沖縄からハワイへの移民125周年となった今年の『オキナワン・フェスティバル』。フィナーレを飾ったのが石垣島出身の歌手、夏川りみさんだった。彼女はこの日、会場を埋め尽くしたハワイのウチナーンチュたちを、沖縄の歌によって温かく包み込み、会場の心を一つにした。
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「125周年の記念となる今年のオキナワン・フェスティバルに夏川りみさんを呼びたい」。8年をかけてそれを実現させた、その立役者は製麺会社サンヌードルの夘木栄人社長だった。彼は自社で沖縄そばを製造し、ハワイ、アメリカ、そして世界へと、食を通して沖縄の文化を届けている。
夘木社長は、2017年にカピオラニ公園で行われた同フェスティバルに夏川りみを呼んだ。「あのとき、会場にいたオキナワの方々が目を潤ませて彼女の歌を聴いていたんです。その涙を見たとき、スポンサーをさせていただいて本当によかったと感動しました」。彼はもう一度、夏川りみの歌をハワイの皆さんに聴いてもらおうと意志を固めた。
その最後の関門となったのはビザだった。1年を費やして準備を進めていたが、一行が正式にビザを手にしたのは、出発当日。なんとか予定通りに到着したその日、深夜まで入念にリハーサルを行った。
ハワイ・コンベンション・センターで二日間にわたり開催された『オキナワン・フェスティバル』。フィナーレを飾るライブ直前、夏川は、「節目でもある今年のオキナワン・フェスティバル。一人でも多くの方に沖縄の音楽を届けられたらいいなと思います。行ってきます!」と、凛とした表情で舞台へ上がって行った。
小柄な夏川は、ステージに立つとひときわ輝きを増して大きな存在感を放つ。深く豊かに響く声で歌う『島唄』に、満席の会場全員が聴き入った。4曲を歌い上げ、「皆さん、ここからは盛り上がっていきますよ!」との声に続いて、沖縄民謡を2曲。会場のウチナーンチュたちから「イーヤーサーサー」と掛け声が飛び、ライブはクライマックスに。観客は体が動き出す衝動を抑えきれず、席を立ってカチャーシーを踊り出し、会場が一体となった。
琉球國祭り太鼓ハワイ支部との共演で聴かせた『島人ぬ宝』、そして夏川の代表曲である『涙そうそう』に、客席で涙を拭う姿もあった。
アンコールを終えた後も、鳴り止まぬ拍手に、夏川は名残惜しむようにステージに残り、笑顔でいつまでも手を振った。
こうした同郷がいるハワイへの思いは、「ずっと来たかったハワイへ最初に連れて来てくれたのは、沖縄の民謡歌手の知名定男さんです。ハワイの豊かな自然、そして人々の人懐こいところは沖縄に似ていて大好きになりました」。ハワイと彼女の縁も、やはり沖縄が紡いでいる。
2018年には、ハワイ同様に日本からの移民が多いブラジルとペルーでライブを行う一方で、中国でも精力的にコンサートを行ってきた。
「昔から地元で愛されてきた沖縄の歌を、私の声で世界に伝えたいんです。明るい曲やしっとりとした曲もあるのですが、あるときは癒しになり、あるときは楽しみにもなるのが沖縄の音楽。それが世界でも愛されていることを、ステージから見て実感してきたので、歌い続けて、次世代につなげていきたいですね」。
昨年デビュー25周年を迎えた夏川。彼女の人生の中で、歌はどんな位置づけにあるのだろう。
「私から歌をとったら何もなくなってしまいます。歌しかない。私の人生そのものです」。
とはいえ、歌では生きていけないのではないか? と一瞬、歌を離れたこともあった。15歳でデビューしたときのことだった。幼少期から歌うことが大好きで、父親の指導のもと歌の練習を積み重ねた。地元だけでなく、全国の各大会でも入賞を繰り返すように。満を持して演歌歌手としてデビューしたが、なかなか歌が人に伝わらず、一度は諦めた。
そんな彼女を救ったのはやはり歌だった。1999年に再デビュー。まもなくして、森山良子作詞、BEGIN作曲による楽曲『涙そうそう』と出合った。
「歌は祈りです。歌を通して世界の人たちとつながることができる。それは世界平和につながると信じています」。
今後を問うと、「沖縄の古典民謡だけのアルバムを作りたいんです。特に私の出身地である石垣の民謡を。そのために発声を含めてしっかり習おうと考えています。デビュー30周年にリリースできたら嬉しいです」。
民謡は、口承によって歌い継がれてきた音楽。その土地の自然、文化、歴史、風土が詰まっている。「フラと似ていますね」。ここにもハワイと共通点を感じるという。
沖縄への思いを、温かく澄んだ歌声によって世界へ伝えていく。「別格」とも言われる彼女の声について尋ねると「喉が強いんです。のど飴よりも大好きな唐揚げを食べていれば良い状態を保てます(笑)」と周囲を笑わせる気さくな一面も見せるが、歌唱力だけでなく歌に込められた沖縄の魂を一人一人の心に届けるその声は、天から授かった宝物であり、彼女の努力のたまものでもある。
その歌声を、サンヌードルの夘木社長は沖縄県出身の恵子夫人と共に感無量の面持ちで聴いていた。こうして海外に暮らすウチナーンチュやまだ沖縄に縁のない人にも、沖縄の歌を広めていくことだろう。
インタビュー:ライトハウスハワイ編集長 大澤陽子
このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年10月号掲載の記事を基に作成しています。