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「VCA University Animal Hospital」 Associate Veterinarian 野田夏奈

 

 

救うことができた喜びと助からなかった悲しみが交互に。
それでも獣医師として動物たちと生きていきたい

 

 

 

5歳のときに父の仕事の関係でニューヨークへ移住しました。アメリカで育ったせいかわかりませんが、子どもの頃から「手に職をつけて自立した女性になろう」と決めていました。

物心ついた頃から猫やウサギを飼っていたので動物が大好きで、将来は動物に関わる仕事をしたいと思うようになりました。大学時代に動物病院でアルバイトをし、卒業後は獣医師の勉強をするためにイギリスのロンドン大学に進学。イギリスへ行ったのは他国の文化に触れたいというアドベンチャーの気持ちがあったからです。授業中、イギリス英語の意味がわからないこともありましたが、一番のアドベンチャーはさまざまな実務研修。ウェールズ地方の牧場に3週間住み込んだときは、24時間体制で羊の出産を見守り、適切な処置をしました。他にも、子羊の去勢、馬への注射など、それまでなじみの少なかった牛や馬、羊などを相手に体当たりの研修でした。

 

馬から落ちたらまた乗る。涙を重ねて強くなった

夏休みにロンドンからミシガンに里帰りをしたとき、今の夫と出会い、3カ月で結婚。私はロンドンに帰り、当時はメールの時代ではなかったので文通で2年間別居生活をしていました。

アメリカに戻り、新婚生活と獣医師としての生活が始まりました。

人間の医師は資格取得後に研修医のような期間がありますが、獣医師は資格を取得したら独り立ち。最初の1年で多くの壁にぶつかりました。

あるとき、両足にけがを負ったラブラドールが来たのですが、手術をしないと歩けないという状態でした。でも飼い主さんは「手術の費用を出せない」と。そういう場合、獣医学では安楽死という選択肢が出てきます。人間だったら、そうならないのに…。でも獣医師の立場では、飼い主さんができる範囲内で治療を選び、最善を尽くすしかないのです。そのときは飼い主さんに「冷たいのね」と言われ、とても辛かったですね。

どれだけ手を尽くしても助からないケースもあります。その責任を感じ、悔しくて、涙が止まらないこともありました。そんなときは、獣医師になるためにどれだけ頑張ってきたのかを自分に言い聞かせます。英語で“get right back on the horse(馬から落ちたらまた乗れ)”と、ボスに言われたことがあるのですが、諦めてしまったら、動物たちのために何もしてあげられなくなってしまう。だから強くなるしかないんです。

 

80歳になっても現役で!命と向き合っていきたい

獣医師として大切にしているのは飼い主さんとのコミュニケーションです。手術を通して命を救えたときの喜びも大きいですが、飼い主さんが勉強をしてくれるようになり、動物の生活環境が改善されたり、最愛のペットの病に絶望的になってしまった飼い主さんへ治療を説明することで希望を持ってもらえたりすることも嬉しいですね。

昨年、愛犬を連れて夫とハワイに移住し、現在はVCAという動物病院で働いています。獣医師になって12年。経験を重ねてきましたが、簡単な手術であっても油断できません。また、獣医師は内科だけでなく、外科、皮膚科、歯科などあらゆる分野の知識と技術が必要です。医療は日々進化しているので、常に勉強は欠かせませんが、80歳になっても、手が動く限り、獣医師として動物たちの命と向き合っていきたいと思います。

9歳の頃、フロリダのアリゲーターパークで1歳年上の姉と一緒に

 

 

のだ・かな
◎1976年横浜生まれ。5歳のときに家族でニューヨークへ移住。その後ミシガン州に引っ越し、ミシガン大学入学。生物化学と動物学を専攻。卒業後渡英。ロンドン大学に進学、獣医学を学び、さまざまな実務研修を経験。2004年に結婚。2006年に同大学でDVM修了。2006年にアメリカへ帰国し、ラスベガスで獣医師として活動。2017年9月にハワイへ移住し、VCA Animal Hospitalのユニバーシティー(マノア)医院へ勤務。日英両語を話す獣医師として、犬、猫やうさぎなど哺乳類の他、トカゲやカメなどの爬虫類などあらゆる動物を対象に診療、治療、手術、定期検診などを行う。

(2018年3月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年3月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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