
42年間の政治家人生を歩み、日本政府より旭日章を受章。ハワイ日系人連合協会会長、広島県人会の活動など功績をあげてきたブライアン・タニグチ氏。気さくな人柄で誰からも慕われる同氏が、数々の転機を語ってくれた。
* * * * * * * * * * * * *
数多くの転機の中でも最初の大きな転機は1963年、小学6年生を終えた夏を広島で過ごしたことでした。広島出身の祖父は、毎年順番に孫たちを日本へ連れて行ってくれました。日本は居心地の良い場所でした。広島平和記念資料館を訪れ、灯籠流しも目にしました。この経験が、私の活動の原点になっています。未来を担う子どもたちの交流が、どれほど大切か、後になって実感したからです。
高校時代は、約180人のオーケストラと合唱団の一員として海外公演を行い、世界へと視野を広げてくれました。
大学は「ハワイから離れた地域へ」との父の勧めでイリノイ州へ。非常に保守的な土地で、ここでの経験も、自分を成長させてくれました。
「社会の役に立ちたい」という思いは中学の頃からありました。高校で生徒副会長を務め、学校改革に取り組む校長先生をサポートしました。ハワイ大学時代は学生代表のスチューデント・セネターに。同じ頃、ワイパフでローカルフィリピン系住民と、移住してきたフィリピンの人たちをつなぐ活動を行いました。地域コミュニティーのために働き始めたのはこの頃です。
1973年、大学のインターンシップで当時のジョン・バーンズ知事の事務所に勤務しました。知事が私のことに気付いているとは思ってもみませんでしたが、何年も経ってから秘書の方に、彼が折に触れて私の仕事の進み具合を気にかけていたと聞かされ、驚きました。こうして政治家に触れた経験が、後に政治の道を志すきっかけの一つになっています。
その後も地域活動を続け、弁護士となり、主に非営利団体に関する仕事を行いました。「もっと広くハワイのために働きたい」と考え、1980年にハワイ州下院議員に。教育、司法、消費者保護、そして日米交流などに取り組みました。公務員の労働組合でも7〜8年間活動しました。
42年間の政治人生で最も厳しい試練が2001年のアメリカ同時多発テロ、9・11です。当時、私は州予算を取りまとめる重要機関、州上院歳入歳出委員会の委員長を務めていました。観光業を基幹産業とするハワイは、全米でも最大級の経済的打撃を受けた州の一つ。急激な税収減に対応するため、州予算を全面的に組み直さなければならず、連日協議を重ねました。人員を増やすこともできない人手不足の中、全員で力を合わせ、この危機を乗り越えました。
2022年に政治家としての活動に一区切りをつけました。しかし、ハワイと日本の友好を深める活動は、今も私のライフワークです。
姉妹提携の実現以降、ハワイ州と広島県の交流を進め、ハワイ州と山口県との姉妹提携でも橋渡し役を務めるなど、支援を続けてきました。今後、特に力を入れたいのは、やはり子どもたちの交流です。姉妹校提携など、一つずつ課題をクリアしながら良いモデル作りをしていこうと思います。
個人的にも、娘や息子と一緒に孫たちを日本へ連れて行っています。私の活力源は何かと聞かれれば…、私自身が楽しんでいることです。

Brian T. Taniguchi◎1951年ホノルル生まれ。イリノイ州の大学卒業後、ハワイ大学マノア校へ。同大学ロースクール修了、弁護士に。ハワイ州下院議員(1980〜1994年)、ハワイ州上院議員(1994〜2022年)。2023年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。引退後も、文化・労働・教育、ハワイと日本の関係促進に関する団体などで要職に就き、活動を続ける。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2026年8月号掲載の記事です。