
ハワイの自然や文化、スモールビジネスを、テレビ、ユーチューブ、SNSなどを通して日本に伝え続けているサーシャさん。オアフ島ノースショアで育った彼女は、『サポートハワイ』も主宰する。さらにアーティストとして初の個展も開催。「本当のハワイを知ってほしい」という思いの原点を聞いた。
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父はアメリカ人、母は日本人で、母の地元である大阪で生まれました。幼いころから日本、アメリカ、ハワイを行き来し、中学生からオアフ島で暮らしています。ノースショアで海や山に囲まれて育ちました。
実はそうではありませんでした。夢はたくさんありましたが、ずっと好きだったのはアートです。3歳から塗り絵や絵を描いていて、カフク高校ではアートクラブに所属し、大学でもアートヒストリーやペインティングなど、あらゆるアートのクラスを受けていました。人前に出ることが苦手で、テレビのオファーをいただいたときは、最初は気が進みませんでした。母からは「レギュラー番組を持つということは、それに集中する覚悟が必要」と言われ、アートの勉強も一旦保留になるので、かなり悩みました。
私はずっと「本当のハワイを知ってほしい」という思いを持っていました。ハワイはワイキキだけではありません。ノースショアで育った子どものころは、みんなで「観光客は来ないでほしい」と言っていたこともありました。渋滞が起きたり、海が汚れてしまうのを見ていたからです。でも大人になるにつれて「ハワイに来て、見てほしい」と思うようになりました。ビジネスにしても、まだ知られていないハワイのブランドやアート、レストランなどがたくさんあるんです。たくさんの可能性を秘めたそれらをテレビで紹介することで地元の役に立てるのではないかと思い、決意しました。
正直、とても大変でした。そのときは今ほど日本語が話せず、大阪弁も強かったので、まず言葉を整えることから始まりました。また、日本から来られる撮影チームとの価値観の違いや日本の仕事のルールにも戸惑うことが多かったです。早朝から深夜までかかるロケが1週間ほど続くこともありました。体力的にも精神的にもかなりハードでしたが、多くを学ばせていただきました。
自分で決めた仕事でしたし、何より、番組で紹介したお店の人たちから「日本からお客さんが来てくれた!」と伺い、テレビの影響力を実感し、やり甲斐を感じたのです。ハワイの方々が喜んでくださったことで、「この仕事を受けたことに間違いはなかった」と心から思えました。その気持ちで、継続できました。
この活動は、本当のハワイを知ってもらう取り組みの一環なのですが、始めたきっかけはコロナ禍でした。周りのスモールビジネスの売り上げが突然ゼロになってしまったのを目の当たりにして、「自分にできることは何だろう」と考えたのです。ちょうどその頃、日本にハワイの今を発信するインスタライブを始めていました。日本の方々が「もっとハワイを知りたい」「応援したい」と言ってくださったので、ハワイで売れなくなってしまった商品を買い取って紹介し、日本の多くの方に購入していただきました。また、ホテルやデパートなどが一時休業となったために、縫製の仕事が無くなってしまった方たちに依頼して、私がデザインした商品を縫製していただいたりしました。それ以降、状況に合わせて活動がカタチになってきています。売り上げは、ハワイの文化や自然を守る活動をする団体やフードバンクなどへ寄付し、役立てていただいています。
テーマは『マラマ・アイナ(大地を想う心)』です。これは、ノースショアの海、木々や花に囲まれて育った子どもたちの間で、自然に口にしていた言葉です。自然を汚すことは人間の生活そのものを脅かすことだと、子どもでも感覚的に理解していました。今回の作品は、そんな私の視点で、ハワイの大地が持つ生命の息吹、自然の静かな力強さ、そして海(マカイ)と山(マウカ)をつなぐ循環をテーマに描きました。絵を通して、ハワイ古来の自然との共存を表現し、伝えられたら、という気持ちで展示しています。
私の全ての活動の根本にあるのは「人の役に立つこと」。誰かが笑顔になったり、喜んでくれたりすることなんです。コマーシャル化されたキラキラした部分だけではなく、本当のハワイの良さ、美しさを知ってもらうこと。それは、終わりのないゴールであり、私の使命だと思っています。

インタビュー:ライトハウスハワイ編集長 大澤陽子
このページは「ライトハウス・ハワイ」 2026年4月号掲載の記事を基に作成しています。