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創作居酒屋みのりBy 塚田農場  ゼネラル・マネージャー   関口 茉希

 
 
若くしてサンフランシスコ勤務を実現。そして、次はハワイ!
つらい現場ほどやりがいがあり、お客様の笑顔を見たときの達成感はひとしおです。

 
 
 
小さい頃から活発で、中学時代は陸上部に所属し、中距離・長距離走に熱中。持続力、我慢強さをこの頃に習得した気がします。高校時代に理系か文系かを選択するとき、広い世界を見たい、英語という世界中の人たちとコミュニケーションできるツールを学びたいと思い、英語科を選択。当時、映画『プラダを着た悪魔』を見たときは、英語で何を言っているのかすべて理解できたらいいなと思いました。
共立女子大学の国際関係学部に進学し、3年生のときにシアトルの大学に交換留学生として1年間留学。会った人みんなが優しく、彼らに恩返しをしたい、自分の気持ちをストレートに言えるようになりたいとアメリカに戻ってくることが夢になりました。
帰国後の就活では、「一緒に働く人が魅力的かどうか」と「世界に目を向けている会社かどうか」が重要でした。積極的に海外展開していた『APカンパニー』を受験したとき、面接の過程で出会った人たちが皆素晴らしく、私より4歳上の女性社員はすでにシンガポールで店舗を立ち上げたロールモデルのような女性。「こんな大人になりたい、一緒に働きたい」と願い、5期生として入社しました。飲食業は夜型の生活で労働条件が厳しいため、両親はずっとこの就職に反対でした。
22歳で入店した渋谷の『塚田農場』ではお盆をひっくり返したり、グラスを割ってよく怒られ、自己嫌悪に陥ることも。それでも、懸命に働くうちに店長に昇進しました。
 
26歳のとき、アメリカでの店舗立ち上げに成功
そんなとき、社内の海外勤務の公募を知り応募しました。働きぶりを調査されたり、面接などの末、サンフランシスコへの赴任が決定。両親も私もまさか受かるとは思っていなかったので驚きました。
現地では、まず人の採用が不可欠。5年ほどブランクのあった英語を使ってのインタビューでは、アメリカの場合年齢や結婚について聞いてはいけないということで気を使いました。また11月末から12月のホリデーシーズンと重なり応募する人がいない中、やっと15人を採用。2016年1月、ラーメンがコンセプトの『Nojo Ramen』の開店にこぎつけ、アメリカでの店舗立ち上げを成し遂げました。
広告もせず地味に営業していましたが、1度食べた人から火がついてリピーターが増え、売り上げが右肩上がりに急上昇。超人気ラーメン店に成長しました。一杯20ドルと高いハイエンドラーメンですが、ローカルの白人が「チキンパイタン」などを好んでよく食べに来てくれました。やがて26歳で店長になりました。
昨年、突然の上司からの電話で「ハワイ店をリニューアルオープンするので、ハワイに行きたくないか、3日で返事を」と言われ、ハワイでのチャレンジを決めました。
これまでは50席ほどの小型店を担当し、150席もあるハワイ店『みのり』のような大型店の運営管理をしたことがなかったので正直不安でした。28歳の今、ゼネラル・マネージャーとなれたのは運も味方してくれたと思います。渡米後は、若い童顔の日本人の女性と言うだけで意見を軽視されたり、女のくせにと言われ、悔しい思いもしてきました。料理人は芯があり自分の意見を曲げない頑固な方もいらっしゃるのでぶつかることも多々ありました。でも、乗り越えられたのは、やはり多くの人々に支えてもらったから。今度は私がハワイで人を支え、挑戦している人を応援できる人間になりたいと思います。そして、『みのり』を皆さんが楽しく集える空間にしたい。笑顔で店を後にすることのできる場所にしていきたいと思います。
 

サンフランシスコ”Silicon Valley Workers”でも、若き店長としてインタビューされました

 

せきぐち・まき
◎1990年、栃木県生まれ。共立女子大学国際関係学部に入学。大学3年生のとき、セントラル・ワシントン・ユニバーシティーに1年留学。2011年共立女子大学卒業後、APカンパニーに入社。『塚田農場』渋谷店に入店後、1年半後に店長に昇格。2016年社内選考を経て、サンフランシスコのラーメン居酒屋『Nojo Ramen』に赴任。2018年11月、『創作居酒屋みのり』のゼネラル・マネージャーとしてハワイに赴任。現在に至る。

(2019年4月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年4月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
 
 
 

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