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人気コラム

  • 2021.4.2

いちふじ

  大学はプレッシャーの下で頑張るスキルを身につける助けをしてくれたように思う。割り当てられた教科書をセミスターを通して適度なペースで読んでいけばいいものをサボってしまい、中間・期末試験の直前の週になって慌てて詰め込み勉強をしたものだ。   試験前日は、蛍光ペンでマークしておいた要所だけを読み返し、さらにその中から忘れそうな点を書き留めた。そして当日には、開始寸前までそのメモに何度も目を通した。実際に勉強したのはセミスター中ほんの3・4週間くらいだったにもかかわらず優秀な成績が取れたのは、おそらく大事な情報をどんどん煮詰めていくこのやり方が手伝ったのだと思っている。 そう言 […]

  • 2021.4.2

Pizza Mamo〜ピッツァ・マモ〜

  僕は旅をしたとき、その土地で暮らしたらどんな風だろうと想像してみることがよくある。もしもどこかに移住するとしたら、おそらく食の選択肢がより豊富な大都会を選ぶだろう。醤油と米なしで1週間以上過ごせないから、アメリカ国内ならアジア人人口の多い町。また、旨いピザが好きなのでイタリア人が多く住んでいることも肝心だ。 ピザが美味しい町と言うと、本場のナポリとシシリーを除いて、ニューヨーク、シカゴ、セントルイス、デトロイトなどほとんどがアメリカ本土の都市だが(但し、僕の意見ではセントルイスとデトロイトは最下位)、先日なんとこのホノルルでデトロイトスタイルとブルックリンスタイルのピザを体験する […]

  • 2021.2.19

桜テラス

    マグロ5貫($25) – 赤身、中トロ、ネギトロ、づけ、炙り     最近、仕事絡みの(もちろん完全にプラトニックな)ディナーに僕から誘われた20代の女性ファッションエディターにとって、アラフィフのPRマンである自分はどれほど気持ち悪く映るのだろうかと考えるようになった。そしてそう思うに連れ、次の人生のステージでキャリアチェンジをすべきなのではないかと強く感じるようになった。20代・30代の頃は、やれ食事会だ、飲み会だ、カラオケパーティだと夜中の2時ごろまでどんちゃん騒ぎでエディターやセレブリティの人たちをもてなしていた。 ところがど […]

  • 2021.2.1

寿司バー at 和さびビストロ

毎年バレンタインデーが近づくと、何か特別なディナープランしなければと焦ってしまう。僕ら夫婦がデートし始めた頃は、絵のようなサンセットや海の景色、うっとりするようなキャンドルライトセッティング、超贅沢なテーブルサイドサービスなどが選択の基準だった。しかし、時の流れとともにそれは変化し、今では便利さ、居心地の良さ、あるいは目当ての料理があるかなどで決めるようになっている。ただ一点だけ変わらないなのは、普段よりも豪勢な食事であるということが暗黙の了解であることだ。 機内食並みの料理を集めたコースディナーを提供するバレンタインデーに乗じた商業作戦に飽き飽きしている僕らは、今年は寿司にしようということで […]

  • 2020.12.4

ファームハウス・カフェ

  一年には、バレンタインデー、ひな祭り、母の日、クリスマス、誕生日、アニバーサリーなどなど、女性たちがセンチメンタルに感じる日があちこちに散らばっている。僕ら大方の男たちにとって、それはまるで地雷原を行くようのものだ。中には出逢った日や初デート、婚約記念日、初めていっしょにシャネルの時計を買った日とかまでお祝いしたがる女性たちもいる。これは単に贈り物を買わせるための策略だと僕は思っているのだが、万一忘れてしまおうものなら一生の借りができてしまうので、無視するわけにはいかない。   20年ほど前にアメリカ本土からハワイに移住してきた「ファームハウス・カフェ」のモロッコ出身シ […]

  • 2020.12.1

エタァル

  いよいよホリデーシーズン到来。しかし、本来ならば華やかなはずのクリスマスとニューイヤーのお祝いも、今年はソーシャルディスタンスを厳守して地味に済ませなければならない。僕は、ほとんど誰とも会っていないからクリスマスのプレゼントは親友と家族のみにする、そして自由に使えるお金がないという2点を理由に、今年はけちん坊を通そうと決めている。 さて、先日ローカルスーパーマーケットチェーンのフードランドが新しくオープンしたカハラ・マーケット by フードランドに行ってきた。入ってみるとマヤ、シュレーダー、ガヤ、シャトーオーブリオン、オーパスワンといった高級ワインから、今年の僕の予算に合ったトロ […]

  • 2020.10.30

Off The Wall 〜オフ・ザ・ウォール〜

  大抵の大人にとって、高齢の親との同居には避けられない問題があると思う。親子という確固とした上下関係があり、親にとっては50代・60代になっていても子供は子供であることに変わりなく、ティーンエージャーのような扱いをする(不幸にも認知症にかかってしまうと役割が逆転してしまうが)。 僕の家では、6年前から妻の母親が同居している。彼女もやはり、僕ら(とりわけ妻)をまるでままごと遊びをしている高校生であるかのように扱い、ああしろ、こうしろと自分が長年やってきたやり方をやたら“教え込み”たがる。夜遅くまで外出するな、出掛けるときは必ず火元を点検しろ、風邪を引くといけないから上着を着て行け(ハ […]

  • 2020.8.31

Fooki 〜福囍〜

  激辛通の僕は、“Spicy!”とか“Red Hot!”(炎は赤い部分が一番温度が低いはずなのだが)とか表示された商品を見るたびに笑ってしまう。なぜかと言うと、せいぜい舌がちょこっと痺れる程度の反応しかないからだ。僕にとっては、死神級キャロライナリーパーでも使用されていない限り、いわゆる唐辛子チャレンジは挑戦ではない。   ただ、東南アジアの人にやや辛いと言われた際は、本当に耐えられるレベルかどうか判断できるまでマイルドかミディアムをオーダーすることにしている。入口と出口の両方で辛い思いをするようなことは避けたい。 一方、台湾や中国の人が辛いと言ったときは、それが湖南料理であろうと […]

  • 2019.11.20

パールハーバー航空博物館 ドーセント  王子リカ

    人のためになる仕事を探し求め、ようやく出会った現職。 悲惨な戦争の歴史を次世代に伝え、未来へつなげていきたい。   子どもの頃から祖父と二人暮らしで、「将来は人のためになる仕事に就きなさい」と祖父に言われて育ちました。日本語と韓国語を話していたので、「これからは英語も必要だ。日本以外の世界も見るとよい」と、祖父の勧めで2011年にハワイ島のコミュニティーカレッジへ留学しました。日本人が少ない環境を選んだのも祖父のアイデア。ハワイ島での初めての一人暮らしは、私を送り出してくれた祖父のことを思うと、切ない気持ちに押しつぶされそうになる日々でした。  ハワイの生 […]

  • 2020.9.15

1938 インドシン

    僕は概して政治家を信用していない。守る気もない空約束をし、解決どころか問題をより大きくする。そして、必ずと言っていいほど陰に何か思惑を持っている。赤ちゃんにキスしたりし、尊敬に値する立派な人間であるのだとやたらアピールしたがる。しかし僕は考える… 彼らは頂点に至るまでにどれだけの人たちを踏み潰して来たのだろうかと。   どうやらそう疑うのは僕だけじゃないみたいだ。アメリカ国民が抱く政治家への不信感は、ベトナム戦争への軍事介入に繋がったケネディ大統領のラオス政策から、議会をかわして実行したニクソン大統領のカンボジア爆撃に至るまで1960年・70年代のインドシナに端を発 […]

  • 2020.8.14

Pho 97

    COVID-19のせいで、ビジターインダストリーと関わりのある仕事をしている僕は、旅行産業とリテール産業がいかに深く繋がっているかを改めて知らされた。旅行者が来なくなって小売業が不振になり、そしてそれは僕のマーケティングビジネスにも多大な影響を及ぼした。9/11同時多発テロ事件の後、旅行を恐れて誰もハワイに来なくなったとき、僕は最悪の場合は以前やったことのあるウェイターになればいいと思っていた。   自分で言うのもなんだが、僕はなかなかなウェイターだった。だから、今回も鈍った腕を磨き直し、またやってみようかなんてぼんやり考えたりしていたのだが、チャイナタウンの「フォ […]

  • 2019.11.14

Kazuma @ ヴィンテージ・ケーブ

    僕は睡眠障害とまったく縁がない。多分立っていても寝られると思う。そんな僕が一番困るのがシアターだ。アクションとかドキドキさせられる映画が見られるムービーシアターではなく、オペラやミュージカル、演劇などを鑑賞する劇場が厄介だ。どんよりとした空気漂うあの薄暗い空間にいると、知らず知らずのうちに睡魔に襲われる。まぶたがとろ~んと重くなり、意識は朦朧とし、いつの間にか僕の大きな頭はこっくりこっくり。ガクンとビックリして目覚めるのも束の間、同じことを何度も何度も繰り返す。しかし、それに増して恥ずかしいのは、出張旅行の帰りの飛行機の中で自分のいびきに驚いて目覚めることだ。一体全 […]

  • 2019.11.14

アイランド・ヴィンテージ・ワインバー

    僕がハッピーアワーというコンセプトを楽しめることは滅多にない。ましてやそれをよく理解することもできない。第一、ハッピーアワーが開催されている時間帯は大方仕事をしているし、Eメールやレポートに目を通し、ミーティングや撮影を終えた頃には、そういう巷のハッピーな数時間は終わってしまっている。だから、僕にはレギュラープライスを払うしかチョイスがないのだ。第二に、旅行者以外で昼間の2時半に酒を何杯も飲む人なんているのだろうか?もちろんランチで飲むグラス1杯のワインのことを言っているのではないが。みんながみんな8時5時の仕事をしているのではないということは僕だって承知している。 […]

  • 2019.11.14

ジョリーンズ・マーケット

    僕が今仕事でやっていることは、学生時代に得意だったものと随分違っている。本当は英語よりも数学に強かった。ホノルルの小学館アカデミー風の塾でチューターとして子供たちに算数を教えていたことさえあった。しかし、大人になって広告・広報の畑で仕事をしだしてから、事は一転してしまった。今では、年間広告費や歳入の予算編成よりも、プレスリリースやフードコラムのライターとして知られている。それがいいことなのかどうかは今もよくわからない。しかし何れにしても、やりはじめたことがまったく違う結果に収まってしまうことがあるのだということを学んだ。 チャイニーズ・カルチュラル・プラザ内に新しく […]

  • 2019.9.30

シーソルト・オブ・ハワイ オーナー  サンドラ・ギブソン

    自分のキャリアをあきらめ、夫の転勤にあわせて十数回も各地を移動。最終転勤地のハワイで出会ったハワイアンソルトが、今の私の情熱の源です。     オーストリアのウィーン生まれの私は、ホテルスクールに通い、卒業後は地元のホテルに就職しました。ところが、当時のウィーンでは女性がホテルビジネスで活躍できるチャンスはあまりなく、結婚した夫の赴任地であるハワイに引っ越し、ハワイアン航空のフライトアテンダントになりました。ヨーロッパからのお客様も増え、ドイツ語、フランス語、英語が話せるということで重宝されました。ハワイアン航空はハワイの文化の伝承に力を入れてい […]

  • 2019.9.30

ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート 支配人(GM) 栗山智英

    ワイキキを象徴するピンクパレスと呼ばれる「ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート」。創立92周年を迎えた、このホテル初の日本人支配人、栗山智英さんに人生の転機について伺った。       東京生まれの私は、不動産業を営む父の仕事の関係で7歳でハワイに移住。日本語を忘れないようレインボー学園に通学しつつ、中・高校を卒業後は、ハワイパシフィック大学(HPU)で、インターナショナルビジネスを専攻しました。運命が変わったのは、卒業前にシェラトンワイキキでインターンシップとして働いたこと。当時の支配人がパワーポイントを上手に […]

  • 2019.9.30

和風ダイニング「きくゑ」

    子供の頃、僕にはいろんなルールが定められていた。早寝早起きをし、健康的なものを食べ、ジャンクフードはほどほどにし、絶対に嘘をつかず、人は公平に扱い、夜9時以降は電話もエレクトロニクスも使わないなど、数え上げればきりがないほどたくさんあった。矛盾しているのは、人は大人になると、そういう子供の頃に決められていたルールをほぼすべて守らなくなることだ。実際のところ、僕自身スマホいじりを夜9時前にやめることはまずないし、最後に自分の意思で夜9時前に就寝したのがいつのことだったか思い出せない。考えてみれば、どうも僕には反抗的なところがあるみたいだ。賞味期限を1日過ぎた牛乳はへっ […]

  • 2019.9.20

元シェブロン社経営幹部ウォーレン・スミス

    幼少の頃のワイキキやアルバイトを回想する 私は1936年に、当時米領土だったパナマ運河地帯に生まれました。母方の祖父母はポルトガルからの移民で、母はホノルル生まれのポルトガル系2世です。父はアングロサクソン系白人で、海軍の軍人でしたから転勤が多かったですが、私が4歳のときに家族でホノルルに戻り、ワイキキのルワーズ通り、今スターバックスがあるところに住んでいました。  母はクムフラ(フラの先生)で、ワイキキの『ベティ・レイ』というフラ・スタジオでフラダンスを教えたり、踊ったりしていました。母がフラのショーに出ていたので、私も子どもの頃、母の公演にタダ働きで出たことがあ […]

  • 2019.9.20

元ハワイ日米協会会長 アール大川

    かつてのワイアルアやえひめ丸事故を回想する 私はワイアルアのランチキャンプ生まれの日系3世です。母方の祖父母は熊本県出身で、父方の祖父母は山口県大島郡の出身です。祖父母は砂糖プランテーションで働くために移住しました。  私が子どもの頃は、ワイアルアはプランテーションの村として知られ、辺り一面サトウキビ畑でした。ランチキャンプには、プランテーションで働く日系人やフィリピン系の家が50件ほどありました。住民は皆、血のつながりのない親戚のような感じでしたから、誰も家に鍵をかけませんでしたね。  ワイアルアには、製糖工場、小学校、郵便局、本願寺、靴屋、田辺荒物雑貨店、フジオ […]

  • 2019.9.20

LIVELY INSTITUTE Founder稲川裕基

    山育ちの僕が懐かしさを覚える海 ただ身を置くだけで心が浄化されます   大学生の頃、親戚がハワイ土産でボディーボードを買ってきてくれ、海へ行き、その延長でサーフィンをするようになりました。通っていたのは名古屋の自宅から行ける伊良湖という海。山に囲まれたコロラド州で生まれ育ったので、海とは縁がなかったのですが、海へ行くとなぜか懐かしい気持ちになりました。山と海は、実は共通しているところがあって、その美しさや静けさが、心を落ち着かせてくれるのです。  社会人になってからも、毎週金曜夜には海へ向かっていました。お世話になっている海をきれいにするため、イベントを開 […]

  • 2019.9.20

HAWAII NEWS NOW Weather Anchor ガイ ハギ

  素晴らしい友人たちも天気予報の仕事も サーフィンで得た人生の宝   14歳で始めたサーフィンは、私の人生の基盤となりました。  大学在学中にサーフショップで働き始め、1980年頃からラジオ局でサーフリポートをスタート。インターネットがなかった時代なので、島中を巡りながら約20年間、波情報を伝えました。20年もの間、30分に1回、私の声が流れてくるので、私の声と名前はハワイですっかりおなじみに。誰かと話していると「あれ? その声知ってる」なんていわれることも、よくありました(笑)。  波への興味が天気予報へと移っていったのは自然なことでした。1997年にテレビ局KHNLで […]

  • 2019.9.20

Aska ゲートウェイ・エステーツ Inc. President & Co-CEO、Principal Broker 富田千賀子

    「ハワイを玄関口(ゲートウェイ)として、アメリカのさまざまな地域の不動産をご案内したい」という願いが込められた総合不動産会社『Aska ゲートウェイ・エステーツ』。富田千賀子代表に、人生の転機を伺った。 これまでの人生を振り返ると3回の転機がありました。最初は何と言っても、ハワイに移住したこと。全く興味のなかったハワイに初めて来たのは新婚旅行のとき。到着間際に機内でパイロットが発した言葉が「ウェルカム・トゥ・パラダイス」。ハワイ島に降り立ったときに聞こえた鳥のさえずり、目の前に広がる青い海に、本当にパラダイスだと心を奪われ、「ここに住みたい!」と思いました。  それ […]

  • 2019.9.20

Hibiscus Interactive, LLC. 代表  テッド斉原

    スマホ時代の需要に応え、デジタルツールを活用したマーケティングを行う『ハイビスカス』。ハワイで15年間、バイリンガルスキルを生かして日米の経営者をサポートし続けてきたテッド斉原代表に、人生の転機を伺った。   5歳のときにニューヨークへ移住し、刺激の多い環境下で育ちました。一番刺激的な出来事は高校入学後、初めてパソコンを手にしたとき。人生が決まった瞬間でした。あらゆる情報を瞬時に入手できる! と感動したのです。NYの新人アーティスト情報や最新音楽情報などを誰よりも早くキャッチしては、友達とシェアしていました。そのうちに自分がコンピューターグラフィックで作っ […]

  • 2019.9.20

Roy’s オーナーシェフ ハワイ・フード&ワイン・フェスティバル 創始者 ロイ山口

    ハワイで初めて「料理界のアカデミー賞」といわれるジェームズ・ビアード賞に輝いたシェフであり、『ハワイ・フード&ワイン・フェスティバル』創始者でもあるロイ山口さんに、人生の転機について伺った。       神奈川県の座間にある米軍基地で育ち、18歳まで日本に住んでいました。16歳のときに料理教室に参加したところ、女子14人に男子が2人と女の子がたくさん! そんなクラスで習う料理がものすごく楽しくて、将来シェフになろうと決意。高校卒業後、NYの名門料理学校「カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ」に入学しました。   もち […]

  • 2019.9.20

NEXUS インターナショナル インシュアランス・スペシャリスト ミドリ・デニーズ

    17歳のときにハワイに移住し、出産。今は保険のスペシャリストとして、助けてくださったハワイの人々に恩返し中です。     父も母も建築家の家に生まれ、母からは事あるごとに、女性として自分の仕事を持ち、収入を得ることが大切だと言われて育ちました。やりたいこともわからず、進学校に通っていた高校時代、真剣に進路を考えることもせず、遊んでばかりいました。  そんなときに、13歳年上のハワイ出身の男性と出会い、子どもが好きで早くお母さんになりたいと思っていた私は結婚を選び、彼の住むハワイに移住しました。しかしながら後に離婚。若さゆえの勢いで移住を決めました […]

  • 2019.9.20

第25回【アオレレ・ストリート】空港の周りには雲を表す通りの名が

        ダニエル・K・イノウエ国際空港。ホノルル空港に上院議員の名が付けられたのは2017年4月。ヒッカム空軍基地と滑走路を共用しています。  アオレレ通りは、日本や隣島へ行くのに何気なく利用するホノルル空港にあります。ハワイアン航空が使用する第1ターミナルの山側、郵便局のビルの前からダイヤモンドヘッドの方向、ケイヒラグーンに向かって長く延びている通りです。  「アオ」はハワイ語で雲や陽の光、「レレ」は飛ぶことを意味しますので、「アオレレ」は貿易風に乗って流れてくる雲を表しています。ホノルル到着時に感じる、なんとも爽やかな気候を象徴するような名で […]

  • 2019.9.20

第24回【ヤング・ストリート】カメハメハ大王を支えた英国人

      ジョン・ヤングは1744年ランカシャー生まれの英国人。  ヤングの名を冠した通りが、ホノルル美術館前のトーマス・スクエアから、ハワイ日本文化センターの前のモイリイリ公園まで東西に走っています。ベレタニア通りとキング通りの間にあって、あまり目立たないかもしれませんが、この三つの通りの名は19世紀半ばにはすでに記録に残っています。  カメハメハがハワイ王国を創り上げる4年前、1791年3月。ある米国の貿易船がハワイ島コナの南、ケアラケクア湾に到着した際、1人の船員が上陸したまま行方不明になりました。その人物がヤングです。  ハワイ島全てを支配した後、他の島 […]

  • 2019.9.20

ラヴィ

    初めてのマイホームを買ったときのワクワク感を僕は今でも憶えている。あの頃の僕らには、大きな夢がいっぱいあった。楽しい“ペンキ塗りパーティ”まで計画していたのだが、やってみると現実は随分違っていた。楽しいどころか、ペンキはあちこちに飛び散るものだということを今更ながら発見。髪の毛や顔や腕にこびりついた白ペンキを垢すりみたいにゴシゴシ擦り取る毎日だった。そして最近はと言うと、わが家の家計は修理・改装に牛耳られている。夢に描いたあの素敵なマイホーム完成への希望は薄れる一方だ。もしも本当にお金持ちだったら、トランプ・インターナショナル・ホテル・ワイキキやザ・リッツ・カールト […]

  • 2019.9.5

オノ2ガイズ

    僕は以前、カマアイナ割引を受けるのにどうして居住証明が必要なのか不思議に思っていた。着古したハワイアンプライドTシャツにボードショーツ、足丸出しのビーサンといういでたちで、ふんぞり返って歩いている姿を見れば、一目でロコだとわかるはずだ。重度の日焼けで真っ赤になった真っ白の肌にでっかいハイビスカス柄の派手なアロハシャツをまとい、ウエストポーチを腰に巻いたペアルックの旅行者とは紛れなく違うではないか。しかしこうして筆を走らせていると、なんかその理由が明らかになってきた。僕はアロハシャツというものをまず着ることがない。なぜかと言うと、メンズバッグを肩に掛けた色白の僕がアロ […]

  • 2019.9.5

ハナ-レイ・アット・22カイルア

    日本人であるということ。それは僕にとって、とめどなく謝り続けることを意味する。相手の過ちであった場合でさえも許しを請うのは、唯一日本文化だけだろう。いつだったか日本のあるカフェで、ウェイトレスの人に勘定書を持ってきてくれるよう頼んだことがあった。彼女は、僕が気づいていなかったテーブルの上に置かれてた勘定書をそっと指差し、「すみません、お見えにならなかったようで。お気づきいただけるように置かなかったことをお詫びします」と謝った。彼女が言わんとしたことはおそらく「あなたはコウモリみたいに盲目で、明らかにそこにあるものが見えないほど視力がダメになってしまっています(つまり […]