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死別サポートグループ 『ハグハワイ』代表  フロイド由起  

 

 

幼なじみと結婚し、一生横浜から出ないと思っていた20代、突然の家族の死に導かれ、今ではハワイで臨床カウンセラーを目指し奮闘中。

 

 

高校生の頃、「白衣の天使」になろうと決意したのは、若くして夫を亡くし、二人の子どもを立派に育て上げた看護婦長だった叔母を見ていたから。希望どおり看護学校に入学し、3年後に卒業し大学病院に勤務しました。「白い巨塔」の世界が目の前に広がり、ここでの経験が私の人生にインパクトを与えました。 多くの患者さんの死を経験する中で、最新医療の中で死んでいくのは、実は幸せではないのでは?と疑問を持つように。大学病院ではデータをとるために、必要のない検査や投薬もたくさんしなければなりません。それが次の医療に生かされていくとはわかっていても、患者さんの苦痛を見ていられない。この経験から、緩和医療(ホスピス)に興味を持つようになりました。

 

相次ぐ家族の死に直面し自分自身を見失う日々

 中学時代の同級生と25歳で結婚。義理の両親、主人の弟、妹と同居する大家族に嫁ぎました。長女の出産をきっかけに、大学病院を退職後、次女も生まれ、横浜の外に出ることもない子育て中心の生活を送っていました。義理の両親にせっかく取った看護師の資格をもっと生かせばと励まされ、将来アメリカでホスピスの勉強をするつもりで、厚木米海軍病院に再就職しました。

ところが、34歳のある日、元気だった主人が急性白血病にかかり、入院後1週間で突然亡くなってしまいました。まさか自分にそんな不幸が起こるなんて夢にも思いませんでした。長女が8歳、次女が6歳。子どもたちには大家族がいて助かりましたが、主人が亡くなった今、なぜ私はここにいるのかと虚しさを感じる日々でした。ところがまだ、夫を亡くしたショック状態から抜けきらない半年後に33歳の弟が自死を選んだのです。両親のショックは計り知れず。特に父は厳格だったことから、自分のせいだと思うようになってしまいました。

当時を振り返るとどうやって生きていたのか記憶にありません。仕事だけが辛い思いを忘れさせてくれたのは確かです。その頃、厚木米海軍病院で同僚だった現在の夫から、結婚を前提とした交際を申し込まれました。「ずっとこれからも亡くなったご主人のことを愛してもいい。彼を思い出し泣きたいときには泣いていいよ」と言われ、心の痛みをわかってもらえた安心感から、36歳で再婚しました。

 

自分の経験で助けたい10年続く『ハグハワイ』

38歳で主人の転勤に伴いハワイに移住。クリスチャンだった私はマキキ教会に通い始めました。そこで、偶然2人の女性と会うことに。共通点は、夫を亡くしたことでした。経験したものではないとわからない心の痛みを3人で癒すうちに思い浮かんだのが2008年に創立した『ハグハワイ』です。家族を亡くした人なら誰でも会員になれるピアサポートが目的のグループでは、月に2回、会員が無理なく集まることで、互いの悲しみを理解し合っています。

2012年2月14日。弟が亡くなった10年後の同日、68歳の父が自殺しました。お父さん子だった私はひどく落ち込みました。何かしなきゃ立ち直れないという必死の思いで決意したのが、臨床心理士になるということでした。早稲田のeスクールに入学し、4年かけて学士の資格を取得。子育てが終わりに近づき、学問に集中できる今は、大学院で修士を取るため勉強中です。将来はメンタルヘルスカウンセラーとして、自分の経験を通して心の悩みを抱える人々の手助けをしたいと思います。

 

駆け出しナースとして横浜市立大学病院に勤務していた頃。笑顔の裏で思い悩むことも多かった

 

 

ふろいど・ゆき
◎神奈川県横浜市出身。高校卒業後、横浜市立大学病院付属看護学校に入学。看護師の資格を取得後、同病院に就職。31歳から厚木米海軍病院に勤務。34歳で夫を白血病で亡くす。また、同年、実の弟の死も経験。2005年、再婚した医師の夫の転勤に伴い、ハワイに移住。2008年、家族を亡くした人へのサポートグループNPO団体『ハグハワイ』を友人3人と共に設立。現在は、メンタルヘルスカウンセラーの資格を取得するため、HPU(ハワイ・パシフィック・ユニバーシティー)大学院に在籍中。また、週に2度、聖ルカ・クリニックで看護師としても勤務。医療関係のコラムライターでもある。家族は夫、娘二人。

(2018年4月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年4月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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