7年間のラブコールの末に作られたアルバム「マカハ・サンズ・メモワール」の制作エピソードをご紹介
オアフ島カイムキで生まれ育った音楽少年が、音楽の世界をめざし、ロスに渡ったのは25年前。ピアノ、ギター、ウクレレ、ドラムを演奏し、ボーカルも務める上、作詞、作曲、プロデュース、エンジニアもこなし、近年、ギターやウクレレのモデル制作も手がけるダニエル・ホー。キャリアはすでにトップクラスとはいえ、あえて「熱血音楽少年」と呼びたいほど、音楽に対する熱意がいつもフレッシュな音楽人です。
今年、48歳になるダニエル、15年前に初めて会った時から変わらぬベイビー・フェイスとお茶目な笑顔も魅力的です。そのダニエル・ホーが、ハワイの大御所バンド、マカハ・サンズのジェローム・ココに7年間のラブコールを送り続けて実現したプロジェクト作品が「マカハ・サンズ・メモワール」。
ジェローム・ココは、今年61歳、幼稚園時代にハワイ語と音楽に触れ、小学校4年生でハワイ文化や音楽にめざめたそうです。1976年、マカハ・サンズ・オブ・ニーハウを同級生のムーン・カウアカヒ、スキッピー・カマカヴィヴァオレ、スキッピーの弟で、伝説のシンガーの異名を持つイズこと、イズラエル・カマカヴィヴォオレサム・グレイと結成。そして、メンバーの入れ替え、スキッピーとイズの死後、名前を「マカハ・サンズ」と改名し、ムーン、ジェローム、ジェロームの弟ジョンによる新生マカハ・サンズとして音楽道を歩み続け、日本のハワイ音楽ファンやフラコミュニティーにもお馴染みのバンドに成長しました。その人気バンドを7年前にロスのイベントに招聘したダニエルは、マカハ・サンズ・サウンドに恋に落ち、「メモワール」的なアルバム制作を提案。ジェロームいわく、「その時は、バンド自体が円熟期を迎えていた頃で忙しく、タイミングが合わなかった。でもダニエルは熱心にラブコールを送り続けてくれたんだ。そして、やってみようか!と思っていた矢先、弟のジョンが2012 年6月に急逝。ショックで音楽活動をする気が起こらなくなってしまった。そして14年にはムーンが音楽人生リタイア宣言をしたので、僕はマカハ・サンズとしては一人ぼっちになってしまった。その時に、やはり僕の人生は音楽なんだと気付いて、ラブコールを送り続けてくれたダニエルに僕から電話をしたんだ。そしてこのアルバムが生まれた」。
2人の共作となる『マカハ・サンズ・メモワール』は、マカハ・サンズのステージではお馴染みのナンバーでもレコーディングしたことのないリリウオカラニ女王の作品やハワイアンのトラディショナルソングをシンプルにアレンジ。ハーモニーを得意としていたマカハ・サンズ・スタイルから少し進化し、ジェロームの優しいソロボーカルを際立たせている点が、新しいスタイルに感じるかもしれません。「懐かしくて、新しい」マカハ・サンズの音楽回顧録に仕上がった大推薦の作品です。
この構想を思いついた時にダニエル・ホーが、エイミー・クウレイアロハ・スティルマンと共作で作った「Welo」はマカハ・サンズへのラブコールとして贈った曲。マカハ・サンズがステージでよく歌っていたリリウオカラニ女王の作品はサノエを含め、4曲収録。数年前、マカハ・サンズにインタビューした時、ジェロームにつけたニックネームは、「カラーカウア王様」。似てますよね。(スタジオリムハワイでも販売中)
精力的にアルバムを制作しているダニエル・ホーの最新作。昨年は、メインランドだけでなく、アジア諸国へ音楽ツアーに出かけたダニエル・ホー。各地で彼が体験した異文化や素晴らしいミュージシャンたちとの出会いに敬意を表したいと思い、制作したアルバム。ダニエル・ホーが、人生のなかで大切にしている「ハーモニー」を感じる、やさしい気分になるアルバム。推薦盤。(スタジオリムハワイで販売中)
◎ハワイ在住15年。ラジオDJ、MC、ライター、イベントディレクター、コンサルタントと多方面で活動中。最近では、ハワイについての講演会も行っている。イオラニ宮殿のドーセント。国立新潟大学理学部卒業。
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(’Eheu Winter 2016号掲載)
※このページは「’Eheu Winter 2016」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。