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マキキ墓地でお盆法要が営まれる

7月15日(土)、ホノルルのマキキ墓地でお盆法要が行われました。

マキキ墓地にはハワイへの日本人移民を祀る鎮魂碑や旧日本海軍墓地が建立されていて、ハワイ日系人連合協会などが中心となって清掃や供養を行っています。

この日は、在ホノルル総領事館から井澤首席領事らのほか、ハワイ日系人連合協会やハワイ明治会などの日系人団体などが参列しました。クリスティーン・クボタさんの進行によって、井澤首席領事の挨拶に続き、ハワイ浄土宗別院主管・石川広宣(こうせん)開教総監がお経をあげて供養が行われました。

その後、ハワイ仏教連盟加盟の住職の方々と、参列者全員がお焼香をあげ、石川開教総監の説教が行われました。

そして、最後にハワイ日系人連合協会の新会長であるキース・サクダさんが「私たち世代にも先駆者である移民の方々の偉業を知っていただく必要がある」と挨拶をして閉会となりました。

ハワイへの日本からの移民と、マキキ墓地については、クリスティーン・クボタさんが以下のようにまとめています。

1868 年、明治天皇の時代、サイオト号と呼ばれる船に乗り込み、5 人の女性と 136 人の男性が横浜から 14 日間かけてハワイに向かいました。後に「元年者(がんねんもの)」と呼ばれることになる、日本からハワイへの最初の移民たちです。この先駆者たちに続き、1885 年に日本の明治天皇とハワイのカラカウア王の間で条約が結ばれたことから、最初の契約労働者として移民たちがハワイに渡ったのです。

移民たちは、プランテーションで週 6 日、1 日 10 時間から 12 時間働き、その月給は 10 ドルから 15 ドル程度でした。 彼らは、日本に仕送りをするためにお金を貯めたり、裕福なビジネスマンとなって帰郷することを夢見ていましたが、多くは身寄りもなく、パンチボウルの斜面にあるマキキの地に埋葬されました。 家族もなく、墓を管理するものもいないので、墓標は腐り、墓は倒れ、低木が墓を覆っていました。

1985 年、ハワイに初めて官約移民がやってきてから 100 年後、オアフ島官約移民 100 周年記念委員会はこの状況を何とかしようと考えました。地域住民の寄付と各種の許可を得て、放置されていた 289 基の墓を共同墓地「寄せ墓」に集めました。 美しい御影石の記念碑が日本の岡山県で造られ、ハワイに運ばれて、寄せ墓へ。1986 年 2 月 8 日に除幕式が行われました。
その後、毎年 2 月にこの先駆者たちを偲ぶための礼拝が行われてきました。
1994 年、ハワイ日系人連合協会はオアフ島官約移民 100 周年記念委員会からその任を引き継ぎ、毎年 7 月のお盆の行事と時期を同じくして礼拝を執り行うようになりました。 毎年、ハワイ州仏教会から僧侶をお招きして、ハワイ日系人会のお盆法要をお手伝いいただいております。

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