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ドクターズ・オブ・ワイキキ ナースプラクティショナー   滝沢 美恵

将来を模索していた高校時代。ふとしたきっかけから
思い切ってハワイへ来たことで人生が変わりました。

高校年生のとき、行きたい大学がなく、進路を考えあぐねていました。一応センター試験を受けたのですが、1年間予備校に通うことにしました。ある日、たまたま道で配られたティッシュに挟まっていたチラシを見ると、そこに海外留学の文字が。「これだ!」と思ったんです。
長野県で生まれ育ち、ずっと親元にいたので、両親は、東京ならまだしも海外なんて心配だと大反対。日本から比較的近く、治安も良いとされ、日本人も多く住むハワイを選び、なんとか説得しました。母が看護師だったこともあり、興味を持っていた看護について学ぶため、最初はカピオラニ・コミュニティー・カレッジのプリ・ナーシングスクールへ。それからハワイパシフィック大学(HPU)の看護学部に編入しました。

患者さんとの触れ合いで医療の道へ進むと決意
専門的な勉強が始まると、英語が難しく、授業についていくのがやっとでした。そんな中で、初めて解剖学を勉強したとき、人間の体の仕組みに感動し、医療への関心が一段と高まりました。勉強は大変でしたし、日本人がほとんどいない心細さもありましたが、人種に関係なく同じ志を持つ人たちで互いに助け合う大切さも学びながら、乗り超えることができました。
無事に正看護師の資格を取得して卒業。その後は1年間OPTとして訪問看護とクリニックを中心に現場を経験しました。訪問看護の多くの患者さんはお年寄りで、退院後に自宅で点滴が必要な方たちでした。一人暮らしの方も多く、顔を見せるだけで喜んでもらえたり、安心してもらえたり。日系の方とは日本の文化についてよく話をしました。医療をきっかけに、ハワイのコミュニティーに少しでも貢献できているという、新たな喜びも感じることができました。

ナースプラクティショナーとして始動!
多くの患者さんを診るほどに、看護師の知識では、できることが限られているという現実をもどかしく思うようになりました。例えば、訪問看護で血圧を計ると、高血圧だったことがありました。そんなとき、担当医に連絡して指示を仰ぎ、処置をするのが看護師です。患者さんの目の前にいる自分が判断し、的確な薬を処方できたら、と思うことが何度もありました。
 「もっと知りたい!」という気持ちが強くなり、ナースプラクティショナーになるため、HPUの大学院へ進学しました。クラスは全部で15人。私は大学を卒業して1年でしたが、周りは看護師歴の長い経験豊富な方ばかり。あまりの経験値の違いに愕然としましたが、医療現場でボランティアをしたり、看護学生に教える立場を買って出たりして、実践を交えながら猛勉強をして、ナースプラクティショナーの資格を取ることができました。
ちょうどそのときに、ワイキキの緊急診療所の開業に際し、日本語を話せるナースプラクティショナーを探しているという話があり、就職が決まりました。それまでと違って、医師の指示ではなく、自分発信で診療することの責任の重さを感じています。
これからの医療人生、止まることなく勉強を続けて、知識と経験の豊富なナースプラクティショナーになりたい。ここハワイでは日本語の需要があるので、それも役立てていきたいと思います。
ハワイに来たことで、道が開け、大学院で共に勉強に励んだクラスメイトの一人が夫となり、大きく人生が変わったと感じています。

大学院在学中に行われた白衣授与式のとき。クラスの仲間たちとの記念の1枚

 

たきざわ・みえ
◎1989年長野県生まれ。地元の高校を卒業後、予備校時代を経て、2009年19歳のときにハワイへ。カピオラニ・コミュニティー・カレッジのプリ・ナーシングスクールへ入学。ハワイパシフィック大学に編入。2014年に正看護師の資格を取得。1年間のOPTの後、2016年にハワイパシフィック大学の大学院入学。2018年ナースプラクティショナーの試験に合格。同年に『ドクターズ・オブ・ワイキキ』へ就職。現在に至る。

(2019年6月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年6月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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