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アメリカンドリームを叶えたヨシダソースの吉田会長に聞く

『アメリカで人生を楽しく生きる方法』

吉田潤喜(よしだ・じゅんき)●ヨシダグループ会長 兼 CEO。1949年生まれ。空手八段。1969年渡米。現在ヨシダソース、レストラン経営、マンション・リゾート開発事業など多角事業を展開。地元の病院理事なども務める。

 500ドルを握りしめてアメリカに渡ったのが1969年。一人で作ったバーベキューソース『ヨシダソース(ヨシダグルメのたれ)』から始まり、年商約250億円のヨシダグループまで成長を遂げた吉田潤喜会長。世界で最も尊敬される日本人100人に選ばれ、優秀中小企業家賞では殿堂入り。著書「人生、金儲けやない、人儲けや!」にあるように、人に好かれる「人儲け」を信条としている吉田会長に人生を楽しく生きるヒントを伺った。

「こんちきちょ」をポジティブエネルギーに変えて

  1969年、当時19歳の吉田潤喜氏はアメリカ·シアトルに渡った。

 4歳でアクシデントにより右目を失明。「それ以来、周りからからかわれるようになったんや。『こんちきちょ。今に見とれ』と毎日けんかばかりしてな」。在日韓国人であることが原因になることもあった。もっと強くなるために空手を習った吉田少年は、空手の強豪大学を目指して猛勉強するも、受験に失敗。そこで選んだ道が、幼少期からその強さに憧れていたアメリカだった。母親はコツコツと貯金していたお金を差し出し、借金をして飛行機代と500ドルを持たせて送り出した。

 アメリカに着くなり、復路の航空券を売って中古車を買い、車中で生活していた彼は、餓死寸前で2回入院、不法就労で2回連行。ビザ取得のために学校に通ったことがきっかけで空手を教えることになった。その後、結婚。誕生した長女が黄疸の症状で命の危機に。集中治療により快方に向かったが、生活が苦しく保険未加入だったため、医療費の不安がのしかかる。ところが病院が示したのはたった250ドル。「ここはあなたたちのような方のために寄付金で賄われた病院です」との温かい言葉に、夫婦で涙を流して頭を下げながら「絶対に成功してこの何倍もお返しする!」と固く誓ったという。

 事業が軌道に乗って以来、吉田会長はこの病院と姉妹関係にある病院の理事となり、今に至るまで寄付や募金活動を行っている。「恩返しという強力なエネルギーも人生の大きな原動力になっている」という。

仕事の成功、アメリカンドリームの実現

  吉田会長に「アメリカはどんな国だと思いますか?」と尋ねると、「チャンスがある国」と答えてくれた。「4回も破産の危機にあって這い上がることができた。チャンスが舞い込んで来るんや」と。

 そもそも、空手道場を受け持ち、大学や警察学校で指導も始め、自ら考案した『ヨシダ・メソッド』は特別機動隊などの必須科目にもなった。ところが1980年頃の不況で道場の生徒は3分の1に激減。生徒からのクリスマスプレゼントのお返しをするゆとりもなく、苦肉の策としてかつて母親が作っていた焼肉ソースを作り瓶詰めにして配った。そのおいしさが評判になり「売ってほしい」とのリクエストに応えたのが、『ヨシダソース』の始まりだ。

 成功の秘訣を聞くと「決断は10秒」とキッパリ。「悩むな、迷うな。その時間が無駄や。悩むならやめろ。悩むとアホな決断をしておかしくなんねん。ソースを売ろうと決めたとき、迷ってリスク分析などしていたら今はなかった」と。それは人生全てに言えることという吉田会長は、最愛の妻リンダさんに一目惚れして、出会いから2週間後にプロポーズをした。決断に失敗はないのかを問うと「10秒の決断を10回、100回していけばいい。決断の繰り返しや。失敗したら次の扉を開ければいい。落ち込んで下を向いて別の扉が開いているのに気付かないことのないように!」。

パッションは人を動かす

  1983年、1号店と2号店ができたばかりのコストコに、ヨシダソースを置いてもらえることになった。店頭に並べただけでは売れない。そこで始めたのが実演販売だった。素通りする客を見て、「人生も商売も目立ってなんぼ」といい、着物姿にカウボーイハット、下駄を履いて「寄ってらっしゃい。見てらっしゃい」。人だかりができたところで、ヨシダソースをまとったチキンを差し出すと「あら、おいしい」と評判が広がっていった。「空手の先生がこんな格好をしてはしたない」と批判されても貫き通した。このときに「商売では見栄や恥は何の役にも立たない」ことを学んだという。

 世界800店舗近くまでに急成長するコストコに、競合会社が「なぜあんなに小さな会社と取引を続けているのか」と詰め寄ったとき、「ヨシダジュンキという人間がどこまで大きくなるのかを見てみたいからだ」と答えたという。

 10秒で決断したヨシダソースの商売は借金を抱えてのスタートだったが、吉田会長は、「こんちきちょ。今に見とれ」という怒りからくるネガティブなエネルギーを、ポジティブなパッションに転換させて人生を動かしてきた。

人生はブーメランや

  吉田会長はインタビューの中で、「人生はブーメランや」という言葉を繰り返した。これまで多くの恩を受け、人生を懸けて恩返しをしていこうと誓い、それを実行してきた。「不思議なことに、恩返しをするほどに会社が発展し、自分の人生も豊かになった」という。

 難病の子どもたちを受け入れる病院へは5棟のゲストハウスを持つ自宅を寄付し、自身の母親への思いからシングルマザーのための奨学金を作り、がん撲滅運動へも積極的に取り組んでいる。「お子さんががんサバイバーなのですか? と聞かれるがそうやない。子ども3人、孫もみんな健康だから、そのことに感謝してお返しをしてる」。義父と、ヨシダグループの社長を務めた相棒をがんで失ったことも理由の一つだ。

金儲けやなくて、人儲けが大事

 「『会長は鋭い』なんて言われても嬉しくない。『かわいい経営者』と言われたいねん」と人懐こい笑顔を見せる吉田会長は、「人生は人儲けや」という。「気付けばソースというより自分を売っていた」と。出会いを大切にし、心を開いていい時間を過ごすと、新たな展開となり、ソースも売れる。やってきたことは「金儲けやない。人儲けや」。人に好かれることで人生を助けられ、助けて、ブーメランのように好循環な人生を歩むことができたのだ。

 最後に「趣味はなんですか?」と聞くと、ほんの少し考えて、「商売やな」とニコッと笑った。今もウェブサイトで自らヨシダソースのデモンストレーションを配信し、目の前でソースが1本売れるのを見るのを喜び、「ヨシダソースは煮込むほどにおいしいんや」と嬉しそうに説明してくれる。空手道場の地下で1人でソースを作っていた頃と気持ちはなんら変わっていない。

現在は各地で講演会を行う。
1月にはハワイ講演会『愛と信頼で人生を切り開く!』を開催した

 インタビュー:ライトハウスハワイ 大澤陽子

このページは「ライトハウス・ハワイ」 2024年2月号掲載の記事を基に作成しています。

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