ハワイ王国第6代の王「ルナリロ」の名を冠した道が、ハワイカイに在ります。カハラから東へ、ココ マリーナ センターの先、ハナウマ湾に向かって上り坂になる手前で交差する通りで、この道路に面するカイザー高校の隣にルナリロ ホームと云う名のお年寄りのための施設があります。
1864年に改正されたハワイ王国憲法には、もし王が後継者を指名しなかった場合、王の血の流れている者の中から、王国議会での選挙で後継の王を選ぶ、との一項がありました。そして、カメハメハ5世が後継者を指名することなく亡くなったため、1873年(明治6年)1月、その条文に従い議会の選挙で選ばれた初の王が37歳のウイリアム チャールズ ルナリロで、王の系列の中でもカメハメハ系に最も近い王族の1人でした。
英語を解し、文学や詩、音楽に秀で、人民の王と称されて国民に敬愛され、人口が極度に減少していく国民を憂い、お年寄りにも配慮を欠かさない人であったと伝えられています。しかし、ルナリロは短命で、王になり1年余、39歳で他界してしまいます。王はその遺言で、貧しい老人(クプナ)のための施設をつくることを求め、それにより創られたのがルナリロ ホームでした。
1881年(明治14年)に建設が始まり、当初の施設は、ルナリロ(H1)フリーウエイの山側、マキキ地区の山が迫るあたり、パンチボールの丘の入口付近から眼下に見えるルーズベルト高校のキャンパスを含む広い土地に建てられました。その後、1927年(昭和2年)に、当時まだ開発が進んでいなかったハワイカイの現在の土地に移転しました。
王は、没後も人民の中に居たいとの意思も残しており、一度はマウナアラの王家の墓に葬られたものの、1年後に父親により遺骨が庶民の多く行き交う場所に移されました。ルナリロ王の墓は、ホノルルのダウンタウン、カメハメハ大王の銅像のダイアモンドヘッド側(東側)に建つ、珊瑚の石で造られたカワイアハオ教会の門を入ったところに在ります。
在位期間の極めて短かかったルナリロですが、王は人民により選ばれるべきだとも考え、自分も後継者を選ばずに亡くなっています。19世紀後半のハワイで、お年寄りのための施設を創ろうとした偉業からも、国民から人民の王と呼ばれて親しまれた所以が解ります。
(2018年8月1日掲載)
◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む