれませんが、 今こそ、ワイワイガヤガヤとお鍋を囲むのにぴったりの季節。 オハナ(家族)を何よりも大切にす...
続きを読むウクレレや音楽をきっかけに、平和・友好・家族愛というメッセージを世界へ広めたい…そんな願いから2009年に始まった『ウクレレピクニック・イン・ハワイ』。発起人は、日本のウク...
続きを読む美しい海に囲まれている私たちの住むハワイ。そのハワイの海が、悲鳴をあげています。 1950年代から便利だと使い始めたプラスチックが、今ゴミとして陸から海へ流され、海岸にたどり着いています。 特にオアフ...
続きを読むハワイに寄り添った営業活動で麺文化を広めたい。 小学生の頃、夏休みにハワイのサマーファンに参加したのがハワイとの出会いです。多様な文化を持つハワイで視野が広がることを実感し、ハワイの大学へ進学しまし...
続きを読む数々の異動経験が仕事の本質に気付かせてくれた。 今年4月、ハワイに着任しました。2006年にJALに入社するとき、「あなたは大学院卒ですが、専門と関係ない仕事でもよいですか?」と確認があった通り、異...
続きを読む開発から仲介までのサポートで喜んでもらいたい。 ハワイは幼少期からの思い出が詰まった場所です。毎年家族でハワイに来て新年を迎えるのが恒例でした。大学はハワイに進学しようと決めていたのですが、はじめに...
続きを読む自分の立ち位置をしっかり定めて社会に役立ちたい。 渡米したのは1998年、サンディエゴの大学と大学院で心理学を学びました。1歳半の頃から、どんなことも「なんで?」と聞く子どもだったんです。好奇心旺盛...
続きを読むキャラメルを通して皆さんに “楽しみ” を届けたい。 アメリカに来たのは1994年です。当時の日本は「25歳を過ぎると売れ残りのクリスマスケーキ」という風潮があり、「まだ結婚しないの?」と聞かれるこ...
続きを読む弁護士として困っている人の重荷を少しでも軽く。 「法廷に立つ人になりたい」と思ったのは11歳のときでした。シングルマザーで私を育ててくれていた母が困っている姿を見て、家族や生活に関する法律を学ぼうと...
続きを読む幼児教育と食育の観点でコミュニティーへ貢献を! 日本で大学を卒業して、商社で輸出入に関する交渉などを担当し、その後は父の会社に勤務していました。30歳で出産。3年間は子どもの近くを離れず育てたいと思...
続きを読むサプリだけでなく、健康の知識も伝えていきたい。 もともとはIT畑の人間で、日本では携帯電話会社に勤務していました。アナログ放送から地デジに切り替わった時代にソフトウェアエンジニアとして就職し、テレビ...
続きを読む「アロハ・ナースマン」として恩返しをしていきたい。 日本で高校を卒業後、転職した数は8回。常に違和感を感じて悩んでいました。そんな中で、母が看護助手をしていたこともあり、看護師を目指して勉強を始めま...
続きを読む飼い主さんとペット、動物病院の環境も守りたい。 獣医師としてハワイで働こうと思ったのは、ボストンにある大学の獣医学部を卒業する2年前のことでした。彼女とその家族と一緒にハワイへ旅行に来...
続きを読む不動産はサービス業。心を込めてお手伝いを。 7歳でボーイスカウトを始め、サマーキャンプで訪れたのが、カリフォルニア州オレンジカウンティーでした。それがきっかけで、アメリカに移住すること...
続きを読む二つの異なるビジネスが相乗効果に。 私が幼少期、父は海運業界で働いていました。父は時間さえあれば各国の写真を見せながらいろいろな話をしてくれました。そんな父の影響もあり、いつか世界中を...
続きを読む日本、ハワイ、家族が幸せになるビジネスに。 渡米したのは1994年。役者を目指してニューヨークへ向かいました。日本食レストランでアルバイトをして生活しながら、アメリカを全身で学んでいき...
続きを読むジャーキーのおいしさを世界中に届けたい! 両親は20代で日本からハワイに移住し、僕はホノルルで生まれ育ちました。大学はワシントン州立大学へ。卒業後はシアトルでソフトウェア販売の会社でセールス...
続きを読む接客を通して、皆さんに笑顔になっていただきたい。 高校時代はハワイ、そして米本土に留学しました。17歳のとき、自律神経の乱れから摂食障害が起きて、克服するまでの10年間、誰にも言えず苦し...
続きを読むハワイで日米の懸け橋となる子どもたちを育てたい。 高校卒業後、ハワイ大学に入学したのがハワイに来たきっかけです。そのまま大学院へ進学し日本宗教を中心とする宗教学を研究しました。宗教に興味を持っ...
続きを読むオーナー ラスチックの使い捨てを減らし、 体も地球も健康に ノースショアに住む夫と2005年に結婚して以来ずっとノースショアに暮らしています。 2011年に大病を患い、食を見直すよう...
続きを読む人のためになる仕事を探し求め、ようやく出会った現職。 悲惨な戦争の歴史を次世代に伝え、未来へつなげていきたい。 子どもの頃から祖父と二人暮らしで、「将来は人の...
続きを読む僕は概して政治家を信用していない。守る気もない空約束をし、解決どころか問題をより大きくする。そして、必ずと言っていいほど陰に何か思惑を持っている。赤ちゃんにキスしたりし、尊...
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