第19回【スクール・ストリート】ロイヤルスクールへの道

 

 

 

Sから始まる道の名を探してみると英語或いは人の名に基づくものがほとんどで、ハワイ語の道は見つからない。もともとハワイ語にはSの音が無いのです。

スクール ストリートはホノルルのダウンタウン、H1フリーウエイの山側、クイーンエマ通りとの角から北西にまっすぐカリヒ地区まで延びていて、この道と交差するカパーラマ通りにビショップ博物館が在ります。博物館は、1887年(明治20年)に開校したカメハメハ スクールの元の敷地内に建てられたので、カメハメハ校への道としてスクール通りと名付けられたのかと想像したのですが、どうやら答は「否」。

正解は、カメハメハ3世が王家の子弟のために開いた学校、ロイヤルスクールに向かう道として名付けられたものでした。

列強に領土を脅かされていた当時のハワイ王国。3世は、王になる者には外国の考え方の理解が必要と考え、王家の子女に英語での教育を施します。1839年、旧宮殿近くに仮の校舎が完成。チーフス・チルドレンズ スクールと命名され、3世の命を受けた宣教師クーク夫妻により教育が始まりました。翌年には、現在ハワイ州会議場の建つ場所に本学校が完成。教室の他に食堂や応接室、寝室も整った寄宿制の学校になり、後にロイヤルスクールと名称を変更。若き王族たちが生活を共にしながら英語で学び、その内の4人が王、1人が女王として、ハワイ王国後半の政治を担うことになります。

ロイヤルスクールに名称が変わった1846年、ニューヨーク州生まれのチャールズ リード ビショップが来島。オレゴンで仕事をしようとニューヨークを出航したのですが、南米大陸の最南端ケープホーンを通過中に船が破損。親友のウイリアム リーと共に、修理のために寄港したホノルルで船を降りてしまいます。そして、ロイヤルスクールを訪れたチャールズは、そこで学んでいたカメハメハ大王の曾孫バニース パウアヒ パーキーと親しい仲に。1850年6月にこの学校の応接室で結婚式を挙げました。チャールズ、28歳。パウアヒ18歳の時でした。

ビショップ氏はハワイ王国の政治、経済、教育などの分野でその才能を発揮し、ハワイで初の銀行業も始めた人でしたが、夫人は癌を患って52歳でこの世を去ります。そして、カメハメハ系の末裔として多くの土地や財産を授かっていたパウアヒ夫人の遺言を基に、ハワイアンの子弟のために開校されたのが外ならぬカメハメハ校でした。

スクール ストリート。学校に因んだ単純にも聞こえるこの通の名には、欧米の大国に翻弄されたハワイ王国の歴史と、バニース パウアヒ ビショップ夫人のハワイアン子弟の教育への並々ならぬ思いが隠されているようにも感じます。

 

(2019年3月1日掲載)

執筆 David

◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む

 

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