2020年で55回目となるソニーオープン。PGA公式ツアー(アメリカの男子プロゴルフツアー)の事実上の開幕戦であり、かつハワイで唯一開催されるPGA公式トーナメントでもある本大会には、期間中約5万人が会場を訪れる。世界の名だたるプロゴルファーがハワイに集結するハワイ随一のゴルフの祭典であり、同時に、その収益金が地元サポートに寄付されるハワイ最大のチャリティースポーツイベントでもある。
他のPGAツアーに比べ、観客と選手との距離が近いと言われ、ゴルフファンにはたまらない大会。観光客も気軽に観戦できるので、次のハワイ旅行はソニーオープンに合わせてみては?
ゴルフファンならずとも観戦に訪れるソニーオープン・イン・ハワイ。その大会の魅力を探ってみよう。
まずは、普段はなかなか入ることができない、ハワイ屈指の会員制ゴルフコースに入場できること。コースから見る景色、伝統が香る空気感はいつもと違うハワイを感じさせてくれる。また、通常のコースとは違い、今大会用の特別仕様のコースというのも特筆すべき点だ。
さらには、コース内にフードやビールを販売するブースが特別に出店するので、このときばかりは飲食を楽しみながら観戦を満喫できる。
初日は練習日となり、入場は無料。この日は選手と観客の間にロープが引かれることがないのもゴルフファンにとっては魅力だ。
2日目は、プロゴルファーを目指す、地元ジュニアゴルファーがプロとペアを組んで一緒にコースを回ることができるという貴重なチャンス『プロ・ジュニア・チャレンジ』も行われる。
20周年を迎える今回は、20年間の大会の歴史とソニーの主要商品を一堂に並べる展示テントが設置される。加えて歴代の優勝者ゆかりのアイテムや時別グッズのオークションも予定されている。また、大会オリジナルグッズなどの販売もあるので、ゴルフファンなら記念に手に入れるのも良いだろう。
今大会の出場予定選手は、日本からは、2017年日本男子ツアーで37歳にして初の賞金王に輝いた宮里優作。なお、宮里は他にも最優秀選手賞、平均ストロークと平均パット賞なども受賞。今、目が離せない選手だ。また、惜しくも賞金王のタイトルを逃したものの、トータルドライビングのタイトル獲得し、ランキングで初めてマスターズ出場圏内に入り込んだ小平智、「アジアパシフィック・ダイヤモンドカップゴルフ2017」で、通算3勝目を飾った片岡大育も出場予定だ。
一方、2017年の『ソニーオープン・イン・ハワイ』で圧勝し、全米プロ選手権では松山英樹を抑えて優勝し、初の年間王者の座を獲得したジャスティン・トーマス(アメリカ)の他、ザンダー・シャウフェレ(アメリカ)、ジェイソン・ダフナー(アメリカ)、マーク・リーシュマン(オーストラリア)、ダニエル・バーガー(アメリカ)などが出場予定選手として名を連ねる。
技量も人気も備え、話題に事欠かない選手が集結する、1年に1度限りのゴルフの祭典。正月明けに観戦に出掛けてみてはいかがだろう。
※各選手の詳しい情報はhttp://jp.pgatour.com/pgatour/players/をご覧ください。
宮里優作(ミヤザト ユウサク)
国籍:日本
1980年6月19日生まれ
プロ転向:2003年
小平 智(コダイラ サトシ)
国籍:日本
1989年9月11日生まれ
プロ転向:2010年
ジャスティン・トーマス(Justin Thomas)
国籍:アメリカ
1993年4月29日生まれ
プロ転向:2013年
ザンダー・シャウフェレ(Xander Schauffele)
国籍:アメリカ
1993年10月25日生まれ
プロ転向:2015年
ジェイソン・ダフナー(Jason Dufner)
国籍:アメリカ
1977年3月24日生まれ
プロ転向:2000年
マーク・リーシュマン(Marc Leishman)
国籍:オーストラリア
1983年10月24日生まれ
プロ転向:2005年
(Lighthouse Hawaii 2018年1月1日号掲載)
(Text: Yurie Sakakibara)
ハワイの新年の名物行事、ソニーオープン・イン・ハワイ。2017年は世界一流のプロゴルファー144 人がハワイに一堂に揃う。ゴルフ観戦はもとより、エンターテインメントも繰り広げられるハワイの一大イベントで、ゴルファーのプレーを間近で見られることや、収益金がハワイの慈善事業に寄付されることでも知られている。
2017年、51回目を迎えるソニーオープン・イン・ハワイ。ハワイで唯一開催されるPGA公式トーナメントで、毎年世界中から著名なプロゴルファーがハワイに一堂に集まる。
この大会の前身は、1965年から始まった「ハワイアン・オープン・ゴルフ・トーナメント」で、その発足から数えると来年は52回目になる。
この大会は、日本人にとっても思い出深い。83年の第18回大会は、青木功選手が、米ツアーのライセンスを得て初めて参加する米公式ツアーだった。最終日の最終組だった青木選手は、首位タイで最後の18番ホールを迎えた。
その前の組で、同じく首位だったジャック・レナー選手がバーディーを奪って単独首位となり、彼の優勝は決まったかに見えた。しかし、青木選手の第3打が直接カップに入り、ゴルフ史上でも稀な劇的逆転優勝をしたことは、今でも語り草になっている。
メインスポンサーがソニーになってからは、同社創立者の一人の盛田昭夫氏の意志が貫かれており、世界有数の家電メーカーに成長したソニーが、お世話になった日系人やハワイに恩返しをするイベントとして定着した。
練習日は選手と観客を仕切るロープもなく、プロ選手を間近に見られるのがこの大会の特長。また、中・高校生のジュニア選手とプロ選手が一緒にプレーするプロアマ戦も毎年開催されている。
ソニーオープン・イン・ハワイは、非営利団体のフレンズ・オブ・ハワイが準備計画している。大会の収益金の一部は、ハワイの慈善事業に寄付され、これまでに総額1600万ドル余りが寄付されている。
2017年は、1月9日(月)から15日(日)まで、ワイアラエ・カントリークラブで開催される。賞金総額は600万ドル。優勝賞金は108万ドル。9日(月)と10日(火)はプロゴルファーの練習などが行なわれ、入場無料。11日(水)はプロアマ大会。12日(木)から大会が開催され、15日(日)が大会最終日で優勝式が開催される。
ハワイの住民が期待に胸を躍らせるゴルフイベントは、観光客も気軽に観戦できる。ウェブサイトにて、前売り入場券を20ドルで販売。会場での当日入場券は25ドル。大会1週間の入場券は60ドル。入場券持参の大人同伴の12歳以下、軍人は入場無料。
会場付近の公園の駐車は無料で、会場までのシャトルバス・サービスがある。また、ワイキキからのトロリー・シャトル・サービス(片道2ドル)もある。
(‘Eheu Autumn 2016号掲載)
ハワイの新年は、ゴルフで幕を開ける。毎年の風物詩となった「ソニーオープン・イン・ハワイ」。
ハワイで開催されるPGA公式ツアーとして、前身となる「ハワイアン・オープン」から2016年の開催でちょうど50回目。ワイキキからほど近い名門ゴルフクラブ「ワイアラエ・カントリークラブ」で繰り広げられるこの大会は、日本人にも馴染みが深い。
ワイキキの東側に位置する閑静な住宅街カハラ。ハワイの不動産業界では不動の人気を誇るこの地区に、名門ゴルフクラブ「ワイアラエ・カントリークラブ」がある。その創設は1927年。ハワイの王族を起源とするビショップ財団の土地に会員制ゴルフクラブとして作られた。設計は当時世界的に有名な建築家セス・レイナー。ゴルフコースは、フランスやスコットランドの有名ゴルフコースのシグニチャーホールの特徴を取り入れ、海沿いの魅力的なゴルフコースとなった。海に向かうグリーンにヤシの木がワイアラエの頭文字「W」をかたどる7番ホールは、同ゴルフクラブの有名なシグニチャーホールだ。
今も厳格な会員制を敷くこのゴルフクラブでのプレイに憧れるゴルファーは多い。その理由の一つは、ハワイで唯一開催されるPGA公式トーナメント「ソニーオープン・イン・ハワイ」の試合会場になっていることだろう。毎年1月初旬に開催されるこの大会には、世界中から著名なプロゴルファーが集まる。
「この大会は、PGA公式ツアーの事実上の開幕戦となる大会。暖かいハワイでの緒戦に、ぜひ出場したいという選手が多いのが特徴です。それだけこの大会が選手の皆様に評価されているということだと思います」
と語るのは、同大会のメインスポンサーであるソニー・ハワイの大島秀介社長。有名プロゴルファーにも人気のトーナメントになっているのだ。
この大会の母体は1966年からPGA公式ツアーとなった「ハワイアン・オープン・ゴルフ・トーナメント」にさかのぼる。ハワイが米国50番目の州となったのが1959年。その7年後に米国公式ツアーが始まったことになる。そして、この大会には日本人には忘れられないエピソードがある。
83年に開催された第17回大会。日本から出場した青木功選手は80年に『全米オープン』で帝王ジャック・ニクラウスと歴史に残る死闘を演じて2位となり、81年に米ツアーのライセンスを取得した後、初めて出場する米公式ツアー戦だった。
最終日の最終組だった青木選手は、首位タイでパー5の18番ホールを迎える。その前の組で同じく首位だったジャック・レナー選手がバーディーを奪い、単独トップでホールアウト。レナーが笑顔でスコアカードを記入しているのがテレビ中継されていた。青木の2打目は、左ラフから残り128ヤードに。そして、そこからの第3打。打ったボールはそのままカップインし、チップイン・イーグル。劇的な逆転優勝を飾り、日本中が熱狂した。歓喜する青木選手と対照的に、呆然とするレナー選手の表情も印象的だった。このショットは米国で80年代を代表する名ショットに選定されており、このショットで使用したパワービルト社製のピッチングウェッジは、世界ゴルフ殿堂の施設内に展示されている。
ソニーがメインスポンサーとなり「ソニーオープン・イン・ハワイ」と名称を変えたのが1999年。実は、ソニー創立者の一人である盛田昭夫氏とハワイにも意外な関係があった。
創業間もないソニーが海外進出を果たすべく、まずはハワイに渡った。その時に、盛田氏を大いに助けたのが当時のハワイの日系人たちだった。その後、ソニーが世界を代表するエレクトロニクスメーカーとなった時、盛田氏はいつも「ハワイに恩返しを」と言っていたそうだ。その思いが実現したのが、この大会のスポンサード。この時、盛田氏は「ハワイの将来を担う子どもたちに何かしてあげたい」と強く希望した。本物のゴルフ、世界のプロゴルファーの素晴らしいプレーを間近で見せてあげたいという思いが、ソニーオープンには貫かれているのだ。
今も中学や高校のジュニア選手とのプロアマ戦(プロ選手とアマチュア選手が一緒にプレーする試合)は続けられており、また期間中でも練習日などは選手と観客を仕切るロープもなく、間近にプロ選手を見ることができる。通常より多くのプロアマ戦を開催するのもこの大会の特徴。大会中の会場にはさまざまなブースも出展し、家族連れで楽しむ人も多い。こんなところも、ハワイの人々への恩返しなのだろう。また、チャリティーとして、毎年100万ドル以上、過去17年で1700万ドル以上が地元に寄付されている。
「ソニーオープンのシンボルになっている青い鳥。これはハワイに火をもたらしたという伝説の鳥アラエ・ウラです。この大会がハワイの歴史を尊重し、何よりハワイのための大会だという象徴が、このキャラクターなのです」
と大島社長。ハワイへの恩返しの現場を、プロゴルファーの素晴らしいプレーと共に眺めてみたい。
1996年
米PGAツアーがハワイでスタート
当時の名称は「ハワイアン・オープンゴルフ・トーナメント」
1983年
青木功選手が日本人初の優勝
「奇跡のチップイン・イーグル」が話題に
1991年
ユナイテッド航空がメインスポンサーに
名称を「ユナイテッド・ハワイアン・オープン」に変更
1999年
ソニーがメインスポンサーに
名称を「ソニーオープン・イン・ハワイ」に変更
2016年
ツアー公式戦として50回目の開催
大会記録
複数回優勝
ヒューバート・グリーン(1978年、1979年)
コーリー・ペイビン(1986年、1987年)
ラニー・ワドキンス(1988年、1991年)
アーニー・エルス(2003年、2004年)
ジミー・ウォーカー(2014年、2015年)
18ホール記録
60 ( デービス・ラブ3世・1994年)
2016年大会スケジュール
1月11日 ソニードリームカップ・プロアマ戦
1月12日 練習ラウンド プロ・ジュニア・チャレンジ(プロアマ)
1月13日 プロアマ戦
1月14日~17日 公式戦(4ラウンド)
(‘Eheu Winter 2016号掲載)
2018年20回記念大会までのスポンサー延長契約を締結
ソニーがスポーツでハワイに恩返しをする大会それがソニーオープンなのです
1999年から続くハワイ年頭の「お祭りイベント」がソニーオープン・イン・ハワイ。大会期間中は約5万人が訪れ、過去16年間で収益15億円以上が地元ハワイコミュニティーに寄付された。これからもハワイに貢献したいというソニーは、2018年の20回記念大会までスポンサー契約を延長した。ハワイへの思い、これからの展望について、代表執行役社長兼CEOの平井一夫氏に伺った。
社員約14万人、日本を代表するグローバル企業である「SONY」を率いる平井一夫氏。実は平井氏、ソニーオープン・イン・ハワイには”皆勤賞”なのだそうだ。
「ここまで皆勤賞の参加者は、他になかなかいないのではないでしょうか。99年の第1回大会に、ソニー・コンピュータエンタテインメント・アメリカの役員(COO、同年4月から社長)として参加したのが初めてです。以来17回目を数える今年の大会まで毎年この大会には参加しています。とはいえ、実際にゴルフをプレーする機会はほとんどなく、いつもビジネスのお客様をご案内するだけで終わってしまうんです」
そう笑う平井氏だが、実はハワイとの関わりは、もっと古い。
「初めてハワイに来たのは7歳の時。67年に父の転勤で日本からニューヨークに向かったのですが、当時は直行便がなく、ハワイとサンフランシスコを経由しました。ハワイに降り立った時のことは、今もはっきりと憶えています。きれいなレイを首にかけてもらい、ラウンジでその当時の日本では飲んだことのないグアバジュースを初めて味わいました」
7歳にして味わった外国の味。その味は「正直に言うと、おいしくはなかった」そうだ。けれど、素晴らしい気候、人々の優しさ、自然が豊かで落ち着いた環境、そんなハワイの印象は、幼い頃から一貫して変わらない。
「84年にCBS・ソニーに入社した時、ちょうど父が仕事の拠点をハワイに移したので、それ以降、子どもたちの夏休みや冬休みの時期にはハワイの両親の家によく行っていました。ここ最近は、マウイ島のハナの静かで落ち着いたところが気に入って毎年のように家族と訪れていましたが、昨年はラナイ島を訪れました。静かで自然にあふれた環境の中、夫婦でゆっくり過ごしました。今一番気に入っています」
休暇でハワイに来る時は、何もせずにゆっくりと過ごすのが平井流だそうだ。
忘れられない優勝シーンの数々
第1回大会から通い続けているソニーオープンで、忘れられないシーンがあるという。
「優勝シーンは、もちろんどれも感動的でしたが、なかでも03年、04年のアーニー・エルス選手の連覇は特に印象に残っています。両大会とも、最終日18ホールまで決着がつかず、プレーオフにもつれ込んでの優勝でした。03年は10メートル超のロングパットを沈めての優勝。04年は、連覇のかかったプレーオフ3ホール目のバーディーパットを沈めた瞬間に両手を拡げて天を仰ぐシーンがとても印象的でした」
平井氏は、感動を思い出すかのように目を細めた。それほどにこの大会が好きなのだろう。他にも、ミシェル・ウィー選手やタッド・フジカワ選手といったハワイ出身プロゴルファーの活躍にも注目していたそうだ。
「二人のことはとても印象に残っています。ウィー選手は04年大会に当時弱冠14歳で出場し、惜しくも1打差で予選通過を逃したのですが、彼女はアマチュアであり、また世界最高峰の男子PGAツアー大会に出場した数少ない女性プレーヤーということで、その善戦は素晴らしいものだったと思います。また、フジカワ選手は16歳で07年大会に出場し、予選2日目の最終ホールで劇的なイーグルを決めて見事予選を通過し、観客を沸かせました。二人とも若いだけでなくハワイ出身ということで地元の選手の活躍に大会は大いに盛り上がりました」
ハワイ勢の活躍に地元が沸いたように、この大会は、ハワイと切っても切れない関係がある。
ハワイへの思い入れと感謝を表した大会
ソニーオープン・イン・ハワイは、もともとソニー創業者である盛田昭夫氏が「海外への橋渡しをしてくれたハワイに恩返しをしたい」という思いから始まったもの。
「ソニーの企業規模がまだ小さく、しかし海外進出の夢を目指していた時代に、ハワイの皆様に助けられてアメリカ進出の足掛かりを作らせていただいた関係で、ファウンダーの井深も含めてハワイへの思い入れと感謝の気持ちを形として表わしているものの一つが、本大会であると認識しています。同じくファウンダーの盛田が頻繁にハワイを訪れ、地域社会の中でソニーファンを増やしてきたことも、熱狂的なソニーファンの皆様に支えられてハワイに唯一存在するエレクトロニクスの会社としての現在に繋がっていると思います。引き続きハワイそして米国との良好な関係がさらに発展していくことを願っています」と平井氏が言うように、実際この大会はハワイ最大のチャリティーイベントになっている。期間中2千人近くがボランティアとして参加し、大会期間中には約5万人が会場を訪れる。
「結果として毎年100万ドル以上、過去16年で1600万ドル以上の収益の全てを地元慈善団体に寄付した実績は、この大会の名前に『ソニー』と『ハワイ』が並んでいるように、まさにソニーと地域社会との密接な関係ゆえと言えると思います。年頭を飾るハワイ最大のチャリティーとして実現できてきたのも、ひとえにハワイの皆様の人柄、アロハスピリットによって支えられてきた賜物と思い、大変感謝しています」
ローカル・チャリティーへの貢献という活動思想は、第1回大会から変わらず受け継がれている。ハワイの子どもたちにプロゴルファーのプレーを間近で見る機会を与えたいと、ハワイローカルのトップジュニア選手とPGAのトッププロゴルファーが技を競うエキシビションも開催。こうした姿勢も、ハワイの地元の皆様のために、という思いが受け継がれている証左だ。
「昨年、イベントのスポンサーを、2018年まで延長する契約を締結しました。これは第一に、チャリティー活動を通じた社会貢献の継続という観点、次いでゴルフ人口が急増する新興市場におけるビジネスパートナーとの関係強化という観点から継続を決定しました」
ソニーオープン・イン・ハワイは、その2018年に、20周年を迎える。
「同時に2018年は、ソニーのハワイ現地法人であるソニーハワイが創立50周年を迎える年でもあります。憧れのバケーション地として堅調に経済発展するハワイでも、ビジネスを取り巻く環境やお客様の価値観などが大きく変化してきているのも事実です。例えば環境問題に対する機運の高まりも、地域の皆様と共にソニーも貢献できる分野でありますし、大会をさらに盛り上げていく中でも、私どもが果たす役割の一つとして大切に考えていきたいと思っています」
年間観光客800万人の中で日本人が150万人を占め、また人口の2割が日系人というハワイで、日本企業の名前が付いたPGA公式トーナメントが開催される意味は大きい。
「加えて、海外で開催されるゴルフ大会の中でも、新年年頭を飾る大会であること、日本人としてアメリカツアーで初優勝した青木功さんをはじめとする日本人選手が活躍した大会の歴史など、日本人と日系人の皆様には最も親しみを持っていただけるイベントであると思いますし、また海外における日系企業の活躍や地域との一体化を象徴するものであると思います」と平井氏。これからもローカルのチャリティーをいかにサポートするか考えているそうだ。
「私自身、この先もずっとハワイへ訪れるつもりです。リタイア生活の選択肢の一つとして、妻とよく話しています」
平井氏とハワイとの関係は、これからもずっと続きそうだ。ソニーとハワイの想いが詰まったハワイのゴルフトーナメント、ぜひ一度ご覧いただきたい。
(‘Eheu Winter 2015号掲載)
※このページは「Lighthouse Hawaii 2018年1月1日」、「‘Eheu Autumn 2016」、「‘Eheu Winter 2016」および「‘Eheu Winter 2015」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。