ハワイ現地発!最新生活情報&おすすめ観光情報サイト

ライター/ツアーエスコート  スピア 和子

 
 
タフな旅行業界のトラブル対応や不妊治療などを乗り越えて強くなった私。
お母さん目線での教育情報をライトハウスから発信しています。

 
 
 
私が外国に憧れるようになった最初のきっかけは、1970年に地元大阪で開催された日本万国博覧会です。アポロ12号が持ち帰った月の石を見たときには、幼な心に衝撃を受けました。さらに中1のときに、型破りな英語の先生に出会います。当時は珍しいフォニックスを取り入れた授業のおかげで英語が大好きになり、海外留学を夢見るように。高校卒業後は附属の短大にエスカレーター式に入学したものの、どうしても留学したくて親を説得し、1年終了時にオレゴン大学に留学。ところが、母の癌が再発してしまい、1年後に帰国。
復学した短大を卒業後は、松下電器産業(現:パナソニック)に入社。配属先は社長直属のニューメディア事業推進部という、いわゆる『プロジェクトX』のようなことを担当していた部門で、第二電電の設立などに携わり、新卒ながら運良く日本のビジネスのど真ん中を見ることができました。松下幸之助相談役に提出する事業報告書を作ったりと、良い思い出ばかりの会社生活でしたが、3年で退職したのはオレゴン大学時代から付き合っていた現在の夫の存在。彼はすでに考古学博士として、ハワイで働き始めていました。家族会議が開かれるほど反対されましたが、23歳で結婚しました。
ハワイに移住後は、旅行会社に入社。7年間の勤務のうち、後半はオペレーションセンターのスーパーバイザーに昇進し、お客様の事故や病気、災害など数多くのトラブルに対応しました。
ある年、成田空港が大雪で閉鎖され、一旦ハワイを飛び立った飛行機が戻って来るということがありました。戻ってこられるお客様の宿泊先を確保しようと、ワイキキの端から端まですべてのホテルに電話をかけたものの、どこも満室。最終的にはカウアイ島のホテルを手配して、お客様にはオアフ島に到着後すぐ、カウアイ島行きの最終便に乗り継いでいただきました。混乱の中、短時間で多くのお客様を荷物と共に移動させるという緊迫した斡旋を、片手に電話、片手に無線ラジオを持ってやり遂げました。
また、ハリケーン「イニキ」のときは、ワイキキ中に避難勧告が出てお客様はホテルの大宴会場に集められました。エレベータも浸水して動かないので、お客様と一緒に、スーツケースを持って高層階の客室まで階段を上がったり、カウアイ島からナバテック号で救出されたお客様をお迎えしたり、未曽有の非常事態に不眠不休で働いたのは、今でも忘れられない思い出です。
忙しい仕事と並行して、実は不妊治療も続けていました。約3年の治療と2回の流産を乗り越え、ようやく二人の娘を授かりましたが、妊娠中は切迫早産の危険性が高く絶対安静に。会社はやむなく退職。続けていればキャリアの階段を駆け上っていたはずですが、再び人生の方向転換です。
 
添乗員や教育コラムニストとしてハワイに恩返し
二人目の出産後は、元同僚のおかげでライターへの道が開け、ガイドブックのライターになりました。ライトハウスのコラムは、自分が周りから教えてもらった教育のことを、今度は自分がお母さん目線で伝えたいと持ち込んだ企画でした。おかげさまで、今号で166回を迎えました。
ここ数年は、添乗員の仕事もしています。ハワイの人を日本にお連れして日本の素晴らしさをもっと伝えていきたい。そうすることで、私を成長させてくれたハワイに感謝の気持ちを表していきたいと思っています。

2月の雪まつりツアーで極寒の北海道へ。白鳥が飛来する屈斜路湖の砂湯にて

 
 

すぴあ・かずこ
◎大阪府出身。京都女子大学短期大学部国語学科卒業、オレゴン大学言語学部留学。帰国後、松下電器産業に勤務。結婚と同時にハワイへ移住し、JTBハワイに7年間勤務。出産と同時に退職し、3年間子育てに専念。ウェブサイト「ハワイの歩き方(現Myハワイ)」編集部でパート勤務を始め、取材やライティング技術を学ぶ。その後フリーランスに転身。現在は本誌人気コラム「ハワイ公立校で子どもを伸ばす!」の他、「JTBるるぶ」「地球の歩き方」「アロハエクスプレス」などで雑誌ライターとして活躍する傍ら、JTB USA社のツアーエスコートとして日本とハワイを往復している。

(2019年2月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年2月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
 

ライトハウス・ハワイのおすすめ記事

『K’ KOKUA REALTY/SHINOHARA CONSTRUCTION』代表 山岸慶子

2024.04.02

開発から仲介までのサポートで喜んでもらいたい。  ハワイは幼少期からの思い出が詰まった場所です。毎年家族でハワイに来て新年を迎えるのが恒例でした。大学はハワイに進学しようと決めていたのですが、はじめに...

『Sacred Hearts Academy』 日本語教師 グラフィア・ナミ

2024.03.01

自分の立ち位置をしっかり定めて社会に役立ちたい。  渡米したのは1998年、サンディエゴの大学と大学院で心理学を学びました。1歳半の頃から、どんなことも「なんで?」と聞く子どもだったんです。好奇心旺盛...