真珠湾に浮かぶ戦艦ミズーリ記念館で4月11日(金)、神風特別攻撃隊とUSSミズーリ艦上での水葬80周年を記念する式典が開催されました。
80年前の1945年4月11日、沖縄戦に参戦していた戦艦ミズーリに、特攻機の一機が低空飛行で向かい、右舷艦尾付近に衝突。機体が二つに割れて燃料が漏れて引火、ミズーリ甲板が火災となりました。その鎮火後に発見されたのは戦死した19歳の特攻隊員でした。
当時の戦艦ミズーリの艦長ウィリアム・キャラハン氏は、国のために命を惜しまず戦い抜いた勇敢な行動を讃えるため、敵兵である日本人パイロットに正式な水葬を行うという、当時としては異例といえる決断を下しました。
この行為は、同日にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が急逝したことでほとんど注目されませんでしたが、戦争を超えた人道的な行為として評価され、戦時下における勇気と名誉の象徴として今日まで語り継がれています。
今年の式典には、神風特攻隊の多くが出撃した南九州市の塗木弘幸市長や、ホノルル市のリック・ブランジャルディ市長らが出席し、過去を称え、未来への教訓を語りました。知覧特攻平和会館の川﨑弘一郎館長は、若き特攻隊員が書いた遺書を朗読し、歴史の声を今に伝えました。また、戦艦ミズーリ保存協会の学芸員フランク・クレイ氏は、当時の乗組員が記した日記の一節を紹介し、突入と水葬の様子を語りました。
最後には、第二次世界大戦当時の艦長ウィリアム・キャラハン氏の孫であるケアリー・キャラハン氏が基調講演を行い、祖父のリーダーシップとその遺産、そして和解と平和について想いを述べました。
「この敬意の表現は、計り知れない喪失と破壊の影の中で行われましたが、それは戦争中であっても私たちの共通の人間性を思い出させてくれます」と、戦艦ミズーリ保存協会の会長兼CEOマイケル・カー氏は語りました。
追悼の一環として、米海軍情報作戦司令部(NIOC)太平洋が、かつての「神風デッキ」での水葬の様子を再現。1945年と同じように、海兵隊による三発の礼砲と追悼ラッパが捧げられました。
また献花式では、戦争で命を落とした両国の犠牲者を追悼。最後には、参加者が神風機が残した凹みの真上から、船の縁に花を投げ入れました。
記念艦内には、神風特攻展示があります。この展示は今年で10周年を迎え、日本の姉妹機関である知覧特攻平和会館との協力によるもので、当時の手紙、遺品、写真、歴史的背景を通じて1945年4月11日の出来事を深く伝えるものです。
取材:ライトハウスハワイ