まさに州経済の中枢。ハワイ有数の銀行の本店が立ち並ぶダウンタウンを、ベレタニア通りからホノルル港まで走るビショップ・ストリート。ハワイで初の銀行業を営んだビショップ氏の名を遺す通りです。
チャールズ・リード・ビショップは、ニューヨーク州ハドソン川上流、グレンズフォールズの生まれ。1846年、24歳の若さで来島し、カメハメハ大王の曾孫、バニース・パウアヒと29歳で結婚。1858年には、ビショップ&カンパニーという名のハワイで最初の銀行を立ち上げています。
ビショップの手腕は商業に留まらず、永年にわたりハワイ王国の政治にも力を注ぎ、王国の議員や内務、外務、財務の主要ポストも歴任。そして活躍の場は教育界にも向けられ、妻パウアヒの没後、その遺言に従いカメハメハ・スクールを開校し、ネイティヴハワイアンの子弟の教育に力を注ぎました。ビショップ博物館も彼の意思で建てられています。
さて、ファースト・ハワイアン・バンク本店の山側、高層ビルに囲まれたビショップ通りとサウスキング通りの角に、ビショップ・スクエアと呼ばれる広場があり、仕事に追われる人々の憩いの場所にもなっています。
19世紀の半ば、このあたりにはハレアカラーと呼ばれるビショップ夫妻が住む洋風2階建ての邸宅がありました。その敷地は、現在のビショップ、キング、フォート、ホテルの4つの通りに囲まれるあたりに広がり、夫妻の邸宅は当時の社交や慈善事業の場にもなっていたとのこと。
時代は流れ、1893年(明治26年)に王国は終わりを告げ、ハワイは5年間の共和国の時代を経て米合衆国の準州へと変貌を遂げていきます。 ビショップ通りが港に突き当たる角には、かつて砂糖産業で栄えたハワイ準州時代を代表する建物、ディリングハム・トランスポーテーション・ビルが現存しています。砂糖農園の灌漑やキビ運搬用の鉄道建設を手掛けたディリングハム社が、1929年(昭和4年)に建てた建物。通りを挟んだ斜め筋向いのアレキサンダー&ボールドウィン・ビルと共に、米本土資本がハワイの砂糖産業に流入した時代の面影を色濃く残す豪華な造りの建物です。
ちなみに、ビショップ氏が開業した銀行は、その後ビショップ・バンク、そしてファースト・ハワイアン・バンクと名を変えて現在に至っています。
(2017年10月1日掲載)
◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む