今年4月、ハワイに着任しました。2006年にJALに入社するとき、「あなたは大学院卒ですが、専門と関係ない仕事でもよいですか?」と確認があった通り、異動を繰り返す中で多種多様な仕事をしてきました。
最初は成田空港の貨物部門に配属、次に羽田空港で国内線の旅客部門を経験、その後マイレージ部門へ異動と、仕事で向き合う相手が貨物→お客さま→データとどんどん変わっていきました。どれも未経験の仕事です。最初から「質」で勝負できないので、まずは「量」。マイレージの部門では長い時間働きました。
JAL経営破綻直後、学生時代の専攻に近い路線計画の部署へ異動しました。その頃にはすっかり自分の専門分野の内容を忘れていて「なぜ今さら?」と思ったのを覚えています。でも、ここで目にしたのは、路線網がJALの根幹であると自負して破綻と向き合い、未来を見据えて働く先輩や仲間たちでした。在籍した5年半、こうした仕事への姿勢に触れられたのは本当に大きな経験になりました。
その後、今度は訪日外国人に向けウェブメディアを制作する会社に出向する機会をいただきました。ほとんど知識がない自分が責任者となったため、キャッチアップが大変でした。このときに実感したのは、仕事は「何をするか」ももちろん大事ですが、「誰とするか」がもっと大事だということです。自分を受け入れてくれた人、一方で受け入れてくれなかった人もいるおかげで気が付きました。
2020年のコロナ禍で、次は海外顧客向けのJALウェブサイトの責任者に。一見すると同じように見えるウェブサイトを、国によって異なる法規制にそれぞれ準拠させるというややこしい仕事でした。でもこの頃になると、職務内容がどんなことであれ、興味を持って「おもしろい」と思い込むこと、好きになる努力をすること、それに加え、同僚と建設的に仕事をすることが大事であるという考えのもとに、業務にあたることを心掛けられるようになっていました。
そしてこの春、ホノルル支店の総務へ配属されました。これまでの自分なら「今度は総務?」とちゅうちょしたと思います。しかし、この異動を「ありがとうございます」と素直に受け入れることができました。
今は、従業員の皆さんに安心して働いていただくために裏方に徹しています。その範囲は幅広く、例えば職場の冷蔵庫の管理もそうです。自宅から持ってきたお弁当を入れた冷蔵庫が壊れていては良い職場環境と言えません。普段気にしたことのなかった当たり前の環境を当たり前に整えることも大事な仕事です。
入社して18年、目の前の仕事の価値を見出すアンテナが発達してきました。
今年はJALの国際線就航から70周年の年です。また、理事として関わらせていただいているレインボー学園の50周年の節目の年でもあります。
そんな年にハワイに来たのもご縁です。日本の航空会社を受け入れてくれたハワイで今、先人たちが積み重ねてきた歴史の重みを感じています。自分がこの地にいる間にその素晴らしさを受け止め、できることなら少しだけでもアップデートをして、次の世代に引き継いでいきたいと思っています。
ハワイ赴任が決まったときに、周りから多くの「オススメ」を教えていただきましたが、内容は人それぞれ、十人十色。私も自分にとっての最高のハワイを見つけたいと思います。
にしむら・げんえん◎京都出身。京都大学大学院卒業。土木工学の修士号取得。2006年にJAL入社。成田空港の貨物部門、続いて羽田空港国内線旅客にそれぞれ1年半勤務、マイレージデータに関わる部署で2年、路線計画の部署に5年半。訪日外国人へ向けたウェブ開発会社へ責任者として出向。3年後の2020年に海外向けウェブ制作部署へ異動。2024年4月ホノルル支店に着任、現職へ。
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2024年8月」号掲載の情報を基に作成しています。