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人気コラム

  • 2019.9.20

元シェブロン社経営幹部ウォーレン・スミス

    幼少の頃のワイキキやアルバイトを回想する 私は1936年に、当時米領土だったパナマ運河地帯に生まれました。母方の祖父母はポルトガルからの移民で、母はホノルル生まれのポルトガル系2世です。父はアングロサクソン系白人で、海軍の軍人でしたから転勤が多かったですが、私が4歳のときに家族でホノルルに戻り、ワイキキのルワーズ通り、今スターバックスがあるところに住んでいました。  母はクムフラ(フラの先生)で、ワイキキの『ベティ・レイ』というフラ・スタジオでフラダンスを教えたり、踊ったりしていました。母がフラのショーに出ていたので、私も子どもの頃、母の公演にタダ働きで出たことがあ […]

  • 2019.9.20

元ハワイ日米協会会長 アール大川

    かつてのワイアルアやえひめ丸事故を回想する 私はワイアルアのランチキャンプ生まれの日系3世です。母方の祖父母は熊本県出身で、父方の祖父母は山口県大島郡の出身です。祖父母は砂糖プランテーションで働くために移住しました。  私が子どもの頃は、ワイアルアはプランテーションの村として知られ、辺り一面サトウキビ畑でした。ランチキャンプには、プランテーションで働く日系人やフィリピン系の家が50件ほどありました。住民は皆、血のつながりのない親戚のような感じでしたから、誰も家に鍵をかけませんでしたね。  ワイアルアには、製糖工場、小学校、郵便局、本願寺、靴屋、田辺荒物雑貨店、フジオ […]

  • 2019.9.20

LIVELY INSTITUTE Founder稲川裕基

    山育ちの僕が懐かしさを覚える海 ただ身を置くだけで心が浄化されます   大学生の頃、親戚がハワイ土産でボディーボードを買ってきてくれ、海へ行き、その延長でサーフィンをするようになりました。通っていたのは名古屋の自宅から行ける伊良湖という海。山に囲まれたコロラド州で生まれ育ったので、海とは縁がなかったのですが、海へ行くとなぜか懐かしい気持ちになりました。山と海は、実は共通しているところがあって、その美しさや静けさが、心を落ち着かせてくれるのです。  社会人になってからも、毎週金曜夜には海へ向かっていました。お世話になっている海をきれいにするため、イベントを開 […]

  • 2019.9.20

HAWAII NEWS NOW Weather Anchor ガイ ハギ

  素晴らしい友人たちも天気予報の仕事も サーフィンで得た人生の宝   14歳で始めたサーフィンは、私の人生の基盤となりました。  大学在学中にサーフショップで働き始め、1980年頃からラジオ局でサーフリポートをスタート。インターネットがなかった時代なので、島中を巡りながら約20年間、波情報を伝えました。20年もの間、30分に1回、私の声が流れてくるので、私の声と名前はハワイですっかりおなじみに。誰かと話していると「あれ? その声知ってる」なんていわれることも、よくありました(笑)。  波への興味が天気予報へと移っていったのは自然なことでした。1997年にテレビ局KHNLで […]

  • 2019.9.20

Aska ゲートウェイ・エステーツ Inc. President & Co-CEO、Principal Broker 富田千賀子

    「ハワイを玄関口(ゲートウェイ)として、アメリカのさまざまな地域の不動産をご案内したい」という願いが込められた総合不動産会社『Aska ゲートウェイ・エステーツ』。富田千賀子代表に、人生の転機を伺った。 これまでの人生を振り返ると3回の転機がありました。最初は何と言っても、ハワイに移住したこと。全く興味のなかったハワイに初めて来たのは新婚旅行のとき。到着間際に機内でパイロットが発した言葉が「ウェルカム・トゥ・パラダイス」。ハワイ島に降り立ったときに聞こえた鳥のさえずり、目の前に広がる青い海に、本当にパラダイスだと心を奪われ、「ここに住みたい!」と思いました。  それ […]

  • 2019.9.20

Hibiscus Interactive, LLC. 代表  テッド斉原

    スマホ時代の需要に応え、デジタルツールを活用したマーケティングを行う『ハイビスカス』。ハワイで15年間、バイリンガルスキルを生かして日米の経営者をサポートし続けてきたテッド斉原代表に、人生の転機を伺った。   5歳のときにニューヨークへ移住し、刺激の多い環境下で育ちました。一番刺激的な出来事は高校入学後、初めてパソコンを手にしたとき。人生が決まった瞬間でした。あらゆる情報を瞬時に入手できる! と感動したのです。NYの新人アーティスト情報や最新音楽情報などを誰よりも早くキャッチしては、友達とシェアしていました。そのうちに自分がコンピューターグラフィックで作っ […]

  • 2019.9.20

Roy’s オーナーシェフ ハワイ・フード&ワイン・フェスティバル 創始者 ロイ山口

    ハワイで初めて「料理界のアカデミー賞」といわれるジェームズ・ビアード賞に輝いたシェフであり、『ハワイ・フード&ワイン・フェスティバル』創始者でもあるロイ山口さんに、人生の転機について伺った。       神奈川県の座間にある米軍基地で育ち、18歳まで日本に住んでいました。16歳のときに料理教室に参加したところ、女子14人に男子が2人と女の子がたくさん! そんなクラスで習う料理がものすごく楽しくて、将来シェフになろうと決意。高校卒業後、NYの名門料理学校「カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ」に入学しました。   もち […]

  • 2019.9.20

NEXUS インターナショナル インシュアランス・スペシャリスト ミドリ・デニーズ

    17歳のときにハワイに移住し、出産。今は保険のスペシャリストとして、助けてくださったハワイの人々に恩返し中です。     父も母も建築家の家に生まれ、母からは事あるごとに、女性として自分の仕事を持ち、収入を得ることが大切だと言われて育ちました。やりたいこともわからず、進学校に通っていた高校時代、真剣に進路を考えることもせず、遊んでばかりいました。  そんなときに、13歳年上のハワイ出身の男性と出会い、子どもが好きで早くお母さんになりたいと思っていた私は結婚を選び、彼の住むハワイに移住しました。しかしながら後に離婚。若さゆえの勢いで移住を決めました […]

  • 2019.9.20

第25回【アオレレ・ストリート】空港の周りには雲を表す通りの名が

        ダニエル・K・イノウエ国際空港。ホノルル空港に上院議員の名が付けられたのは2017年4月。ヒッカム空軍基地と滑走路を共用しています。  アオレレ通りは、日本や隣島へ行くのに何気なく利用するホノルル空港にあります。ハワイアン航空が使用する第1ターミナルの山側、郵便局のビルの前からダイヤモンドヘッドの方向、ケイヒラグーンに向かって長く延びている通りです。  「アオ」はハワイ語で雲や陽の光、「レレ」は飛ぶことを意味しますので、「アオレレ」は貿易風に乗って流れてくる雲を表しています。ホノルル到着時に感じる、なんとも爽やかな気候を象徴するような名で […]

  • 2019.9.20

第24回【ヤング・ストリート】カメハメハ大王を支えた英国人

      ジョン・ヤングは1744年ランカシャー生まれの英国人。  ヤングの名を冠した通りが、ホノルル美術館前のトーマス・スクエアから、ハワイ日本文化センターの前のモイリイリ公園まで東西に走っています。ベレタニア通りとキング通りの間にあって、あまり目立たないかもしれませんが、この三つの通りの名は19世紀半ばにはすでに記録に残っています。  カメハメハがハワイ王国を創り上げる4年前、1791年3月。ある米国の貿易船がハワイ島コナの南、ケアラケクア湾に到着した際、1人の船員が上陸したまま行方不明になりました。その人物がヤングです。  ハワイ島全てを支配した後、他の島 […]

  • 2019.9.20

ラヴィ

    初めてのマイホームを買ったときのワクワク感を僕は今でも憶えている。あの頃の僕らには、大きな夢がいっぱいあった。楽しい“ペンキ塗りパーティ”まで計画していたのだが、やってみると現実は随分違っていた。楽しいどころか、ペンキはあちこちに飛び散るものだということを今更ながら発見。髪の毛や顔や腕にこびりついた白ペンキを垢すりみたいにゴシゴシ擦り取る毎日だった。そして最近はと言うと、わが家の家計は修理・改装に牛耳られている。夢に描いたあの素敵なマイホーム完成への希望は薄れる一方だ。もしも本当にお金持ちだったら、トランプ・インターナショナル・ホテル・ワイキキやザ・リッツ・カールト […]

  • 2019.9.5

オノ2ガイズ

    僕は以前、カマアイナ割引を受けるのにどうして居住証明が必要なのか不思議に思っていた。着古したハワイアンプライドTシャツにボードショーツ、足丸出しのビーサンといういでたちで、ふんぞり返って歩いている姿を見れば、一目でロコだとわかるはずだ。重度の日焼けで真っ赤になった真っ白の肌にでっかいハイビスカス柄の派手なアロハシャツをまとい、ウエストポーチを腰に巻いたペアルックの旅行者とは紛れなく違うではないか。しかしこうして筆を走らせていると、なんかその理由が明らかになってきた。僕はアロハシャツというものをまず着ることがない。なぜかと言うと、メンズバッグを肩に掛けた色白の僕がアロ […]

  • 2019.9.5

ハナ-レイ・アット・22カイルア

    日本人であるということ。それは僕にとって、とめどなく謝り続けることを意味する。相手の過ちであった場合でさえも許しを請うのは、唯一日本文化だけだろう。いつだったか日本のあるカフェで、ウェイトレスの人に勘定書を持ってきてくれるよう頼んだことがあった。彼女は、僕が気づいていなかったテーブルの上に置かれてた勘定書をそっと指差し、「すみません、お見えにならなかったようで。お気づきいただけるように置かなかったことをお詫びします」と謝った。彼女が言わんとしたことはおそらく「あなたはコウモリみたいに盲目で、明らかにそこにあるものが見えないほど視力がダメになってしまっています(つまり […]

  • 2019.8.1

フィンカ・ビューティー・サロン 店長・スタイリスト坂本和也

    2015年のオープンから、今では1カ月先まで予約の取れない人気の美容室に成長した『フィンカ・ビューティー・サロン』。そのサロンを立ち上げたスタイリストの坂本和也さんに、人生の転機について伺った。     就職の第1、第2希望は音楽のレコーディング・スタッフか音響エンジニア。第3希望が美容師。高校3年生の進路相談のときの希望です。友達とバンドを組んでいたので、音楽関係の仕事に就きたかったのですが、同時に髪を染めたり、パーマかけたり、友達の髪の毛をカットをしたりと髪を触るのも好きでした。美容の専門学校を見学したら思った以上に楽しそうで、美容師になるこ […]

  • 2019.8.1

おおきに マネージャー 川端史緒

    介護の仕事から大手企業の会社員、そしてハワイでおにぎり店オープンへ。 「ただいま」という気持ちになるような日本の味をハワイの皆さんに届けたい。     高校卒業後、福祉の専門学校へ進学、介護福祉士の資格を取得し、地元京都の老人ホームに就職しました。設立したばかりの施設だったため、入居者のスケジュールやレクリエーションを考えたり、職員みんなで施設を作り上げたりしました。職員も入居している方も良い人ばかり。自分の祖父母のような感覚で介護させていただきました。気力も体力も日々全力で出し切り、2年後、他の世界も見てみたいと思うようになり、介護の職場をいっ […]

  • 2019.8.1

ベセル・ユニオン

    僕は、ガイドつまり手引き書の意味を基本的に理解してはいるのだが、どうもうまく使いこなせない。特にそれがコンピューターとかスマホのガイドだったりすると、設定中に凍結してしまったり、ガイド自体が古くなっていたり、説明がわかりにくかったり、ヘルプボタンを押すと未解決のまま別のページに移動してしまったりする。セルフガイドはばかげている、と僕は思う。そもそも第三者(著者)からの手助けなのだから、セルフヘルプではなく、単なるヘルプに過ぎない。“セルフ”と言うから問題が生じるのだ。自分で何かをするということは、他人のヘルプなしでやるということ。つまり自分でするのだ。   […]

  • 2019.9.20

ILC & SWELL REALTY LLC 大岡 修

    日本人というよりサーファーであることが自分のアイデンティティー   16歳でサーフィンを始め、尊敬できる先輩たちと出会ってから、サーフィンは人生に欠かせない存在になりました。渋谷にある学校にいても頭の中は海のことばかり。「体調が悪くなった」と保健室を経由して海へ行ったこともありました。  大学時代は「サーフィンをとことんやってからでなくては社会人になれない!」とワーキングホリデーでオーストラリアに1年間滞在。さまざまな生い立ちを持つ同年代の人たちと触れ合い、多様な考え方、価値観があることを知りました。  そんな調子で大学5年間はサーフィン中心。毎年2月はバ […]

  • 2019.7.19

ハワイスパオーナー ハワイ州認定エステティック・インストラクター エツヨ・ソールド

    恵まれた日本での生活を後にして、ハワイに移住。手術・離婚・実家の倒産などを乗り越え、エステティシャンとして後進に技術を指導。   家族みんながエステやマッサージが大好きという家庭に育ちました。父は週に3回はマッサージを受け、母は週3回美容院に通い、姉はフェイシャル好き。そんな家族の影響か、13歳の頃にはお顔のお手入れを開始。化粧水、乳液をつけ始めていました。  高校卒業後、美容全般が学べる東京モード学園に入学。クリエイターの卵たちが集まる学校で、あのときほど自分が田舎者に思えたことはなかったですね。学校も創造性を磨くためにと海外旅行を奨励。私も世界の建築や […]

  • 2019.7.19

ハワイ大学名誉教授 アルバート・シュッツ

    幼少の頃のインディアナや昔のホノルルを回想する   私は1936年にインディアナ州北部の小さな田舎町サウスベンドに生まれました。私の父はドイツ系3世で、小学校に行くまでは家ではドイツ語を話していました。父方の曾祖父は1850年にアメリカに移住し、当時は石炭が主要エネルギーでしたから採炭業に携わっていました。  主要エネルギーが石油に代わり始めたのを機に、曾祖父はインディアナ州の農地を買い、牧場を始めました。私はその牧場の近くの農場で育ちました。家ではニワトリやブタを飼い、主にトウモロコシを耕作していました。  私は6歳の頃から農場の手伝いを始め、当時はトラ […]

  • 2019.7.19

布哇大神宮 宮司 ハワイ日系人連合協会 会長 岡田章宏

    明治36年(1903年)に日系移民の心のよりどころとして創建された『布哇(ハワイ)大神宮』。日本の神、ジョージ・ワシントン米初代大統領、カメハメハ大王もまつられる神社の岡田章宏宮司に人生の転機を伺った。   三重県の伊勢神宮から800メートルという場所で生まれ育ちました。実家は祖父の代からお守りやお札を作っていました。そのまま神道を歩みそうですが、兄が家業を継ぐことが決まっていたので、私は大学で経済学を専攻。クラブはボート部。就職は第1志望の企業1社に絞り、そのまま一般企業へ就職するつもりでした。ところが就職面接の当日、電車の事故があり、間に合わなかったの […]

  • 2019.7.19

BRUG LLC President & CEO崔 美保

    2013年のハワイ上陸から6年。紆余曲折を経て、今年5月に5店舗目をカハラにオープンさせた北海道発の『ブルグ・ベーカリー』。その復活劇を繰り広げた仕掛け人、崔美保社長に人生の転機を伺った。     人生最初の転機は9歳のときです。24時間テレビで『ウィー・アー・ザ・ワールド』を歌うマイケル・ジャクソンを見て、世界には天才がいる! と思って以来、世界に目が向くようになりました。航空会社に就職し、各国をめぐり、世界の人と触れ合い、今度は外から日本を見つめました。8年後、コンサルティング関係の企業に転職。食品の海外展開を手掛けました。  2009年に上 […]

  • 2019.7.19

JALPAK International Hawaii,Inc. President & CEO 栗田甲一郎

    日本初の海外パッケージツアーブランド『ジャルパック』。今ではハイエンドツアーからリーズナブルなツアーまで、その選択肢を広げ、変遷を遂げてきた同社ハワイの社長、栗田甲一郎さんに人生の転機を伺った。       北海道北部の羽幌という町で生まれ、千葉のローカル線小湊鉄道が走る田舎町で育ちました。遠い存在であった海外へ興味を持ち、海外パッケージツアーを扱うジャルパックに就職しました。  東京本社に配属され、1年半はヨーロッパ方面のツアーコンダクターをしました。その後、大阪支店で予約やセールス、東京本社でハワイツアーの企画、経営管理部門へ。異動 […]

  • 2019.7.19

日本人料理長就任で,ハワイの食材と和食の技術が融合

      雄大なダイヤモンドヘッドを一望する、クイーン カピオラニ ホテルにある『デック』。日中には青空を、夕方には夕日を浴びて赤く染まるダイヤモンドヘッドを、夜は星空を眺めながら楽しめるメニューが一新された。イタリアンや和食の名店で修業を積んだ久保雅嗣氏が料理長に就任し、手掛けた料理だ。      「地元の食材を最大限に生かしたメニューを作りたい」という久保氏。ティの葉でスズキを丸ごと包んだ蒸し焼きなど、ハワイの伝統と素材の味を重視しながらも、ステーキにはワケギのペーストにゴマ油を加えたオリジナルのチミチュリソースを添えるなど、日本人ならで […]

  • 2019.7.19

今年のマンゴーメニューは 海の幸とマンゴーが共演!

    夏のハワイの恵み、マンゴー。その味を生かしたクリエイティブなメニューを堪能できるのが、『タオルミーナ・シチリアン・キュイジーヌ』恒例の夏季限定マンゴーメニューだ。      今年は〝夏の夢〟を意味する『マンゴー・ソニャーレ・サマーメニュー』と題して、カキとタコにフィーチャー。「甘くねっとりしたマンゴーと魚介の相性は抜群」と話す三村シェフのこだわりはハワイでも希少なゴールデンマンゴーとヘイデンマンゴーを使うこと。    甘みの強いオイスターとマンゴーの濃厚な味にフィンガーライムの塩味をきかせた“オイスター・ミニョッテ”。味わい深いスペイン […]

  • 2019.7.19

ティービーディー… 

    年をとるということは、大変なことだ。近視なので遠くが見えるコンタクトレンズをずっと使用してきたのだが、年とともに近くのものがぼやけて見えるようになり、老眼用レンズもはめることにした。それはよかったのだが、いちいち片目を閉じて使い分けなければならないのが厄介だ。(ちなみに、どうして目を細めるとき、背中を丸くしてしまうのだろう?)この調子で行くと、10年後、僕の体はどれほど働きが鈍ってしまっているのだろうかと想像すると無性に心配になってくる。僕のPR会社のクライアントであるレストラン「TBD…」で最近何度か食事をしたのだが、こういう五感に訴えるマルチセンサリ […]

  • 2019.7.9

第23回【ワイリー・ストリート】ハワイ王国外務大臣 日本との関係も

    ロバート・C・ワイリーはスコットランド生まれ。ハワイ王国の外務大臣を務めた人です。  ホノルルのダウンタウンから日本国総領事館やマウナアラの王家の墓地の前を通り、山に向かって真っすぐ伸びるヌウアヌ通りがパリ・ハイウエイに接する交差点から、エヴァ(西)方向に向かう道が、ワイリー通り。マエマエ小学校がある道です。このワイリー通りがパリ・ハイウエイに接する東側、ヌウアヌ川沿いに彼の家があったことが知られています。  この通りの名になったワイリーはグラスゴー大学を卒業した医師で、船医になり南米やインドにも住み、1844年にカメハメハ3世の治めるハワイに来島。3世の良き助言者 […]

  • 2019.7.9

第22回【タンタラス・ドライブ】ハワイ王国と英国の絆

      英国のヴィクトリア女王の名を冠したのか、それともカメハメハ5世と4世の妹ヴィクトリア・カマーマル王女から名付けられたのか?  ヴィクトリア通りはサウス・キング通りのNBCホール横から山に向かい、トーマス・スクエアとホノルル美術館の東側を通る短い道です。しかしH1フリーウェイの山側にも同じ名の通りがありますので、高速道路が造られる以前はパンチボウルの丘に向かって、もう少し先まで延びていたのでしょう。  名の由来はさておき、この道はどうやら1850年頃には既にヴィクトリア・ストリートと呼ばれていたようです。19世紀半ばのハワイ王国はカメハメハ大王の息子、カ […]

  • 2019.7.10

デック

    ハワイのモノの質の向上には目まぐるしいものがある。アイランドスリッパ、シグ・ゼーン、マナオラ 、ファイティングイール、ビッグアイランド・キャンディーズ、ハワイアンホーストなどフォワードルッキングな製品やコンテンポラリーあるいは時代を反映したスタイルを展開する多くのローカルブランドが次々と名をあげている。ひと昔前までは、旅行者のカップルが飛びつく派手なハイビスカス柄のアロハシャツ(結局ローカルはそんなものを着ないのだとすぐに気づいてしまうのだが)のように、メイド・イン・ハワイのものはやたら安っぽいものばかりに思えたのを憶えている。茶色の紙で包み、ラフィアをリボン替わり […]

  • 2019.7.19

Photographer喜納貴子

    人生の鍵となるサーフィンに幸せをもらい、救われて・・・   私にとってサーフィンは人生のキーポイントです。高校卒業後、2003年にハワイの大学へ進学。すぐにサーフィンを始めました。それまではボディーボードをしていて、サーフィンにずっと憧れていたんです。  サーフショップでインターンとして働き、そこで出会ったのがプロサーファーである今の夫です。結婚後、夫は日本のグランドチャンピオンとなった一方で、気象予報士の資格を取得。その仕事の関係でモンタナ州に5年間暮らしました。海から程遠いこの地でチャレンジしたのがリバーサーフィン。大きな川では、春になると山から雪解け […]

  • 2019.7.19

JAL PAK 副マネージャー 笹澤 勇悟

    ハワイの海で学んだ〝調和〟が生きるヒントにつながりました   子どもの頃から毎年冬は家族全員で雪山にこもってスキーをしていました。本格的にスノーボードもするようになっていた20歳のとき、夏休みに海へ行き、「サーフィンも似てるからできるだろう」とチャレンジしたのが初めてのサーフィンでした。  いきなり始めたのはショートボード。スキーやスノボとはまったく違って地面(海)は動くし、斜面ではないので勝手に滑ってはくれない! 今まで体験したスポーツの中で一番難しく、夢中になりました。スノボを止めて、冬も海へ通いました。独学で3カ月間でなんとか波に合わせて横に滑ること […]