小笠原や福島の海を見てきたから気付くハワイの素晴らしさと課題
アメリカの有名なサーファー、ケリー・スレーターに憧れて、同世代として20歳のときにサーフィンを始めました。モテたい! と思ったのも理由の一つです(笑)。
26歳のときに、小笠原諸島の父島へ移住しました。東京の竹島桟橋から島へ行く船は一週間に1便。人口が2000人程しかいない小さな島です。ここで調理を生業にするようになり、他にもハマチの養殖を成功させたり、無人島でヤギ狩りをしたり、サバイバル生活をしていました。このとき無人島でのサーフィンも経験しました。きっとそこでサーフィンをしたのは僕が初めてだと思います。小笠原の海は本当に美しいんです。海を覗けば10メートル下もくっきり見える抜群の透明度があります。
小笠原で、サーフィンを通じて妻と出会い、結婚。息子が生まれ、僕と同じく野球少年に。野球の強豪校に進学させるため、15年間住んだ父島を離れ、和歌山へ引っ越しました。ところが息子が大怪我を負い、野球人生を諦めることに。それをきっかけに、家族で今後の人生を考え、昨年に念願のハワイへ移住してきました。
ハワイの海は波が良いだけでなく、人も素晴らしい。良い波に乗ると周りが笑顔でサインを送ってくれます。息子を連れて行ったときは、みんなで息子の周囲をブロックしてくれ、彼を波に乗せてくれました。
でも、悲しいことに海が汚れていると感じます。どうしても人が多いと環境は壊れてしまう。海を汚すのは人です。僕は福島の海沿いの小さな町で生まれ育ちましたが、そこの海は原発事故で汚染され、もう入ることはできません。
サーフィンを始めて25年。いくつもの海を見たからこそ気付くことができた環境のこと。オープンしたばかりの『創作居酒屋みのり』は、料理のクオリティー、店の雰囲気作りはもちろん、環境にも配慮できるような店にしていけたらと思っています。
🏄♂️お気に入りサーフポイント
ふじなが・いちろう
1974年福島県出身。高校卒業後、軟式野球の実業団、AGC旭硝子に所属。その後、建設業などを行った後、2000年に小笠原諸島父島へ移住。洋食店、イタリアンレストラン、養殖業などに携わる。2016年に和歌山へ引っ越す。2018年2月に創作居酒屋みのりBy塚田農場への就職を機に、家族でハワイへ移住。現職へ。
(2019年4月16日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年4月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。