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レストランサントリー アシスタントマネジャー  坂 亜沙美

 

 

ハワイ好きの両親に翻弄され移住してきた16歳の春。文化の違いを乗り越え、日本を代表する企業の一員として皆様に奉仕しています。

 

初めて訪れたハワイに一目惚れした両親。3人も子どもがいるにもかかわらず、ハワイ移住を計画し、実行に移したのは私が16歳の4月でした。大学に合格したばかりの兄を日本に残し、就職先も決めず、両親と私、弟の4人がハワイに移り住みました。

私はカラニハイスクールに編入。高校2年からの日本人転校生に話しかけてくれる生徒は少なく、またこちらから話しかけるほどの英語力もなく、寂しい思いをしました。数学だけ、成績は良かったのですが、生物学や国語は全然授業がわからず、成績も悪いまま最初の6カ月はどうしようかと思いました。ただ、カウンセラーが親身になってくれたのは救いでした。日本では獣医になるのを夢見ていた私でしたが、英語で獣医学を学ぶなんて無謀に思えました。

 

アルバイトのつもりが本職になった飲食業

 高校在学中に、日本語を喋りたいという気持ちからレストランサントリーでアルバイトを始めました。学校に行った後は、アルバイト。ハワイのレストラン業の危ういところは、1度アルバイトを始めてしまったら、あまりのチップの良さに、「このまま人生やっていけるのでは」と若者が思い込んでしまうところです。私も仕事の楽しさにどっぷりはまり、高校卒業後は親から自立。正式にフルタイムでサントリーに就職しました。

ヘッドサーバーの方から英語の言葉遣いやカスタマーサービスなどビシビシ鍛えられました。泣きながらの日々で何度も辞めようと思いました。英語がまだそんなに上手ではなく、高校では先生にも「ヘイ!」のフレンドリーな関係だったので、きちんとした英語を習ったのはサントリーの仕事を通してでした。

やがてさまざまな国のお客様に、和食の素晴らしさや味の特徴などを英語で説明できるようになり、おすすめしたお食事をおいしいと喜んでもらえることにやりがいを感じ始めました。言葉では説明しにくい″日本のおもてなし”や和食についてローカルの先輩をサポートする機会もでき、いろんなポジションのスタッフとも心地よい関係が生まれ、カスタマーサービスに情熱を持って取り組むようになりました。27歳のとき、日本語でお客様の要望に答えられることが認められ、アシスタントマネジャーに昇格しました。

 

サントリーという看板の持つ重みをバネに飛躍

東京お台場のサントリー本社に研修に行く機会がありました。日本では八百屋のアルバイトをしたぐらいで、日本の大企業がどんなものか知らなかった私は、本社に入った瞬間に感じたピリリとした緊張感と、洗練された対応に圧倒されて鳥肌が立ちました。当時の専務や役員の方々にご挨拶に伺った際、上下関係による言葉遣いや所作、またサントリーという会社の在り方を目の当たりにして、今までこなしてきた自分の仕事や思い入れの小ささに気付きました。「サントリーをアメリカで背負っているのはレストランサントリーだけ、頑張ってください」と鼓舞され、世間知らずだった自分が恥ずかしい気持ちになりました。

帰国後、サントリーの看板の持つ重みをひしひしと感じ、従業員にもサントリーについてもっとわかってもらいたいという気持ちで、きめ細かいサービスを含め改革を始めました。ハワイならではの心地よさを感じるサービスを見いだし、落ち着いた雰囲気の中で、どこにも負けない和食を皆様に食べていただければと日々、精進しています。

2年に1回ほど柴犬をブリードしています。基礎のしつけ後、巣立ちさせるときはいつも涙してしまいます

 

さか・あさみ
◎千葉県千葉市出身。システムエンジニアの父と母の間に長女として生まれる。2歳上の兄と3歳下の弟がいる。16歳のとき、両親が永住抽選券に当選したことをきっかけに家族でハワイに移住。2003年カラニハイスクールに編入。高校時代にレストランサントリーでアルバイトを始める。高校卒業後、正式にレストランサントリーに就職。フロント業務からスタートし、サーバーを経て、27歳でアシスタントマネジャーに昇格し、現在に至る。プライベートでは犬好きが高じて、ビーグル1匹と柴犬3匹を飼育。将来は家を改装して、ドッグデイケアをオープンするのが夢。

(2018年5月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年5月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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