父の酪農業やかつてのニウ・ヴァレーを回想する

 

 

私は1925年にホノルルに生まれました。カメハメハ大王の血を引くハワイアンですが白人の血も入っています。父のチャールズ・ルーカスはニウヴァレーで「ニウ酪農場」という酪農業を営んでいました。150頭ほどの乳牛と50頭ほどの肉用牛を飼い、飼料も農場で育てていました。従業員は、牛の飼育人、搾乳者、野外作業者、配達人など、25人ほどいました。

当時アイナハイナには雑貨屋が数件ありましたが、ニウヴァレーには店はなく、ウチの酪農場と養鶏場しかありませんでした。隣のクリオウオウには、と殺場があり、ハワイカイは養魚池があるだけで、東オアフはまだ片田舎でした。

私の両親は、私が5歳のときに離婚して、私は母と共にカイムキで育ちました。週末は父の住むニウヴァレーで過ごす生活をしていましたが、私が高校生のときに両親は元のさやに納まりました。

14歳のときに第二次世界大戦が勃発し、灯火管制が敷かれたり、夜の外出は禁止され、用もなく街をうろうろしていると逮捕されました。ガソリンは配給制になり、大人たちは厳しい生活を強いられましたが、私はまだ遊び盛りの10代でしたから、のほほんとしていました。

母や母方の家族はハワイ愛護協会(Hawaiian Humane Society)の設立に携わりましたので、私もオハイオ州の大学で社会福祉を学びました。ハワイ愛護協会は1883年に創立され、当初は動物愛護だけでなく、未婚の母や孤児、精神病患者なども援助する福祉団体でした。後に人に関する福祉事業は政府がすることになり、今は動物愛護のみを扱う団体になっています。

 

 

カワノヨシオさん

私はプナホウ高校時代の同級生と結婚しましたが、子育てには手が回らない状態でした。そんなときに子守りを買って出てくれたのが、隣に住んでいた日系2世のカワノヨシオさんで、私たちは親しみを込めて「ヨシ」と呼んでいました。

ヨシの家には日本のお風呂があり、布団で寝ていました。ご飯はお茶碗で食べ、何もかも日本式でした。ヨシは、ニウ酪農場の牛乳配達人をしていました。当時、牛乳は瓶詰にされ、ホノルルの顧客の家までトラックで配達していました。搾乳は日中行われ、顧客に早朝牛乳が届くように、ヨシは夜10時半から朝8時頃まで牛乳配達をしていました。

ヨシは仕事を終えて家に帰ってくると、私の息子のナイノアが待ち構えていることがよくありました。ヨシは疲れているにもかかわらず、ナイノアをとてもかわいがってくれました。ヨシの父親は山口県大島郡出身の漁師だったので、海のことをよく知っていました。

ナイノアが5歳のとき、ヨシから竹の釣り竿をいただいいたのですが、それ以来毎朝のように釣り竿を持ってヨシの帰りを待ち伏せしていました。ヨシはいやな顔ひとつせず、ナイノアと海に繰り出し、天候や潮の満ち引きなど、いろんなことを彼に教えてくれました。後にナイノアが古代ポリネシア船で航海をすることになったのも、幼い頃のヨシの影響がとても大きいからです。

ニウ酪農場の職員と配達トラック(1930年頃)

 

Laura Thmpson

1925年ホノルル生まれ。プナホウ高校卒業後オハイオ州のレーク・エリー・カレッジで社会福祉を学ぶ。ハワイ愛護協会(Hawaiian Humane Society)の常任理事を10年間務める。マウナルア養魚池遺産センター理事長。ポリネシア航海協会、マラマ・マウナルアなどのアドバイザー。古代ポリネシアのカヌーを復元した「ホクレア」の航海士・ポリネシア航海協会会長のナイノア・トンプソン氏の母親。

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年12月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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