2019年のJALホノルルマラソンは12月8日(日)開催に決定しました。2019年4月16日から既にアーリーエントリーが始まっています。詳しくはホノルルマラソン事務局のWebサイトをご確認ください。このページでは前年度ホノルルマラソンの様子や、過去にライトハウス・ハワイが編集・制作したホノルルマラソン関連のコラムをお届けします。
歴史を積み重ねるほどに成長し、ハワイの12月の風物詩となったJALホノルルマラソン。ランナー、ボランティア、応援などいくつもの参加の形があり、関わった人の数だけストーリーがある市民マラソンだ。今年2019年もホノルルで多くの笑顔の花が咲くことだろう。
(写真:「JALホノルルマラソン2018」より / 提供:ホノルルマラソン日本事務局)
1973年にエントリー数わずか167人で始まったホノルルマラソン。2019年で47回目を迎え、今では12月のハワイを語る上で外すことのできない代表的なイベントとなっている。毎年日本人ランナーのエントリーが半数近くを占めているのは、ホノルルマラソンがハワイだけでなく、日本人にとっても大きな恒例イベントになっている証しと言えるだろう。
ここまで成長した大会の誕生は1973年。その発起人はホノルルのジャック・スキャッフ医師だ。彼は、医師として心臓病を予防するために「長い距離をゆっくり走る」ことを推奨していた。その実践の場として、毎年3月から冬にかけて毎週日曜の朝に心臓病予備軍を集め、カピオラニ公園で指導を行っていた。
「長距離をゆっくり走ることを9カ月間続ければ、フルマラソンも走れるようになる。体力が増強され、心拍能力も向上し、心臓病予防に大きな効果が期待できる」。
その言葉がきっかけとなって始まったのがホノルルマラソンだ。オアフ島公認マラソンとして開催された第1回は、「心臓病予防のために最も効果を見込める運動大会」だった。
スキャッフ医師が立役者となって始まったホノルルマラソンは、第2回315人、第3回782人、第4回には1670人と、加速度的に参加者が増えていった。そして毎年2万5000人から3万人が参加するまで成長を遂げ、アメリカではニューヨークシティーマラソン、ボストンマラソン、シカゴマラソンと並ぶ「全米4大マラソン大会」の一つとなっている。
これほどまでに親しまれる市民マラソンになった理由は、まずは何と言っても、この時期ならではのハワイの景色を全身で感じながら走れることだ。日の出前にアラモアナセンター前で、ホノルルマラソン名物の花火が盛大に打ち上げられるなかでスタート。ホノルル市庁舎やイオラニ宮殿などダウンタウン周辺のきらめくクリスマスイルミネーションの中を通り、早朝の静寂な空気に包まれたワイキキを通過。そして朝日を浴びる壮大なダイヤモンドヘッドの周りを、右手にコバルトブルーの太平洋を望みながら一歩ずつ前へと進んでいく…。どの瞬間も目に焼き付く素晴らしい光景となる。
7歳以上なら参加できる上、時間制限を設けていない稀有な大会であるため、誰もが諦めない限り、フィニッシュラインを踏むことができる。ホノルルマラソンの完走率は100%に近い。時間制限がないからこそ、自分のペースでゴールを目指すことができる。初めてのフルマラソンなら、経験してみなければわからない苦しみがあるかもしれない。だが、ボランティアのサポート、地元住民らによる沿道からの温かい声援に、勇気とパワーをもらい、ゴールした時の爽快感、感動は、一生忘れられない瞬間になる。
レース後のカピオラニ公園で完走Tシャツをもらったら、早速着替えたい。その姿に、「おめでとう!」「コングラッチュレーションズ!」と声を掛けられ、その喜びは尽きることがないだろう。完走した達成感に浸りながら頬張るフルーツや揚げたてのマラサダは最高の味わいだ。 トップアスリートやベテランランナーだけでなく、初マラソン参加者、老若男女、もちろんボランティア参加者も、誰もが、それぞれの楽しみ方をし、感動を味わえるのが、「世界一の市民マラソン大会」「ジョガーの祭典」とまで言われるゆえんだ。
開催日:2019年12月8日(日) 午前5:00スタート(車椅子競技部門は午前4:55スタート)
競技種目:フルマラソン42.195km(26マイル385ヤード)、フルマラソン車椅子競技部門42.195km(26マイル385ヤード)、10K ラン&ウォーク
コース:アラモアナ(スタート)~カピオラ二公園(ゴール)
参加資格:大会当日の年齢が7歳以上の方。(10K ラン&ウォークは年齢制限なし)
ただし20歳未満の方は、宣誓書に保護者の署名が必要。
ホノルルマラソンのエントリー方法:2019年11月9日まではオンラインから日本で申込み可。以降のレイトエントリーはホノルル現地で。2019年12月6日~8日、ハワイコンベンションセンター(1801 Kalakaua Ave., Honolulu)で申込み可。
※2019年11月10日(土)から12月5日(水)は日本語での申込みができません。英語の公式サイトからお申込みください。
参加料:日本での申込みは2019年11月12日(火)まで33,000円 / ホノルル現地受付(最終)2019年12月5日(木)~7日(土)US$380
※日本での申込みには別途5%の事務手数料がかかります。
※アメリカでの申込みの場合、居住国により参加料が異なります(上記はInternationalの価格)。
主催:HONOLULU MARATHON ASSOCIATION
特別協賛:日本航空(JAL)
協賛:佐藤製薬、デサントジャパン、NTTドコモ
問合せ:ホノルルマラソン日本事務局
E-mail:info@honolulumarathon.jp / 日本事務局 ☎ 03-6273-3330
Webサイト(日本語):http://www.honolulumarathon.jp
Webサイト(英語):https://www.honolulumarathon.org
E-mail:info@honolulumarathon.jp
(2019年10月更新)
12月6(木)~12月8日(土)
ハワイ・コンベンションセンターの1階で開催。ランナーのパケット・ピックアップ、レイトエントリー(出場申し込みは前日まで可能)も同会場で行う。入場無料でホノルルマラソンに参加しない方も入場可。健康やスポーツ関連のブースも多数出展される他、大会記念グッズも販売。出入り口近くのステージはフラのショーやマラソン事前準備のレクチャーなども。駐車場はフラットレートのみで10ドル。
12月7日(金)午後5時半~8時半
「アロハ フライデーナイト」がハワイ・コンベンションセンターで行われる。2018年はオフィシャルアーティストとして、ホノルルマラソン・オフィシャルソング「Run to the Rainbow」を書き下ろした木村カエラさんがスペシャルライブを実施。さらに、大会アンバサダーのもとAKB48メンバーの渡辺麻友さんトークセッションも。一夜限りのステージをお見逃しなく!
※参加料:EXPO会場では75ドル。honolulumarathon.orgでのエントリーは60ドル
12月8日(土)午前7時~
「カラカウア メリーマイル」開催。年齢にかかわらず誰でも参加できる、1マイル(約1.6km)のファンラン。カラカウア通りを海を見ながら往復するコース。ホノルルマラソンのウォームアップにはもちろん、年齢制限がないので小さな子どもも参加でき、家族で気軽に楽しめるのが魅力。フィニッシュ後は参加記念Tシャツ、完走メダルをもらって、ビーチフェスティバルへ! ステージではエンターテインメント、参加者にはドリンクやスナックあり!
※参加料:EXPO会場でのレイトエントリー55ドル
12月9日(日)
・午前4時55分
車椅子競技部門がスタート。
・午前5時
アラモアナ公園前をスタート。ダウンタウン、ワイキキビーチ前、ダイヤモンドヘッドを通り抜けてハワイカイで折り返し、カピオラニ公園でゴールする。10Kラン&ウォーク(10㎞)のランナーも同時にスタート。ダウンタウンで折り返し、カラカウア通りを通ってカピオラニ公園でフィニッシュ。ゴール後、完走者に完走Tシャツと完走メダルが手渡される。
・午後1時
表彰式がカピオラニ公園内バンドスタンドで行われる。先立って、ローカルバンドによる無料ライブなどのエンターテイメントも。
12月10日(月)午前9時~午後5時
フィニッシャーマンデー
ハワイ・コンベンションセンターでホノルルマラソンの完走証が手渡される。
12月10日(日)5:00amスタート
まだ夜明け前の暗がりの中、フルマラソン参加者と同時にスタートする10㎞のラン&ウォーキングイベント。ダウンタウンのクリスマスデコレーションや朝日が昇り始める景色を楽しめる。
12月9日(土)7:00amスタート
年齢にかかわらず誰でも参加できる、1マイル(約1.6km)のファンラン。コースはカラカウア通りを海を見ながら往復する。ホノルルマラソンのウオームアップにはもちろん、年齢制限もないので、小さな子どもも参加でき、家族で楽しめるのが魅力。
12月8日(金)5:30pmスタート
ラン以外のお楽しみとして、音楽で盛り上がるイベントが「アロハ フライデーナイト」。メインアーティストは、公式應援団に就任したロックバンド氣志團!フルマラソンに初挑戦する綾小路翔らが熱いパフォーマンスを繰り広げる。さらに、ハワイアンレゲエのレジェンドとされるグループ、マナオ・カンパニーも登場。日本とハワイの音楽が混じり合う、一夜限りのステージ。
12月7日(木)~12月9日(土)
ハワイ・コンべンションセンターの1階で開催。ランナーのパケット・ピックアップ、レイトエントリー(ホノルルマラソンの出場申し込みは前日まで可能)も同会場で行う。エキスポは入場無料でホノルルマラソンに参加しない方も入場可。健康やスポーツ関連のブースも多数出展される他、大会記念グッズも販売される。出入り口近くのステージではフラのショーやラジオ体操、マラソン事前準備のレクチャーなども。
(Lighthouse Hawaii 2017年12月1日号掲載)
世界各国から約3万人のランナーたちがハワイに集まり、42.195kmに及ぶ自分との戦いの道のりを走り抜ける。初心者から上級者まで、世代も幅広く、あらゆる人を魅了してやまないのがこのイベントだ。そんなホノルルマラソンの魅力を探ってみよう。
ホノルルマラソン協会を支えるのは、ジム・バラハル会長と、ロナルド&ジャネット・チャン副会長の3人。バラハル会長が33年前に協会に関わるようになったのは、マラソンという素晴らしい体験をたくさんの人に味わってほしかったからだという。ジャネット・チャン副会長は、肥満傾向の身体をなんとかしたいとマラソンに参加したのがきっかけで、30年以上も前に同協会のメンバーになった。そしてご主人のロナルド副会長も、エンジニアという職業柄、プラン設計や工事関係者への発注等をこなしているうちに、同協会のメンバーになったという。他にも、会場のテントやステージ等の設営を担当するBetter Way Toursのロッド・トメイさんもこのイベントに関わって26年経つ。夫人のユキコさんとの馴れ初めもホノルルマラソンだ。
こんなアットホームな運営で成り立つ大会は、勝敗を競うことが目的なのではなく、自分の心に決めたゴールに向かって走り抜くことが重要だという。それがこのホノルルマラソンの意義であり伝統だ。だから完走制限時間はなく、最後のランナーがゴールにたどり着くまでを皆で見守る。バラハル会長自身も毎年ゴールで最後のランナーが来るまで待っている。
ゴールを目指すランナーが3万人いれば3万通りの思いがあり、その思いに皆が感銘を覚える。毎年5000人以上の人がボランティアとして集まり、ホノルルマラソンのコースでは住民も皆道路脇からランナーに声援を贈る。それはアロハスピリット以外の何物でもない。先に挙げた協会員やスタッフたちも、一体感と一生懸命さに毎年のように感動し、何十年も運営に関わってきたのだそうだ。
今年こそはこの一員になって、思い切り楽しんでみてはどうだろう。
私は毎年、特に日本人ランナーたちの団結力や粘り強さに感動するんだ。そして、車椅子ランナーたちのスピード感ある走りっぷりは圧巻されるよ。アドバイスとしては、路上で応援する人は、恥ずかしがらずに大きな声ですると良いよ。楽しく応援すると、もっと楽しい気分が広がるんだ。ランナーたちの疲れて痛い身体には、元気な応援の声がとても響くんだよ。ランナーもボランティアも、アロハスピリットで大会を一緒に盛り上げよう!
私は10年前から、ホノルルマラソンのゴールで完走したランナーたちの名前を読み上げています。全員は読みきれないときもあるので、ゴール手前に来たら自己アピールしてくれると嬉しいです!
仮装コンテストに参加する人は、審査員に向かって仮装のコンセプト等を面白くアピールすることを楽しんでください。今年初めて開催されるカラカウアメリーマイルも、どんなドラマが生まれるかとても楽しみです!
(Lighthouse Hawaii 2016年12月1日号掲載)
アラモアナ公園をスタート、カピオラニ公園をゴールとし、世界的に有名なワイキキビーチ、ダイヤモンド・ヘッド、そしてハワイカイを駆け抜ける壮大なシーサイドマラソンとして有名なホノルルマラソン。そのホノルルマラソンで40回連続完走を成し遂げようとする鉄人がいる。彼の名は「高石ともや」。今回は、彼の走り続ける理由とその偉業達成への道のりの裏側を探ってみた。
高石 ともや / TOMOYA TAKAISHI
1941年12月9日、北海道生まれ。1960年代後半より、日本のフォークソングの先駆者として活躍。「受験生ブルース」などを発表。70年代より、「ザ・ナターシャ・セブン」として活動の他、宵々山コンサートを開始。ランナーとしては、ホノルルマラソンの他、日本初のトライアスロン大会で優勝。第2回アメリカ大陸横断レースでは、日本人初の完走者となる。75歳の今もなお、現役の歌手、ランナーとして活躍。
44回目を迎えるホノルルマラソンに、40回連続完走という偉業を達成しようとする人物がいる。しかも、75歳で日本人最多連続完走というから驚きだ。その人の名は「高石ともや」。ある年代を超えた人たちにとっては、耳に懐かしい名前のはず。日本フォークソングの創生記より活躍し、日本のフォークの神様とまで呼ばれた人物と言えば、思い当たるはずだ。その高石氏の言葉から「なぜ、そんなに走り続けるのか?」という誰もが持つ疑問の答えを探ってみた。
私は真珠湾攻撃のあった翌日(1941年12月9日)に生まれました。ハワイに来て戦艦アリゾナ号のサビを見るたびに、自分と同じ年なんだと実感しています。自分より十数年前に生まれた人はここで戦い、彼らの十数年後に生まれた私は、ハワイで温かく出迎えてもらえる。何とも不思議で、ありがたいことです。
ピート・シーガーに憧れてフォークソングを始めましたが、それまでの音楽とは違い、ギター一本で生き方を表現する音楽。60年代の日本の音楽の伝統を打ち破るようなもので最初はつぶされて、認められない時期が続きました。苦労の末、ベスト10に入る大ヒット曲を出しましたが、3年後には、1度音楽を辞めたんです。とてもくたびれたというのが本当のところでした。30歳でカリフォルニアに渡り、全米を放浪。旅の終わりには、今までの自分とは全くの別人になっていました。
かつては、オリンピックなどの有名な競技会に出て、速い人、強い人が偉いというマラソン大会。この旅で出会ったのが、ジョギングでした。ボストン大会で女性が走るのを許されたと聞き、僕も走ってみようと、トレーニングを開始して5年後、ついにフルマラソンに初挑戦。それが第4回ホノルルマラソンで35歳の時でした。1回でやめようと思っていた心とは裏腹に、走り始めると楽しくて楽しくてしょうがない。ホノルルマラソンがあまりにもハッピーなマラソンだったので、つい「毎年このマラソンに来ますよ」と公言し、今に至ります(笑)。
この大会で、ミュンヘン・オリンピックのマラソンの金メダリスト、フランク・ショーターを抑えて優勝したのが、名もないテキサス大学の学生でした。勝者インタビューで「オリンピック選手を抜いての優勝おめでとう。今夜はどんな風に祝いますか?」と聞かれた彼は 「ゴールしたみんながヒーローでヒロイン。ぼくもその中の一人にすぎません。これから教会に行って一人でお祈りしてきます」と答えたのです。それを聞いて涙がボロボロ。「こんなマラソンが世の中にあるのか」と衝撃を受けたんです。当時の日本のマラソンは、笑って走ると「真面目にやれ」と怒鳴られる。遅い人は邪魔だからどけというような感じでした。
ところが、ホノルルマラソンでは勝者が「みんながヒーローでヒロインです。じゃあお祈りしてきます」と言う。速い人、強い人だけが偉いわけじゃない。こんなに優しいマラソンがこの世の中にあるんだと感激しました。自分の人生を変えることができるかもしれないとまで思える体験でした。
小さい頃から親や先生に、「人に勝て、努力しろ、がんばれ」と尻を叩かれ続けてきましたから、「がんばらなくてもいい世界もあるんだ。自分らしく生きていいんだ」とホッとした気持ちがしましたね。
ホノルルマラソンには、収容車がありません。収容車というのは、時間内に走れなかった遅い人を乗せて帰るトラックみたいなものです。ホノルルマラソンには時間制限がないから、収容車なんていらない。自分の速さで何時間かかってもいい。人を蹴落とすマラソンではなくて、走った人みんながよかったねと楽しめるのが最高なんです。人と比べる幸せなんていらない。自分で自分の幸せの価値観を作る。毎年毎年、ホノルルマラソンに来ては、人生を確かめているようなものです。
また、ボランティアの人が底抜けに明るいんです。手伝いたいから来ている。義務感でもなんでもない。みんな本気で応援してくれる。彼らに会いたくて、40年続けてこれたのかもしれません。ちなみに、ホノルルマラソンの20回目頃から僕が走った出場回数と同じ数のゼッケンを大会から毎年プレゼントしていただいています。こんなにうれしいことは、ありません。
フォークシンガーとしての生活にも復帰し、「ザ・ナターシャ・セブン」のメンバーとは、ホノルルで2週間レコーディング、2週間マラソンというスケジュールを組んだことも。スタジオの社長さんが「たくさんのミュージシャンが日本から来るけど、君たちが1番正しい過ごし方をしていますね。半分仕事で半分遊び。実に素晴らしい!」と褒めてくれました。仕事だけではない生き方をハワイで学んだ気がします。
ハワイ島で開催された第5回アイアンマンの開会式で牧師さんが、「君たちアスリートは地球上の66億人の中で1番幸せな人たちだ。明日はこの美しい大地と海で1日中、遊べるんだから。こんな幸せな人たちは君たちだけだ」と過酷な競技の前日に言ったんです。人に負けるな、勝て勝てと言われてきたのとは違い、もっと大きな世界があると教えてくれました。同じことを、毎回ホノルルマラソンに来ては、それを確かめてニヤッと笑っているんです(笑)
かつて、女子マラソンの有森選手がオリンピックで、「自分で自分を誉めたいと思います」と涙ながらに語った姿は感動を呼びましたね。
流行語大賞にも選ばれたこの言葉は、かつて私が京都女子駅伝の前夜祭で読んだ詩。「辛い練習を乗り超えてここにいる自分を今夜は褒めてください」という内容でした。当時補欠で出場できず、悲しい思いをしていた有森選手の心の中にストンと入り、「あなたの言葉が私の心に入ってきた。それが練習する力に変えていってくれました」と後日、話してくれました。この詩もホノルルマラソンで、自分の人生の価値観を学べたからできたものです。
結局のところ、ランナーとボランティアとの心のつながりを求め、生きる意味を探し、自分を見直すために40年もホノルルマラソンに通っています。
ハワイに来ると表情が自然と良くなるんです。むっつりしないで笑ってる自分がいる。今が幸せ。これをハワイで学びました。ホノルルに通うたびに生まれ変われる。ハワイは「新しい自分のバロメーター」です。これが、40年連続で走る理由です。
(Lighthouse Hawaii 2016年12月1日号掲載)
45年が紡いだ歴史に見つけた”女性が走るホノルルマラソン”
「自分が走るなんて夢にも思っていなかった」スタイリストとアナウンサー。あるきっかけでホノルルマラソンに出場して以来、走る魅力にとりつかれ、後に女性のランニング大会「ランガール★ナイト」を始動。そんな2人のホノルルマラソンの物語をたどった。
(写真提供:ホノルルマラソン日本事務局)
きっかけは2002年、スポーツジムの仲間から「ホノルルマラソンに一緒に出ない?」と誘われたことでした。体を動かすのは好きだったのですが、学生のとき、部活動で長距離を走らされたのがトラウマで、マラソンだけは避けていました。
今でこそ日本はランニングブームですが、その頃、ホノルルマラソンは芸能人が出場するものだと思っていて、一般人には程遠い存在でした。だからこそ、「ホノルルマラソンに出た」と言えたらかっこいい! とスポーツ根性に火がつき、一大決心をしました。それが大会の半年前のことです。
出場は決めたものの、何の知識もなく、エアロビ用のシューズで練習を始めたほどです。トレーニングを続け、10月にハーフマラソンに出てみたところ、辛い! この倍も走るなんて…と思いました。
スポースジムの仲間10人ほどでハワイへ。当日、ホノルルマラソンのスタート地点にはいろいろな国からの参加者がいて迫力満点。「よし、完走するぞ!」と気合が入りました。ダウンタウンの煌めくイルミネーション、熱い声援にテンションが上がり、つい速いペースでワイキキ、ダイヤモンドヘッドの上り坂へ突入。日も昇り、あまりの暑さに早くも疲れてしまい、そこからが長い道のりでした。
これ以上走ることができないほど足が痛くなって、気力も尽きそうになりながらダイヤモンドヘッドロードの坂を上り切ったとき、目の前に海が見えたんです。思わず「海だ。もう少し!」と声に出したのを覚えています。足を前に出せば、確実にゴールに近付く。来たら、沿道を埋め尽くす人たちが「もう少し!」と一生懸命に声をかけてくれるんです。あぁ今私はすごい舞台に立っているんだという思いが湧き上がってきました。歩くのが精一杯だったのに「頑張って走って!」という声に、最後の力を振り絞って走り出しました。そして完走! 「コングラッチュレーションズ」の声の中、感極まって涙があふれました。
その日の夜、皆は食事に出かけたのですが、私は頭も体も内臓も疲れ切ってしまい、動けませんでした。何も考えられない中で、終わってしまったという寂しさだけは感じていました。
あれから15年。ホノルルマラソンには全部で4回、那覇マラソン、グアムやゴールドコーストマラソン、ホノルルハーフマラソン・ハパルアにも出場しました。ここ数年はウルトラマラソンやトレイルランニングにも挑戦しています。
走ることで私の人生は変わりました。誰かと自分を比べることがなくなりました。マラソンは、体も体力も人それぞれなので、自分が楽しめることが一番。ラン以外も同じことなんだと気付きました。
体質も変わり、太りにくくなり、体力が付きました。汗をかくことで、肌に吹き出物ができなくなり、顔色も良くなりました。向上心のあるラン仲間もたくさんでき、一緒に温泉に入ったり、山小屋で鍋焼きうどんを食べたり、おいしいビールを飲んだりする楽しみも増えました。
こんなすばらしい魅力を持つランのことを、多くの女性に伝えたいと思い、ラン仲間と「ランガール」という団体を立ち上げました。私自身がそうでしたが、長距離を走るというとストイックなイメージを持つ方が多いと思うので、ランガールでは5㎞、10㎞を中心とした大会を企画しています。走る楽しみを感じていただいて、これがきっかけとなってホノルルマラソンを目標にしてもらえたらうれしいです。
(Lighthouse Hawaii 2016年12月1日号掲載)
2006年9月、ハワイから日本へ向けて放送するラジオ番組の仕事のため、2年間の予定でハワイに引っ越しました。それまで数えるほどしかハワイに行ったことがなかった私のミッションは、ハワイ初心者の視点で日々の発見を日本に伝えることでした。
移住してちょうど3カ月後がホノルルマラソン。日本でも有名なこのイベントを、ただ見に行くというわけにはいかない状況で、生放送内で出場を宣言してしまいました。スポーツに苦手意識があった私にとって、42㎞は想像もできない世界。「全部歩けばいいんだよね」と考えていました。
ホノルルマラソン当日、スタート時に打ち上がる大きな花火に感動! その後、見ず知らずの人たちが自分を応援し、励ましてくれ、ハワイという場所の懐の深さを強く感じました。
一方で、体は悲鳴をあげていました。42㎞は歩くこともままならない距離ということを実感。おにぎりとカメラを持ってピクニック気分でスタートしたものの、最後は動けなくなるほど辛かったです。沿道の声援に背中を押され、必死にゴールを目指しました。
翌日、疲労困憊の中で思ったのは、街をあげてこんなにおもしろいお祭りが行われていたなんて、今まで知らずに損していた! ということ。街が会場になる雰囲気にハマってしまったんです。
それ以降、ハワイで小さなマラソン大会に参加するようになりました。マラソンは、対面で相手を打ち負かすスポーツではなく、皆で同じゴールを目指して頑張るところが自分に合っていたんだと思います。いつでもどこでも、1人でもできる気軽さもいいですよね。
家族と離れて一人で暮らし始めたハワイで、ランニングを通して見知らぬ人や身近な人とのコミュニケーションが広がり、街を知ることもでき、街と人との距離が縮まっていきました。走ることが、私にとってのコミュニケーションツールになっていったんです。
日本に戻ってからも、共通の”ランニング”という経験があるだけで、立場や年齢、性別などの違いを超えて、さまざまな人と会話がはずむことが多くありました。特にフルマラソンの経験を持っているだけで分かり合える。それだけで悪い人の気がしないんです!
年齢と経験を重ねるごとにベストを更新していけるのもうれしい発見でした。歳を重ねるといろいろな数字が落ちて行く中、マラソンはタイムを縮めていけるのです。
ファッションやメイクも楽しみの一つ。着飾るということではなく、自分らしく、心地良いと感じるウエアを身につけて走るのが楽しい! 新しいウエアを買うことが、次のランニングのモチベーションになることも多々あります。最近、ランニングに合わせた華やかで崩れないメイクも教わり、さらに楽しみが増えました。
ランニングをしていたから出会えたのが「ランガール」の仲間です。ランニングを通じて自分が感じてきた経験を、少しでも多くの人に味わってほしいという思いが集まり立ち上がった団体です。
結成した2010年当時、女性ランナーは、大多数を占める男性ランナーの中で気後れしたり、更衣室が吹きさらしのテントだったり、女性には厳しい環境の大会が多かったんです。そこで女性向けの大会「ランガール★ナイト」を企画して、女性が心地良く出場できるサービスを徹底しました。参加賞にも力を入れ、毎回オリジナルアイテムを製作しています。日常的に長く使っていただけるよう、あえて大会名は入れず(笑)、デザインや使いやすさにこだわったシューズケースやサンバイザーなどを作ってきました。
日焼けを気にせずに走れるように、大会は夕方スタート。初心者がチャレンジしやすい距離設定、さらに達成感や余韻を共有できるアフターパーティーも開催。また、最新のランファッションやメイクを発信する場として、パーティー内でランウエアのファッションショーも行っています。
目的は、あくまでもランニング大会の入り口として楽しんでいただくことです。私がホノルルマラソンで味わったように、最初の体験がものすごく大事ですから。そういう大会の場を作ることがランへの恩返しだと思っています。
“走る女性のパワーで毎日を豊かに”をキーワードに、主にメディア・ファッション・ビューティー業界で働く女性ランナーにより、2010年に発足。メインの活動は、発足のきっかけにもなった、女性向けのランニング大会「RunGirl★Night (ランガール★ナイト)」の企画運営。2010年当時、まだ少なかった女性のランニング大会の先駆けとなる。ラン+アフターパーティーというユニークなスタイルで、中でもパーティー内で実施される、複数のスポーツ・ファッションブランドが一堂に会するラン&フィットネスウエアの本格的なファッションショーが話題に。大会は非営利で、メンバー(2017年現在13名)が本業の傍らボランティアで企画運営に携わる。ランナー参加費とチャリティーグッズの売り上げのそれぞれ一部が、女性の健康や東北・熊本の地震被災地支援などのために寄付されている。
Webサイト: rungirl.jp
(’Eheu Autumn 2017号掲載)
※このページは過去のLighthouse Hawaiiおよび’Eheu掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。