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プロソロフラダンサー、フラコーディネーター プアナニ コネクション代表  カプアナニ由美子

 

 

ハワイアンネームの意味は、「真っ赤な太陽の家から降りてきた美しい花」。
その名に誇りを持ち、フラを通してハワイに恩返ししたいと思います。

 

 

片道2時間かけての通勤に疲れていた私は、何とか日本を脱出したいと思っていました。母が以前からフラを習っていたので、私も本場ハワイでフラを学べば、海外へ行けると、英語が話せないにも関わらず、1996年ハワイに渡航しました。

まずは、英語学校に入学し、フラの勉強と両立。ところが、この学校で知り合った方から、ある男性を紹介され、お付き合いをすることになったのです。その彼との結婚と予定外の出産で、子育てに専念するためフラは一時中断しました。しかし、2年後にはフラに復帰。さらに2001年「ワールド・インビテーショナル・フラフェスティバル」来訪ソロ部門に出場する機会を得て、オレロ、アウアナ、カヒコの全部門で総合優勝。当時のクムフラ(フラの先生)から「カプアナニマイカハレオカラーウラ(真っ赤な太陽の家から降りてきた美しい花)」というハワイアンネームを授与されました。

また、同じ頃、プロとしてシェラトンワイキキ、クヒオビーチのフラショーに毎週出演しながら、主要ホテルのプライベートパーティーやウエディング、イベントでフラを踊り、アロハウィークのパレードでは、氷川きよしさんの山車でフラと演歌の共演を果たすなど仕事は順調でした。

 

順調なフラの仕事とは裏腹に家庭の危機

ところが、私生活では商業ダイバーをしていた夫が、ハワイでの生活に疎外感を感じ始め、カリフォルニアに帰りたいと言い出したのです。そこで、2004年、家族3人でハワイを離れカリフォルニアへ。ハワイと日本だけでなくもっと視野を広げたいと思っていたので、この移住を前向きに捉えようとしたことが良かったのでしょうか、映画『リロ&スティッチ』のテーマ曲を歌い日本でも人気のクムフラ、マーク・ホオマル主宰の「アカデミー・オブ・ハワイアン・アーツ」に入門後、すぐにプロチームに引き抜かれました。ミリタリー並みの厳しいトレーニングを強いられ、カリフォルニアでもフラ漬けの毎日でした。 2006年から3年連続、ハワイ島で行われるフラの祭典「メリー・モナーク・フラフェスティバル」に出場するなど着実にフラの道を邁進していたのですが、一方、主人は仕事のストレスをお酒で解消。ある年のクリスマスイブの晩、クリスマスショッピングに出かけたまま帰ってこない夫を息子と待っていると、飲酒運転で捕まり留置所にいると警察からの連絡。このことが契機となり、14年間の結婚生活に終止符を打ちました。小学生の息子とハワイに戻り、シングルマザーになりましたが、当然、フラだけでは母子二人食べていけず、ハワイ州のマッサージセラピストの資格を取り、必死に働きました。

その頃、「フラグリル」を紹介されて、ソロダンサーとしてデビュー。ここで、現在の夫が、踊る私の姿を見初め、4年間の交際の末、2年前に再婚しました。今では息子も立派に成長しメインランドの大学に通っています。

現在は毎週木曜日にモアナサーフライダーでKAPENAと共演するなど、フラショーに出演し、世界中からハワイを訪れる皆様にフラの魅力を発信。同時に、フラレッスン、ミュージシャン派遣などのコーディネートも行っています。プロとしてハワイで踊り始めて18年。来年はいよいよ50歳。これからも健康と美を保つ努力を惜しまず、カプアナニ 「美しい花」としてハワイでフラを踊らせていただけたらと思っています。

「観ている人がハッピーになるようなフラを踊っていきたい」。サンセットが美しいモアナサーフライダーで

 

 

 

Kapuanani・ゆみこ
◎神奈川県横浜市出身。1996年ハワイ移住。翌年、国際結婚。長男出産。2001年「ワールド・インビテーショナル・フラフェスティバル」来訪ソロ部門(オレロ、アウアナ、カヒコの全部門)で総合優勝。2000年からシェラトンワイキキホテル、クヒオビーチのフラショーに出演。2004年カリフォルニアに拠点を移す。2006〜2008年「メリー・モナーク・フラフェスティバル」に3年連続出場。2007年日本のフラショー「AHAフラツアージャパン」出場。2008年フラとロミロミでハワイと日本を繋ぐ「PUANANI CONNECTION」設立。現在はフラショーでハワイの人気ミュージシャンと共演。

(2018年12月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年12月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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