ハワイ現地発!最新生活情報&おすすめ観光情報サイト

イオラニ・スクール  外国語学部日本語学科教師  岩本千春

 

 

言葉だけでなく、文化や考え方の違いがあることを伝えて日米の懸け橋となる子どもたちを育てていきたい

 

 

 

今は言語を職業にしていますが、小学生のときに英会話を習ったものの好きになれず、英語は嫌いでした。でも中学時代、英語の先生の授業が楽しくて、英語に対するイメージが変わりました。高校2年生のある日、父が突然「明日から我が家はホストファミリーになる」と宣言し、家族で唯一英語の勉強をしていた私がコミュニケーション担当に(笑)。翌日、ハワイから一人の女性がやってきました。彼女との会話は本当に楽しく、いろいろな考え方を教えてくれました。当時日本では、女性は就職して結婚したら寿退社し、地元にとどまるという考えが一般的でしたが、アメリカでは、結婚、出産しても仕事を続けるなど大きな違いを知ることもできました。英語を勉強してもっと多くの価値観に触れたいと思うようになりました。

そんな経験と同時期に親友の死に直面したこともあり、人生はいつ何があるかわからないから、やりたいことは先延ばしせずにしよう。友人の分まで毎日を大切に生きようと思い、勉強に集中しました。

教える喜びに目覚め 転職、留学、ハワイへ

英語を使う仕事に就くため、大学卒業後は日本航空の国際旅客部で働きました。数年後、職場でミスが多発した時期があり、その原因を探ると、人員不足から新人への教育が十分に行き届いていないことにあると感じたのです。そこで、仕事のマニュアルを作成して同じ部署の後輩たちに教えていたところ、上司から社内の教育担当に指名されました。そこで、教えることのおもしろさに気付いたのです。そんな機会を与えてくれた上司には、今も感謝しています。

その後、福岡県の高校で英語の教師に。大学時代に教職免許を取っていたのですが、実際に現場に関わると、教授法をもっと学びたいと思うようになりました。

そんな中、第二言語の外国語教育が進んでいるハワイのHPUの大学院に奨学金で留学できるチャンスに恵まれたのです。そのとき30歳。その年齢から留学することへの不安もありました。でも両親は、結婚資金のための貯金を崩して応援してくれました。

 

教えたいのは言葉とその先にある考え方

入学当初は授業が難しくて、クラスの優等生を捕まえて勉強を教えてもらっていました。徐々に慣れてきて、自信作のリポートを提出したときにAがもらえずに落ち込んだことがあったんです。それを当時お付き合いしていた、今の主人に話したところ、フィジカルセラピストとして働いていた彼に「机上の学習だけじゃなくて、実践で得ることが仕事で役立つ」と言われました。

その言葉に、積極的に授業見学やボランティアをスタート。幼稚園生から大人まで、英語も日本語も教えました。現場ではさまざまなことを経験し、先輩教師から多くのことを学びました。さらに、本来日本で英語を教えるために教授法を学んでいたのに、日本語を教える楽しさを知ってしまったのです!

ご縁あって、今はイオラニ・スクールで教壇に立っています。毎日が本当に楽しく充実しています。子どもが生まれてからは、親の視点を持つこともでき、教師としての幅も広がったと感じています。

生徒たちには、言語だけでなく、国によってさまざまな文化や考え方があること、それを否定せずに受け入れることを学んでほしいと思っています。そして将来、彼らに日米の懸け橋となってほしい。それが私の目標です。

初めて家に迎えたハワイ出身のエリンさんと、家族で山口県に旅行に行ったとき。今もエリンさんと交流がある

 

いわもと・ちはる
◎福岡県北九州市出身。北九州市立大学外国語学部国際関係学科入学。副専攻は教職課程。教職免許を取得し、卒業。日本航空関西空港支店、国際旅客部に勤務。6年後に退職、福岡県立高校で英語教師に。2007年にハワイパシフィック大学大学院に奨学生として入学し、英語教授法を専攻。2008年卒業後、日米経営科学研究所(JAIMS)、ハワイ州アダルトスクール、KCCなどで英語と日本語を教える。2009年、イオラニ・スクールで日本語教育に携わり、2013年から外国語学部日本語学科教師として勤務。2018年、AP日本語試験の採点官となる。

(2018年7月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年7月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

ライトハウス・ハワイのおすすめ記事

『Sacred Hearts Academy』 日本語教師 グラフィア・ナミ

2024.03.01

自分の立ち位置をしっかり定めて社会に役立ちたい。  渡米したのは1998年、サンディエゴの大学と大学院で心理学を学びました。1歳半の頃から、どんなことも「なんで?」と聞く子どもだったんです。好奇心旺盛...

『スイート・ブラウン・ハワイ・キャラメル オーナー』ルイコ・ミラー

2023.11.01

キャラメルを通して皆さんに “楽しみ” を届けたい。  アメリカに来たのは1994年です。当時の日本は「25歳を過ぎると売れ残りのクリスマスケーキ」という風潮があり、「まだ結婚しないの?」と聞かれるこ...