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国誠流詩吟会 師範  笹尾加寿子

 

 

アメリカで女手ひとつ、3人の子どもを育て上げました。
88歳の今も、師範として日本伝統の詩吟の素晴らしさをハワイに広めています。

 

 

私が12歳のとき、太平洋戦争が始まり、父は設計士として徴兵されました。実家の製紙工場は商売が成り立たず破産。母は私たちを連れて、故郷の佐世保へと疎開しました。

終戦後、英語の必要性を強く感じ、高校では英語を一生懸命学びました。その頃、後に夫となるアメリカ人のビル・ヘンカックとの出会いが。父の友人とヘンカックが知り合いで、私が通訳を頼まれたのです。海軍の白いユニフォームが似合った彼は、当時不足していたお砂糖などを持ってきてくれたりと優しい人でした。一旦、アメリカに帰った彼と遠距離恋愛を続け、20歳で結婚。佐世保から横須賀に移り住み、長男が誕生した後は、夫の転勤でフロリダ、カリフォルニアへと引越しました。海軍では地位の高い夫でしたが、ストレスのせいかアルコール中毒になり、軍をリタイア。その翌年、病気で亡くなってしまいました。11歳、9歳、7歳の子どもを、アメリカで女手一つ育てなければならなくなりました。

日本で立体裁断の技術を習得していたので、洋裁で身を立てることにしました。軍の奥様のドレスやダンスのコスチューム、ウェディングドレスまで縫いました。義理の母が一緒に住んでくれたため、私は安心して洋裁の仕事に打ち込み、お針子さんを4人も雇い、サニーベールに「東京ファッション」という洋裁店をオープンし日夜働きました。

 

 

詩吟との出会いと、息子に呼ばれハワイへ

この頃、あるきっかけで詩吟の会に参加しました。漢詩にリズムと音感をつけて決められた字数内に感情を表現する詩吟に心動かされました。早速、詩吟を習い始め、その詩吟の師匠が、後に私の2番目の夫になった笹尾義雄でした。夫の本職はトマトを作るファーマーで、彼の両親は戦時中に日系人の収容所に入れられ苦労したようです。そんな両親を支えるため、夫は42歳まで未婚でしたが、私と再婚後、連れ子3人をとても大切にしてくれました。やがて、子どもはそれぞれ自立。長男はNASAに就職し、オアフ島マカハに転勤となりました。そんな折、夫が癌で亡くなり、傷心の私を長男が呼び寄せてくれました。これがハワイに住むきっかけです。

あるとき、カハラにある有名なブティックで買い物をしていると、気に入ったドレスを見つけました。「それはあなたには大きすぎる」とオーナーに言われたので、「自分で直せるから」と反対を押し切って購入。「もし、本当に直せたら私に見せて」と懐疑的に言われ、後日直したドレスを見せたところ、その出来栄えに驚かれ、「うちで働きませんか」と懇願され働くことになりました。

好きな詩吟はハワイ国誠流詩吟会に所属し、妙法寺で剣道や書道も習い始めました。ご縁あってその妙法寺の住職、池永英常と再々婚。詩吟同好会の静水会や観世流謡曲も創立し、充実した日々でした。

その後、離婚も経験しましたが、人生、何よりもの不幸と言えば、長女がNYで交通事故にあい、半身不随になったことです。悲しみを癒すため、娘はハワイに移住し、私と穏やかに暮らしています。次男はオレゴン在住、長男は、マウナケア展望台の初代所長になりました。私は今、88歳ですが、腹筋を使う詩吟は体に良いのか病気知らずです。先日も花嫁、ブライドメイド、お母様、ご親戚を含め、ウェディング用のドレスを8人分縫い上げました。今後は、師範として若い人たちが興味を持つような詩吟を目指し、広めたいと思っております。

来年60周年を迎える、ハワイ国誠流詩吟会の会員の皆様との記念すべき写真

 

 

ささお・かずこ
◎1930年、大阪生まれ。出生時に母方の天満旅館(長崎県佐世保)の嫡子となる。50年、アメリカ海軍士官ビル・ヘンカック氏と結婚。52年、渡米。61年、夫と死別。68年、錦友会詩吟マウンテン支部入門。72年、詩吟の師匠、笹尾義雄氏と再婚。84年、笹尾氏と死別。87年、NASA勤務の長男の誘いで、オアフ島マカハに移住。89年、国誠流詩吟会カイムキ支部に入会。92年、妙法寺住職、池永英常氏と再々婚。妙法寺にて、婦人会会長を務める。93年、詩吟同好会静水会設立。2010年、池永氏と離婚。12年、国誠流宗家より範士、15年には師範の許状を受ける。16年、明治会入会。

(2018年11月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年11月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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