最初、どこかの俳優さんかと思った。どことなく漂う凄み。ちょっと初対面では臆してしまいそうな迫力だ。でも優しくニコッと笑った時、その瞳の抜けるような美しさに気付いた。これが人生の半分以上、空を追いかけてきた男の瞳なのだろう。
「今日のこの雲、早く晴れてくれればいいんだけどね」
そう言いながら空を見つめる目は、まるで孫を愛でるような愛おしさに満ちていた。この人は本当に空が好きなんだな、そう思わせた。スカイダイビング・インストラター、山中敦さん。仲間からは「アツシ」と呼ばれている。オアフ島ノースショアにある「スカイダイブ・ハワイ」のインストラクターを務める。主に旅行者にスカイダイビング体験を提供しているこの会社で、日本人は山中さん1人だけだ。ハワイに来て20年。スカイダイビングと関わってから30年近く。人生の半分以上を空と共に生きてきた。
「なんで空なのか。よく聞かれる質問ですけど、正直なところ、自分でもわからないんだよね。子どもの頃から不思議と空を飛ぶオモチャとか、飛行機が好きでした。で、テレビでスカイダイビングする人たちを観たんですよね。その時ピンときたんです。ああ、自分は将来、これをやるなって。自由に空を舞っている姿が印象に残ったのでしょうね。中学生の頃には、絶対これをやると決めていました」
とはいえ、大学生になった当時の80年代はスキーが全盛で、まだ初心者が気軽にスカイダイビング挑戦できる環境は整っていなかった。そこで学生時代はじっと我慢。初めて空を舞ったのは、社会人1年目のことだった。
「スカイダイバーで、初めてのダイブを忘れる人は誰もいないと思いますよ。それほど、人生初のダイブというのは、強烈な思い出なんです。ここにも、人生初というお客様がたくさんいらっしゃいますから、私たちは余計、一所懸命になってしまうんですよ」
山中さんの初ダイブ、一体どんな体験だったのだろう?
「1989年10月15日。しっかり憶えています。なにしろ、すごく怖かった!当時はタンデム(インストラクターが背中に付いて一緒に飛ぶスタイル)がなくて、1人で落下しますから、初めて飛ぶには半年以上の訓練が必要でした。ようやくの初ダイブでしたから、気負いもすごかった。緊張してガチガチになって、怖くて、何が何だかわからなかったけど、“うわ、これ気持ちいい!”という感覚だけはしっかりと感じました。落下した途端にパラシュートが開く初心者用のダイブだったんですけどね」
そう言いながら山中さんは笑う。それからはスカイダイビング三昧。会社勤務のかたわら、日本全国を旅して空を舞った。館林、金沢、岐阜、鈴鹿、藤岡…気付けば、年間のダイブは、100回を超えていた。
「まさにダイブ一色。何度飛んでも飽きませんでした。そんな頃、ちょうど91年くらいからタイデムというスタイルが始まり、日本国内でもインストラクターの需要が増えてきたんです。もしかしたら、スカイダイビングで食べていくことができるかもと思いました」
いち早くタンデムマスター(初めての人と一緒に飛べるインストラクター資格)を取得した山中さん。プロになる道を意識し始めた。そして人生の転機が訪れる。
1994年、チェコスロバキアで開かれたスカイダイビングの大会に出場した時、ハワイから来たダイバーと出会ったんです。すると彼が、日本人観光客が増えているのにハワイには日本人インストラクターがいない。お前、やらないかと言うんです」
そして1995年、意を決してハワイに移住。職を得るまで時間はかかったが、やがて全米のタンデムマスターの資格を取得。今は資格取得希望者の指導もしている。
「空を舞う感動は人生を変える力があります。スカイダイビングは、数分という短い時間で感動を与えられる芸術です。より多くの人にこの感動を味わってもらいたい。それが今の生きがいですね」
山中さんの透き通った目の秘密が少しわかった気がした。
◎ スカイダイブ・ハワイ / Sky Dive Hawaii
☎ 808-551-7770
☎ 日本国内電話:050-5532-3986(日本時間6:00am〜3:00pm)
ワイキキ・アラモアナより送迎あり
▶ Webサイト:www.skydivehawaii.jp
※日本からはスポナビハワイ(www.sponavihawaii.com)からも予約できます。
(Eheu Winter 2016年号掲載)
(Photos: Pakkai Yim)