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第22回【タンタラス・ドライブ】ハワイ王国と英国の絆

 

 

 

英国のヴィクトリア女王の名を冠したのか、それともカメハメハ5世と4世の妹ヴィクトリア・カマーマル王女から名付けられたのか?

 ヴィクトリア通りはサウス・キング通りのNBCホール横から山に向かい、トーマス・スクエアとホノルル美術館の東側を通る短い道です。しかしH1フリーウェイの山側にも同じ名の通りがありますので、高速道路が造られる以前はパンチボウルの丘に向かって、もう少し先まで延びていたのでしょう。

 名の由来はさておき、この道はどうやら1850年頃には既にヴィクトリア・ストリートと呼ばれていたようです。19世紀半ばのハワイ王国はカメハメハ大王の息子、カメハメハ3世が統治していた時代です。ホノルル港は捕鯨船の中継補給基地として賑わい、砂糖農園が王国各地に広がっていった頃ですが、3世にとっては問題が山積。欧米人来島とともにもたらされた病によるネイティブハワイアンの人口減少や、それに輪をかけて捕鯨船に雇われ戻らない若いハワイアンの男性の増加。そして、商業利権や貿易に関する法令作成の遅れに、国内の暴力と無法、飲酒の弊害への対応等々。

 しかし最大の課題は領土問題でした。英国との良好な関係を享受したカメハメハ大王と2世の時代とは打って変わり、3世は列強からの侵略に対して神経を尖らせることになります。

 1843年には英国の艦船が来島。一方的にハワイ王国の領土引き渡しを迫り、ホノルルに英国旗を掲げました。3世はヴィクトリア女王に書簡を送り、その結果、英国はハワイ王国の主権継続を承認。英国海軍太平洋艦隊司令官トーマスが来島し、ヴィクトリア女王がハワイ王国の継続を認めた旨の演説を行いました。

 その演説を行った場所がトーマス・スクエアですので、それに沿う道の名にヴィクトリア女王の名が付けられたとしても、頷けます。

 昨年の夏、主権回復から175周年を記念して、ホノルル市によりこの緑の公園にカメハメハ3世の大きな像が建てられました。現在ハワイ州旗として使われている、3世が制定したハワイ王国旗もたなびいていますので、皆さんもキング通りを通る際に目にしていることでしょう。

 ヴィクトリア通りはトーマス・スクエアとホノルル美術館の間でベレタニア通りと交差します。この名そのものも英国を意味する道の名ですし、ベレタニア通りをダウンタウンに向かえば、クイーン・エマ通りとの角に英国国教会の聖堂として建てられた聖アンドリュース・カテドラル教会があります。

 カメハメハ3世の時代、米英仏の列強から翻弄されたハワイ王国ではありますが、今でもハワイには英国の香りのする場所や名が多く残されています。

(2019年6月1日掲載)

執筆 David

◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む

 

 

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