かつてのマウイを回想する

 

 

私は6人兄弟の末っ子としてマウイ島プウネネに生まれましたが、パイアで育ちました。父方の祖父母は、山口県大島郡の出身で、パイア砂糖プランテーションで働くために1891年にマウイに移住しました。母も山口県大島郡生まれで、実家は絹の帯を染色する家業をしていました。父は二世、母は一世ですので、私は二・五世です(笑)。

炎天下の砂糖耕地での仕事は重労働だったので、祖父母はプランテーションとの2年契約満了後、馬の育成牧場を始めました。祖父母は元歯医者の邸宅を買い、空いた部屋は人に間貸ししていました。

パイアというのは「うるさい」という意味で、砂糖工場でさとうきびを砕く音がうるさかったのでその名が付いたと聞いています。父は19歳の頃、ホノルルのゼネラルモーターズの代理店に見習いに行って仕事を覚え、ガソリンスタンドを始めました。

お客さんの中には、修理代やガソリン代を払えなくて、お金の代わりに砂糖や精製前の生砂糖を持って来ることがありました。生砂糖は日本料理やコーヒーに入れて飲むとおいしいので、父はとても喜んでいました。

父は小林劇場という映画館を経営していたこともあります。当時、映画は主要な娯楽でしたから、パイアにはプリンセス劇場、なるまる劇場という映画館もありました。小林劇場では、日英両語の映画を上映していて、山口淑子主演の「支那の夜」という映画を見たのを覚えています。

父はペプシコーラやNehi飲料のフランチャイズ事業をしていたこともあり、工場にはソーダ水を瓶詰めする機械や製氷機がありました。でも戦争になり、飲み物の原料が本土から届かなくなったので、父はパイナップルやグアバジュースを売り始めました。パイナップルやグアバジュースは、しばらくすると発酵してソーダ水のように泡が出るので結構人気がありました。

 

子どもの頃のパイア

私が子どもの頃には、パイアには、製糖工場、ナシワ・ベーカリー、イケダストアという服屋、魚屋、肉屋、郵便局、歯医者などがありました。私はスクールバスに乗って学校に行きましたが、帰りは親からもらったバス代を使わずに歩き、ナガタストアやホリウチストアという雑貨屋に立ち寄って、おやつを買うのが楽しみでした(笑)。

夏休みは毎日友達と海に行きましたが、当時は親の監視がなくても大丈夫でした。友達とキャンプをして、魚を釣ったり、ハトを捕まえて食べました。ご飯を鍋で炊いたときには、よくおこげができたのを覚えています。

印象に残っているのは1946年4月1日の早朝の津波のことです。ちょうど海岸にいて、海が干上がり、いつもは見えない岩が見えていたので珍しくて友達と見ていたのです。でもバス停にスクールバスが来たので、バスに乗って学校に行きました。 その直後に津波が来て、ハワイ島ヒロを中心に159人が亡くなりました。津波の後に同じ海岸に行ったら、魚がたくさん死んでいましたが、自分もあのまま見ていたら死んでいたかもしれません。

1934年小林さんの一族。小林さんは後列左から2人目の父親に抱えられた子ども

 

 

Victor N. Kobayashi
1932年マウイ島プウネネ生まれ、マウイ高校卒業。1954年ハワイ大学マノア校教育学部卒業。1960年同校同学部修士課程修了。1961年から1964年まで米空軍の中尉・気象学者を務める。1964年ミシガン大学教育学部日本研究学博士号修了後、同校で助教授として教鞭を取る。1966年から2007年までハワイ大学マノア校で教鞭を取るかたわら同校夏期講習、アウトリーチカレッジ学部長としても活躍する。

(2018年8月16日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年8月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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