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次の世代のために生きたガバナー、ジョージ・アリヨシ元州知事

全米初のアジア系アメリカ人州知事として歴史を刻んだジョージ・アリヨシ元州知事が、2026年4月、その生涯を閉じました。

ガバナー・アリヨシが一貫して見つめ続けていたのは、「次の世代」でした。目の前の課題に向き合いながらも、その先を見据え、人のため、社会のために行動する。その姿勢は、政治家としてだけでなく、一人の人間として最後まで変わることはありませんでした。本特集は、ガバナーの人生や功績を振り返る追悼企画ではありません。ガバナーが、何を大切にし、何を未来へ託したのか。

その思いを伝えるための特集です。今、その言葉にあらためて耳を傾けると、そこには私たちの心に響くメッセージがあります。

Governor George Ariyoshi. 26 june 2015. photograph Cory Lum/CIvil Beat

ジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事 

1926年ホノルル生まれの日系2世。1944年マッキンリー高校卒業、陸軍情報部語学学校を経てGHQの通訳として東京へ駐在。帰国後、ミシガン州立大学で学士号取得、1952年にミシガン大学法科大学院で法務博士課程を修了。弁護士として活動。1954年に準州下院議員選挙に当選し、政治家となる。1974年、日系アメリカ人として、またアジア系アメリカ人として全米で初めて州知事に就任。1986年まで3期にわたり、第3代ハワイ州知事を務めた。退任後は民間企業や非営利団体などで要職を歴任。1985年春の叙勲で瑞宝大綬章を受章。2026年4月19日、100歳で永眠。

ハワイの歴史とともに歩んだガバナー

ハワイの時代背景とともに、ガバナー・アリヨシの歩みをたどります。

彼が向き合った時代の課題が、その後の思想と行動の原点となっていきました。

50年先のハ ワイを見据えたリーダー

本誌インタビューより

本誌編集部は、2019年と2020年の2回にわたってガバナー・アリヨシにインタビューを行いました。ガバナーが語られたのは、終戦直後の日本での経験、ハワイに戻り、弁護士、その後に政界を志した理由、そして「フェアネス(公正・公平)」を信念に歩んだ人生でした。その視線は常に50年先のハワイへと向けられていました。90歳を超えてなお、ガバナーが語り続けたのは、「未来への責任」でした。

1)「分かち合う心を持つ日本の少年の姿を見て日本は良くなると確信しました

 1946年、終戦から間もない日本。戦禍で焼け野原となった東京に、ガバナーはGHQの通訳として駐在しました。最初に出会ったのが靴磨きをしていた7歳の少年でした。空腹の様子を察したガバナーは、パンとジャムを手渡しました。少年は丁寧に礼を言いましたが、すぐには口にしません。不思議に思って理由を尋ねると、少年はこう答えたといいます。「家に持ち帰って、妹と分けます」。「私は、その少年の振る舞いに深く感動しました。自分が日本人の血を引く日系人であることを誇りに思いました」とガバナー。同時に、「日本は必ず良くなると確信した」と。

 一枚のパンを分かち合おうとする少年の思いやり。それは、生涯にわたってガバナーの心に刻まれました。そして、その確信どおり、日本は世界が驚く復興と発展を遂げていったのです。

2)「私が州知事になれば『日系人もチャンスがある』という前例となり社会を変えられると思いました

 「困っている人を助けたい」と、ガバナーが選んだ道は弁護士。そこで目の当たりにしたのは、一部の財閥が経済や政治に大きな影響力を持つ、当時のハワイ社会の実態でした。そんな中、ハワイ準州選出の連邦下院議員ジョン・A・バーンズ氏と出会い、「ハワイの未来のために、議員選挙に出なさい」と強く勧められます。そして政治家となったガバナーが、一貫して掲げた信念が「フェアネス(公正・公平)」でした。人種や職業に関係なく、誰もが公平に機会を得られる社会を目指し、農園労働者の労働条件改善をはじめ、さまざまな制度改革に取り組みます。さらに、銀行役員への就任を打診されると、「社会を変えるには、政治だけでなく経済も変えなければならない」と考え、要請を受け入れました。政治と経済の双方から改革を進め、公正な社会づくりに力を注いだのです。

 1974年、バーンズ知事が遺した言葉は「あなたがやらなければ、誰がやるのですか?」。当時、副知事だったガバナーは覚悟を決めます。「日系人にもチャンスがある」ことを次世代に示すために。こうして、アメリカ史上初のアジア系アメリカ人州知事が誕生しました。

3)「問題が起きた後に対処するのでは遅いのです。もっと先を、未来を見て行動しなくてはいけません

 州知事に就任したガバナーが見据えていたのは、50年後のハワイでした。人口が増え続けていた当時、学生から専門家まで200人を超える人々を各島から集め、「これからのハワイ」を議論する場を設けます。そこでまとめられたのが、文化、経済、観光、教育、環境など幅広い分野を網羅した「ステートプラン」です。水資源や土地利用、エネルギー、人材育成など12の分野にわたるこの長期計画は、全米でも前例のない先進的な取り組みでした。

 その中には、ハワイの基幹産業である観光も含まれていました。議論を重ねる中でガバナーは、将来的な〝キャパシティー〟を問う声に耳を傾けます。「単純に観光客数を増やせばいいというものではありません。住民の暮らしも守られなくてはならないのです」。そして、観光産業を支えながらも、一つの産業だけに依存しない社会を目指し、新たな産業の育成にも尽力しました。

4)「ハワイはアメリカで唯一海の真ん中にある州。私たちが強みを持つ分野、産業に注力すべきです

 州知事時代、ガバナーは他州に先駆けてエネルギー政策を重視し、連邦エネルギー省との協議を重ねながら、ハワイならではの自然エネルギーの可能性を探り続けました。その一つが、サトウキビの搾りかすを燃料として活用する発電です。ハワイ島では、島内で使われる電力のおよそ3分の1を賄うまでになりました。さらに、海洋深層水の冷水と表層の温かい海水との温度差を利用して発電する「海洋温度差発電(OTEC)」にも早くから着目。その過程では、ミネラル豊富な海洋深層水を活用し、アワビやカキ、ロブスターなどを養殖する構想も提案しました。こうした取り組みは、後にハワイ州自然エネルギー研究所(NELHA)へとつながり、現在では世界中の海洋技術関連企業が集まる研究・産業拠点へと発展しています。

5)「これからのテクノロジーで最も重要な分野の一つが宇宙です。ハワイは、その開発を進めるのに理想的な場所なのです

 ガバナーは、ハワイにおける宇宙産業の育成にも情熱を注ぎました。世界有数の観測条件を備えるハワイ島は、NASA(アメリカ航空宇宙局)からも「宇宙開発に適した場所」と高く評価されています。ガバナーは、太平洋国際宇宙探査システムセンター(PISCES)会長、日米科学技術・宇宙応用プログラム(JUSTSAP)の米国側顧問として、約20年にわたりハワイに新たな航空宇宙産業を立ち上げるために努めました。「宇宙産業は、知識、研究、技術、そして人材を育てる産業」といい、地域に新たな雇用を生み、未来を担う若者たちに夢を与える産業として、その可能性を信じ続けていました。「ハワイが、その研究を先導していってほしい」。その願いには、今後のハワイへの大きな期待が込められています。

宇宙へ運ばれた1枚の家族写真>

 1986年、スペースシャトル「チャレンジャー」に搭乗したハワイ出身の宇宙飛行士エリソン・オニヅカ氏は、宇宙開発に力を注いでいた当時のガバナー・アリヨシへの敬意を込め、ガバナーと家族の写真を宇宙へ携えて飛び立ちました。しかし、「チャレンジャー」は打ち上げ直後に空中分解。海へ散ったその写真は、事故から2カ月後に奇跡的に海底から回収されます。

 そして2018年3月、その写真の複写がロシア人宇宙飛行士オレッグ・アルテミエフ氏によって再び宇宙へ運ばれました。国際宇宙ステーションで約200日におよぶミッションを終え、無事に地球へ帰還。30余年の時を超えて受け継がれた1枚の写真。それは、ガバナーの「未来への挑戦」がつながっていることを物語っています。

6)「日米だけでなく、世界を視野により良い関係を築いていくという意識を持つことが大切です

 インタビューの最後にガバナーが語ったのは、「これから最も重要になるのは国際関係です」という言葉でした。「日本とアメリカが手を取り合えば、そのつながりは二国間にとどまりません。アジア、そして世界へと良い影響を広げていくことができます」。ガバナーは、日本がアジアや世界の中で重要な役割を担っていくことに大きな期待を寄せていました。そして、その歩みを支える存在として、ハワイが日本とアメリカを結ぶ懸け橋であり続けてほしい──。

そんな思いをハワイに託していました。

ガバナー・アリヨシを語る各界からのメッセージ

ハワイ州知事 Josh Green

 ジョージ・アリヨシ元知事は、ハワイの歴史に永く刻まれる偉大な足跡を残されました。州史上最も長く知事を務め、さらに全米で初めてアジア系として州知事に選ばれた人物として、揺るぎない信念と誠実さに基づくリーダーシップを体現されました。在任中は、経済的に不確かな時代にあったハワイを着実に導き、州財政の基盤を強化するとともに、アジア太平洋地域との関係を大きく発展させ、ハワイを国際協力において主導的な役割を果たす礎を築かれました。

 私は幸運にも、ガバナー・アリヨシと親しく接する機会に恵まれ、その生涯を通じて貫かれた静かな品格を間近で感じることができました。彼は決して自らの名声や評価を求めることはありませんでした。常に強固な制度づくりに力を注ぎ、熟慮を重ねて判断を下し、自らが受け継いだ時よりも良いハワイを次の世代へ引き継ぐことに心を尽くされました。その姿は、真のリーダーシップとは、華やかな注目を集めることではなく、誠実さ、一貫性、そして人々への奉仕によってこそ測られるものであることを、私たちに教えてくれています。

 私が後世に最も伝えたいのは、ガバナー・アリヨシが「公職は国民への奉仕という責任そのものであると同時に、その役割を担えること自体が大きな名誉である」と信じていたことです。元知事は、人々の声にに耳を傾け、互いを尊重し、健全な財政運営と謙虚な姿勢、そしてあらゆる地域社会への敬意をもって州政にあたることこそが、持続的な発展につながることを自らの歩みで示されました。その価値観は、在任当時と変わることなく、今日においてもなお大きな意味を持っています。

 ハワイが新たな可能性と課題に向き合う今もなお、ガバナー・アリヨシの生き方は私たちを導く指針であり続けています。その人生は、思いやりと優れた統治は決して切り離せるものではなく、人々への奉仕に根差したリーダーシップこそが、未来の世代にわたって地域社会を力強く支えていくことを教えてくれています。

元 計画経済開発局局長 Dr. Kent M. Keith

 私は1979年から1986年まで、計画経済開発局(Department of Planning and Economic Development)に勤務しました。最初は局長室のコーディネーターとして、その後副局長、そして最終的には局長およびガバナー・アリヨシの内閣メンバーとして務めました。ガバナーは、物静かで思慮深く、優しい方でした。聞き上手で、ウィットに富んだユーモアの持ち主でもありました。人々は彼を信頼していました。彼は真の公僕であり、今日の地域社会に尽くすことに重きを置きながらも、将来の世代のことも常に考えていました。私たちの子どもたちの子どもたち、つまり後に続く世代の暮らしをより良くすることを、本当に大切にしていました。彼は「私たちが望む未来(our preferred future)」と呼ぶものに焦点を当てていました。この「望む未来」はハワイ州計画(Hawaii State Plan)に描かれ、彼の指導のもとで州法となりました。州計画は、地域社会からの意見を取り入れるために共有された機能計画(Functional Plans)を通じて実施されました。人々は議会でその法律について証言するだけでなく、法律が制定された後、それがどのように実施されているかについても証言する機会を与えられました。これにより、行政の仕事はより民主的なものとなりました。

 ガバナーは、コーヒーアワーのような小規模な集まりで最も効果を発揮しました。なぜなら、そうした場でこそ人々は彼の誠実さとさを理解することができたからです。彼は民主党員であることを誇りに思っていましたが、良い考えであればどこから来たものでも支持し、功績があれば正当に評価しました。彼はハワイのために最善だと信じれば、不人気な立場を取ることも厭いませんでした。選挙運動の最中、彼は私たち運動員に対し、対立候補を敬意を持って扱うようにと常に注意していました。それは、選挙に勝った後、対立候補を含むすべての人々と協力していく必要があるからでした。

 ガバナーは、地域社会への奉仕をキャリアとして続けてほしいと願いながら、意図的に若い人材を採用していました。私が計画経済開発局長として内閣に任命されたのは、わずか34歳のときでした。私は州の歴史上、2番目に若い局長となりました。ガバナーは細部にまで気を配り、州に影響する業務や課題に関する報告書をオフィスで遅くまで読み込んでいましたが、私たち内閣メンバーには、それぞれが最善と考える形で局を運営する大きな自由を与えてくれました。彼は財政的には保守的で、私たちが予算内にとどまり、納税者のお金を無駄にしないよう徹底していましたが、有望な新しいプログラムやサービスには投資することも厭いませんでした。

 私はアリヨシ夫妻と共に西部知事会議(Western Governors Conference)に同行し、彼らが私たちの州を代表する姿を誇りに思いました。また、ガバナーとご夫人が互いに明らかな愛情と敬意を持ち合っていたこと、手を取り合い、必要な場面では静かに言葉を交わしていた姿にも心を動かされました。

 私の任期は、1986年にガバナー・アリヨシの任期が終わるとともに終了しましたが、妻のエリザベスと私は、その後40年にわたり何度もアリヨシ夫妻にお会いする機会に恵まれました。ガバナーは、ハワイの人々のために役立つ新しい考えや機会について、常に考え、語り続けていたことを私は知っています。公人であれ、私人であれ、彼は私たちの未来を案じることを止めませんでした。

 長年経った今も私の心に残っているのは、「ハワイは運命のなすがままに振り回されたり、外部の力の言いなりになる必要はない」という彼の確信です。私たちは力を合わせ、人々、経済、そして自然環境にとって良い機会を見出し、それをつかむことができます。私たちが望む未来を、現実にすることは可能なのです。

福岡県知事 服部誠太郎

 1974年、全米史上初のアジア系アメリカ人知事に就任されたアリヨシ元知事は、現在とは異なる時代背景の中で、誰一人通ったことのない道を歩まれました。さまざまなご苦労やご葛藤があったことと思います。そうした状況下でも信念を貫かれ、3期にわたってハワイ州知事としての重責を担われました。

 中でも私が深く敬意を抱いておりますのは、当時厳しい状況にあったハワイ州財政の立て直しに尽力され、見事に財政健全化を実現されたというご実績です。このことは生前、アリヨシ元知事ご自身からも直接お話を伺いました。財政再建という困難な課題に、真正面からに取り組まれたお人柄に感銘を受けました。困難な時代にハワイのかじ取りを担い、堅実かつ着実な歩みでハワイの未来を切り開かれたそのお姿に、リーダーとしてあるべき姿を見た思いがいたします。

 そうした輝かしいご功績とともに、私にはもう一つ忘れられない思い出があります。ご夫妻が福岡県を訪問された際、アリヨシ元知事は終始、おだやかな満面の笑みを浮かべていらっしゃいました。寿司やがお好きで、そんな話題で盛り上がったことが、今も鮮やかに思い出されます。

 アリヨシ元知事に結んでいただいたハワイ州と福岡県との「絆」を、さらに確かな、そして強固なものにしていくため、私も力を尽くしてまいります。

裏千家 ハワイ出張所 事務次長/駐在講師 村田仁志(宗仁)

 私にとってジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事は、裏千家とハワイ、そして日本とアメリカを結ぶ大切な懸け橋であった方です。

 アリヨシ元知事は、裏千家前家元の鵬雲斎、そして現家元の坐忘斎と長年にわたり公私にわたる親交を育まれ、ハワイでの献茶式をはじめ、ワシントンD.C.やニューヨークの国連本部で開催された茶会など、茶道を通じた国際交流と平和への取り組みに多大なるご理解とご支援を賜りました。そのお力添えにより、裏千家の活動はハワイのみならず北米、さらには世界へと大きく広がりました。改めて深い感謝を申し上げます。

 私がご縁をいただいた頃にはすでにご高齢でしたので、時には介助を必要とする場面もありましたが、周囲への感謝を忘れず、「ありがとう」と穏やかに声を掛けてくださるお姿が印象に残っています。また、お話の端々から、常に将来を見据え、次代を担う若者たちのために今何をなすべきかという視点を何よりも大切にされていることを感じ、卓越したリーダーとしての見識に敬意を深めました。

 晩年は、ご家族を通じてご様子を伺うことが多くなりました。抹茶がお好きと伺い、良い抹茶が手に入るとお届けすることが、私なりのささやかなご恩返しでした。最後までご家族に囲まれ、穏やかにその生涯を全うされたと伺い、安堵するとともに、その遺徳の大きさに改めて思いを馳せています。

 アリヨシ元知事が生涯を通じて示された、文化を尊び、人と人との絆を大切にし、未来を担う世代へより良い社会を引き継ごうとする志を、私どもも大切に受け継いでまいりたいと思っております。

 今頃は、天国で鵬雲斎宗匠と一服の抹茶を楽しみながら、和やかに語り合っておられることでしょう。

***********

若い人たちも、

日系人の〝がんばり〟を忘れないでほしい。

そして、次の世代を思い、過去を未来へつなぐ責任があることを自覚して、未来を見据えて生きてください。

ガバナーが大切にしていた日本語「おかげさまで」

 日系2世として生まれ、戦後の日本でGHQの通訳を務め、全米初のアジア系州知事として時代を切り開いたガバナー。激動の時代を生き抜いた人々を見つめ続けてきたガバナーは、歴史を学ぶことは過去を振り返るためではなく、未来へ受け継ぐためだと考えていました。

 「国が壊れ、すべてを失った日本を立て直した人たち。そして、戦争という時代と、自らの宿命に向き合いながら歩んだアメリカやハワイの日系人。その人たちの数は年々少なくなっています。だからこそ、その歩みを忘れないでほしいのです」

 ガバナーを一番近くで見守っていたジーン夫人は、このように語っています。 

ーーーガバナーは、ハワイ州とその人々のために、より良い未来を築こうと人生の大部分を捧げ、懸命に尽力されました。皆さんを心から愛していました。ーーー

 ガバナーのすべての行動に共通していたのは、「自分のためではなく、次の世代のために生きる」という哲学でした。

分かち合う心、公正であること、未来を見据えること、そして「おかげさまで」と感謝する心。

ガバナーが私たちに遺したのは、一人の人間としての生き方だったのです。

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