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『スイート・ブラウン・ハワイ・キャラメル オーナー』ルイコ・ミラー

キャラメルを通して皆さんに “楽しみ” を届けたい。

 アメリカに来たのは1994年です。当時の日本は「25歳を過ぎると売れ残りのクリスマスケーキ」という風潮があり、「まだ結婚しないの?」と聞かれることがしんどくなっていたんです。勤務先の法律事務所の紹介で、2年間ロサンゼルスの支社で働けることになり、3カ月後には渡米していました。英語に苦労しましたが、人に恵まれて楽しい毎日でした。2年後、「日本の本社かハワイ支社に」と言っていただき、迷わずハワイへ来ました。

 2年間勤務し、現ドン・キホーテ、当時のダイエーに転職。流通業界は未経験でしたが2000年問題が迫る中、レジを中心としたストアシステムをまとめる任務を任され、無我夢中で働きました。結婚後、アメリカ人である夫は365日24時間体制でお店の対応をする私の働き方に納得していない様子でした。思えば自分でそうしなくてはならないと決めていたことなのですが…。9年間、たくさんのことを学ばせていただき、転職をしました。

笑顔になるキャラメルと出会い、始まった…

 キャラメルとの出会いは2015年に夫の家族と行ったサンフランシスコのファーマーズマーケットでした。そこで食べた手作りキャラメルが純粋においしくて笑顔になったのです。

 その後、お菓子作りが趣味の夫がペイストリーシェフの弟とレシピを交換し、キャラメルを作ってみたところ、お裾分けした友人たちがおいしいと喜んでくれたんです。「販売するならパッケージデザインをする!」という友人までいて、それなら一歩踏み出してみようと、2016年に『スイート・ブラウン・ハワイ・キャラメル』を立ち上げました。夫婦で決めたのは、安心して食べられるように保存料などは使わず無添加であること、ハワイ産のコーヒーやマカダミアナッツなどを使用してハワイの恵みを楽しめるキャラメルにすることでした。

 ワイキキのハイアットリージェンシーホテルのファーマーズマーケットで出店すると、旅行者から「キャラメルは珍しい。 パッケージもかわいい」、「サイズと価格が手頃でバラマキ土産にいい」と言っていただき、雑誌でも紹介していただくようになったんです。一つずつのラッピングまで二人で手作業なので大量生産は難しいのですが、うれしい悲鳴でした。

キャラメルで楽しく交流できる場を!

 パンデミックのときは、日本から「郵送してほしい」とメッセージをいただき、オンライン販売を始めたり、ハワイではサポートローカルの動きが高まって卸売のご依頼をいただいたり、本当に皆さまに助けていただきました。

 私たち夫婦にとってキャラメルは子どものような存在です。何よりも大事で、どう育てていくかを夫といつも話し合っています。

 定番の味に加え、お客さまから食べてみたい味を提案していただいたりと、新フレーバー作りにも常に挑戦しています。素材の特性や少しの温度変化などによってイメージ通りにいかないことも多々ありますが、たとえ手間暇がかかっても味を第一に、そして「楽しみを届けたい」という思いで試作を繰り返しています。

 お客さまとの出会いは、かけがえのないものです。夢は、もう少し大きなキッチンに移って、お客さまが味見をしたり、お話しをしたりして、笑顔で楽しく交流できる場を作ることです。

 ハワイに来て27年、美しい自然があり、愛に包まれたこの土地に暮らす方々とこのハワイを訪れる皆さんにキャラメルを通して喜んでいただけるように、これからも夫婦二人三脚で歩んでいきたいと思います。

カイルア、アラモアナ(ノードストローム)などのマーケットで出店


Ruiko Miller◎兵庫県出身。大阪の法律事務所に勤務後、1994年に渡米し、ロサンゼルスの支社へ。1996年ハワイへ異動。1998年ダイエーUSAに転職。9年後、転職しフルタイムで働きながら2016年に『スイート・ブラウン・ハワイ・キャラメル』を夫と立ち上げる。コロナ禍で会社員生活を終え、キャラメル作り一本に。サーフジャックホテルやアラモアナなどのマーケット、DEAN&DELUCA HAWAII、オンラインなどで販売を行う。

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2023年11月」号掲載の情報を基に作成しています。

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