ハワイ独自のキルトとして発展したハワイアンキルト。大胆で鮮やかな色彩が特徴のハワイアンキルトの歴史をひも解くとともに、ハワイの歴史において重要なアンティークキルトを紹介する。また、キルト教室を開催しているハワイアンのキルター、ガシー・ランキン・ベントさんにキルトにまつわる話を聞いた。
(Text: Yurie Sakakibara, Historic Hawaiian Quilts from the Honolulu Museum of Art)
ハワイアンキルトの始まりについては諸説ある。19世紀、本土からハワイに来た宣教師の妻たちによって当時アメリカで人気のあったパッチワークキルトをハワイの淑女たちに教えたのが始まりというのが一つの説。
その場にいた宣教師の記録によると、1820年4月3日、ボストンを出航して60日目、ハワイ島の西を航海中だったサディウス号の船上で裁縫教室が行われた。さんさんと照る太陽の下、宣教師の妻たちがカラクア女王と4人のハワイの女性たちにパッチワークを教えた。
パッチワークは、開拓者の妻たちが古い布の切れ端を寄せ集めて、色や形などを考えながら縫い合わせて作った廃物利用のベッドカバーだった。当時、服などを作った後のはぎれというものが無かったハワイでは、当初、大きな布を小さく切って縫い合わせるという本末転倒のキルトが作られたという。
ハワイのキルターたちに最も好んで語り継がれている説は、木陰に干してあった白いシーツの上に、大きな影を落として揺れ動くレフアの木の葉の模様がインスピレーションとなってハワイアンキルトが生まれたというもの。
いずれにせよ、大きな布を4枚または8枚に折り畳んで、切り抜き、左右対称のデザインをアップリケする手法が次第にハワイアンキルトと呼ばれるようになった。
現在ハワイアンキルトのデザインは、ハワイの自然を題材にしたものが多いが、かつてはハワイの旗や紋章、聖書をモチーフにしたものも作られた。ハワイの旗や紋章をテーマにしたキルトは、フラッグキルトと呼ばれ、ハワイアンキルトの歴史において重要な意味を持つ。
現存するフラッグキルトは、リリウオカラニ女王が退位してハワイ王国が終焉を迎えた時に、失った祖国を惜しんで作られたもので、国旗や紋章がデザインされているのが特徴。
リリウオカラニ女王は、イオラニ宮殿の2階に幽閉されていた時にキルトを作っていた。そのキルトは大切に保管され、今でも宮殿に飾られている。女王のドレスの布などを使ったキルトの手法は、クレイジーキルトと呼ばれ、さまざまな生地をつなぎ合わせて、飾り刺しゅうで継ぎ目を縫うのが特徴である。
クイーンズキルトと呼ばれるこのキルトの中心部分には、女王の誕生日や幽閉された日などが刺しゅうされている。女王は8カ月ほど幽閉されていたが、未完成だったキルトは彼女の意志を継いだ他の人たちによって完成された。
クイーンズキルトと共に、ハワイで重要なキルトと言われるのは、「エデンとエレナーレの美しい楽園」と名付けられたキルト。聖書のエデンの園のアダムとイブを右側に配し、左には、19世紀後半のハワイの恋物語を描いたもの。魔女に捕らわれていたレイナアアラを恋人のエレナーレが救い出し、2人は彼の住む楽園で末永く幸せに暮らしたという話。木の下に立つレイナアアラは、ハワイ王朝のエマ王妃、王冠の下のエレナーレは、エマの夫のカメハメハ4世をモデルにしていると言われている。
ハワイアンキルトは、今も昔も自分の思いを縫い込んだものであるが、近年は政治色の強いものより、植物を題材にしたものが多い。初めて作るキルトには、パンの木のデザインがよく使われる。
パンの木は、大きな葉と直径20cmほどの丸い実が特徴の木で、その実はポリネシアでは重要な食べ物である。パンの木の図柄(パターン)のキルトを作ることは、作り手である自分も成長して豊かになり、ひいては知識を増やすことだと信じられている。
キルトは、一針一針刺して作る作り手の気持ちが込められたもの。長い時間かけて作られたキルトは、作り手から子、子から孫へと受け継がれるのがならわしになっている。
ハワイアンの間では子どもが生まれると、家族が赤ちゃんのためにベビーキルトを作る習慣がある。キルターのガシー・ランキン・ベントさんが生まれた時には、おばあさんがハワイアンキルトを2枚作ってくれたそうだ。
長い時間をかけて作るキルトは宝物のようなもので、ガシーさんは、「母は、お客様が来る時だけ祖母の作ったキルトを出して飾っていました。母も手芸が好きで、戦時中、灯火管制が敷かれて誰もが薄暗い家の中で過ごさないといけない時でも、ランプの灯りでアップリケをしていました。そんな家で育ったので、子どもの頃から裁縫に馴染みがありました」と言う。
長年ハワイアンキルト教室を開催しているガシーさんは、30代の頃、キルターとして評価の高いデビー・カカリアさんやメアリー・カラマさんからキルトの作り方を習った。
ガシーさんは、「私はすぐにキルトに夢中になりましたが、主人はゴルフを始め、週末、男友達とゴルフをするようになりました。夫がゴルフをしている間、妻が家に残されてしまうのはつまらないと思い、女友達を集めて女性だけのゴルフクラブを結成しました。ゴルフの集まりの後、宴会をするようになったのですが、私は飲めないので、1人だけ黙々とキルト作りをしていました。
すると皆がキルトに興味を持ち始めて、教えて欲しいと言われるようになりました。でも、お酒を飲みながらキルトをするのは不謹慎だと思い、キルトをする日は、お酒を飲まない宴会にしたいとお願いして、キルト教室が始まりました。私のキルト教室は、ゴルフ仲間の宴会が発端なのです」と笑う。
Photo: Taku Miyazawa
ガシーさんのハワイアンキルト教室「ポアイクラブ」は、現在はクイーン・エマ・サマー・パレスで行われている。広い部屋の中では、彼女の指導の下、生徒たちが各々のキルトを楽しげに縫っている。「キルトの題材は自然からヒントを得ることが多いです。いいなと思う草花を見かけたら、すぐに下絵を描きます。どんな色も好きですが、配色にはとても気を配ります。手法は同じでも、図案や配色などの違いで、キルトには作り手の個性や好みが表れるので面白いと思います」。
キルトのパターンを共有しない人もいるが、彼女は何でも分かち合う主義なのでコピーしても構わないと言う。誰でも他の人の影響を受けて成長するというのが彼女の考え方。また、気分が沈んだ時やイライラした時にはキルトはしないという。「主人の介護をしていた時には、キルトをする気にはなれませんでした。キルトの縫い目には、作り手の心のありようが表れますから、気分の良い時に作るものだと思っています」。
彼女のお気に入りは、生徒たちがそれぞれ一部分を縫い、彼女の誕生日に贈ってくれたパンの木のキルト。「キルトは、作り手が気持ちを込めたことが分かり、そのキルトを大切にしてくれる人に贈ることができたなら、最高の贈り物ですよ」。
Photo: Taku Miyazawa
ハワイ語では、ハーナイアカマラマ(南十字星)と呼ばれるクイーン・エマ・サマー・パレスは、エマ王妃と夫のカメハメハ4世、息子のアルバート王子が夏の別荘として使っていた邸宅。国の歴史的建造物に指定され、現在は非営利団体のドーターズ・オブ・ハワイが管理している。
エマ王妃が使ったベッドやアルバート王子のゆりかごなどが展示され、ベッドには同館所蔵のハワイアンキルトがかけられている。キルトは時々変更される。
◎ クイーン・エマ・サマー・パレス
2913 Pali Highway, Honolulu, HI 96817
☎ 808-595-3167
▶ 開館時間:毎日9:00am ~ 4:00pm
▶ 入場料:10ドル、カマアイナとシニアは8ドル。5歳から17歳は1ドル
▶ Webサイト:http://daughtersofhawaii.org/
1932年ホノルル生まれ。カメハメハ女子校(現カメハメハ校)卒業後、ハワイ大学に進学するが結婚を機に中退。ハワイアン航空に勤務後、61年にカメハメハ校に戻り、教師、理事、博物館学芸員として42年間勤務。2005年にカメハメハ校より、同校やハワイ文化などに貢献した人に贈られるOrder of Ke Ali’i Pauahi賞を受賞。ハワイアンの血を引くキルター、羽根レイ工芸家として知られ、ホノルル美術館、ニュージーランドの美術館などに彼女のハワイアンキルトが所蔵されている。
(‘Eheu Autumn 2016号掲載)
※このページは「‘Eheu Autumn 2016」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。