幼少の頃のインディアナや昔のホノルルを回想する

 

私は1936年にインディアナ州北部の小さな田舎町サウスベンドに生まれました。私の父はドイツ系3世で、小学校に行くまでは家ではドイツ語を話していました。父方の曾祖父は1850年にアメリカに移住し、当時は石炭が主要エネルギーでしたから採炭業に携わっていました。

 主要エネルギーが石油に代わり始めたのを機に、曾祖父はインディアナ州の農地を買い、牧場を始めました。私はその牧場の近くの農場で育ちました。家ではニワトリやブタを飼い、主にトウモロコシを耕作していました。

 私は6歳の頃から農場の手伝いを始め、当時はトラクターの運転には免許が要らなかったので8歳のときからトラクターを運転していました。小学生の頃は、毎日登校前と放課後にトウモロコシを収穫したり、トウモロコシの皮を手でむいていました。田舎なので私の学年は41人しかいませんでした。未だに毎年同窓会がありますが、毎年欠かさず参加しています。

 第二次世界大戦が勃発したとき私は5歳でしたが、いろんなものが配給制になったのを覚えています。ガソリンの配給制でトラクターの使用が限られ、両親は農作業が思うようにできなくて困っていました。ウチは農家なので、食べ物の配給制にはさほど困りませんでしたが、都会の人は困ったと思います。

 夕食時にはラジオから戦争のニュースが流れるので皆シーンとしていましたね。日曜日に教会に行くと、誰々が戦争で亡くなったというお知らせがありました。

ハワイに移住

 ハワイには1960年にプロペラ機で来ました。ホノルル空港は現在の東側にあり、飛行機を降りると花の香りがしました。そのときは、ハワイ大学で教授の助手をしながら博士号の論文を書くために6カ月間いました。当時、言語の実地調査には、重たいオープンリール式のテープレコーダーを使っていました。

 ハワイはとてもキレイで過ごしやすいので、ここに一生住みたいと思いましたね。いったんハワイを離れましたが、1962年にハワイ大学でドイツ語を教える職を得たので、以来ずっとハワイにいます。

 当時ハレクラニのハウテラスによく行きましたが、ヤシの木の下に駐車したのを覚えています。まだ周りにホテルが立ち並んでいなかったので、ワイキキでもタダで駐車できる所がたくさんありました。クイーンズサーフ海岸には「クイーンズサーフ」というとてもハワイらしい雰囲気のビュッフェスタイルのレストランがありました。隣接して「プカプカ・オテア」という裸足でも行けるバーがあり、タヒチアンダンスのエンターテインメントが楽しめて、とても人気がありました。

 アラモアナセンターは今よりずっと小規模で、今メイシーズがあるところは空き地でした。隣のアラモアナビルの屋上には「ウィンドウズ・オブ・ハワイ」という床が360回転してホノルルをぐるりと一望できるレストランがありました。

 思えば良い時代でしたが、時を止めることはできないので仕方がないですね。

1960年両親と。右がアルバートさん

 

 

Albert Schütz
1936年インディアナ州サウスベンドに生まれる。1958年インディアナ州パードゥ大学卒業。1962年コーネル大学言語学博士号取得。1962年よりハワイ大学マノア校で教鞭をとるかたわら、フィジー語、ハワイ語をはじめとする南太平洋の言語学の研究に携わる。日本語の「ハワイ語のすべて」「Fijian Reference Grammar」「The Voices of Eden」を含む40冊余りの本を出版。

(2019年7月16日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年7月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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