年末インタビュー特集 第2部はスポーツと食の分野で努力を継続してきたお二人を訪ねて話を聞きました。
20歳から始めたフットボールでNFLを目指す松澤寛政さん。一人で情報を集めてステップを描き、資金を貯め、自主練習を続けて渡米しコミュニティーカレッジ入学。その後、実績を評価され、今年ついにNCAA1部リーグのハワイ大学フットボールチームへ! この5年間の道のりを語ってもらいました。
ーどのようなことがきっかけでフットボールを始めたのでしょうか?
挫折とアメリカへの一人旅がきっかけでした。高校生までずっとサッカーをしていて、大学でも続けたかったのですが、進学がうまくいかず、高校卒業後に目的を失ってしまったんです。毎日不平不満ばかりで、何のために生きているんだろうと考えるようになりました。
そんなときに父から渡されたのがアメリカへの往復航空券でした。時間だけはあったので、一人でアメリカへ飛びました。サンディエゴに降り立ってから空港を出るのに1時間もかかってしまい、自分の無力さを感じた旅の始まりでした。幼少期に家族でハワイに来た体験が自分の中の外国だったので、街の様子はそれとはまったく違いました。唯一決めていたことはサンフランシスコでアメフトを観ること。父がアメフトをしていたのでなんとなく観てみようと思ったのです。観戦して感じたのは、シンプルにおもしろいということ、アメリカではスポーツがこれほどまでにエンターテイメントであり、ビジネスとなっていることでした。この時点で「あのフィールドに立ちたい」とは思わなかったんです。
帰国前に滞在したロサンゼルスでは、危ないと言われていた地下鉄に乗ってしまい、命を奪われるかもしれないという体験をしました。体だけは大きいけれど、英語も話せず、何もできない自分を思い知った2週間の旅でした。
帰国後、悔しさと、あんな世界があるんだという好奇心から「アメリカに戻りたい」と思いました。そして、思わずアメフトのボールを買いに行ったんです。
ーアメフトボールを買ってNFLを目指すと決意したときのお気持ちをお聞かせください。
アメフトボールを手にしたときに思ったのは、「サッカーをしていた自分ができるのはキッカーしかない」ということ。気付けば前を向いている自分がいました。そして、「これからどう生きていくのか」を自分に問い、今後の人生設計を考え、完璧にイメージしました。
その大きな目標がNFL選手になることでした。ちょうど20歳になったときです。自分の中ではなぜか自信があったんです。同時に、このことはある程度形になるまで誰にも言わずに自分の中にとどめておこうと思いました。
ー目標を実現するためにどのようなことをされましたか?
まずは両親を説得し、第一ステップは英語の勉強とアメフトをするためにコミュニティーカレッジに入学することと定めました。資金を貯めるため、週5日間朝から晩までアルバイトをしました。そしてユーチューブなどを参考にして公園でひたすらボールを蹴る練習をしました。誰かにアドバイスを求める前に100回、そして1000回とまずは自分でやってみて体で理解を深める必要があると思い、毎日とにかくキックしてジムでトレーニングをしました。目標に向かっているので蹴ることが楽しかったですね。
9カ月後、友人4人でニューヨークに行き、自分だけ別行動で5時間かけてペンシルバニア大学のフットボールの試合を観に行きました。実はカレッジフットボールの存在を知ったばかりだったのですが、11万人が埋め尽くしたフィールドは衝撃的でした。今フィールドにいる選手も、自分も20歳。リスペクトと悔しい気持ちが交錯しました。このとき、NFLへのステップとしてカレッジフットボールという目標が明確になり「選手として帰ってくる」とフィールドに約束して会場を後にしました。
ー2021年にコミュニティーカレッジへ入学し、注目選手になるまでのステップをどう成し遂げたのですか?
まずはオファーの主流ともなっているX(Twitter)に自分のキック動画をあげ、それをコミュニティーカレッジ(コミカレ)に送り、結果的に2校から入学の機会をもらいました。人間として強くなる必要があると思い、あえて日本になじみのないオハイオ州のホッキングカレッジに入学しました。何もかもが初めてで、モラルや治安的なことが日本とはまったく違い、勉強も生活もしづらい環境でした。でも、ぶれない目標があったので苦しいとは思いませんでした。
最初のシーズンはほとんど試合に出る機会がなく終わったのですが、これまで通り自主練習を続けました。自分の目的はキックのキャンプでした。入学前、目標への道筋をより具体的にするために考えた末、高校生の全米トップの選手に連絡したところ、返信があり、こうしたキャンプで選手が評価されると教えくれたんです。
キャンプは全体で200人くらい参加するのですが、最初は誰も自分のことを気に留めてくれませんでした。ウォーミングアップをしたり、蹴ったりするうちに、参加選手が話しかけてくれるようになり、徐々にみんなが興味を持ってくれるようになったのを実感しました。
こうしてコミカレの試合や至る所で行われるキャンプに出ながら、一刻も早くコミカレを卒業するため、勉強にもより一層集中しました。また、アメフトのコーチなどとの人脈作りにも力を入れました。そして2022年、クリス・セイラー・キッキングによる『トップ12』というキャンプで、40人の招待選手の中で12人に選ばれ、ここで1つの目標をクリアしました。
一方で、キャンプや移動に高額の費用がかかり、この年の6月に自分が貯めてきた資金が底をついてしまったんです。それまで目標だけを見て一人で突っ走ってきたのですが、両親に負担をかけたくないという思いと、張り詰めていたものが切れてしまい、授業もアメフトもできなくなる恐怖と不安に襲われました。最後は両親が助けてくれたのですが急な円安もあってつらかったです。その後、前代未聞と言われながらまとめて単位を取って、卒業を5カ月早めました。卒業後、23年1月に一度帰国しました。
ーそしてハワイ大学のフットボールチームに! 今はどんなお気持ちですか??
大学側にとって、コミカレでフットボールを始めた日本人選手という前例はないので戸惑ったようですが、帰国中にN C A A(全米大学体育協会)の1部リーグ(ディビジョン1)チームから複数のオファーをいただきました。中でも毎日電話をかけてくれたのがハワイ大学でした。正直に、NFLが目標であること、そこにつながるチームでプレーしたいことを伝えたところ、それにふさわしい大学だと答えてくれたんです。求められる環境でやりたいと思ったので、今年の夏にハワイ大学に入りました。
今感じるのはチーム自体もっと強くなる必要があるということです。僕以外に実力のあるキッカーがいるので、切磋琢磨しながら力をつけていきたいと思っています。
20歳でアメフトボールを買った日からカレッジフットボールまできましたが、今後3年間ではこれまで以上の努力が必要だと思うので、これからが勝負です。1日1日の時間を大事にしながら目標に向かいます。皆さんには、ハワイで本場のメジャースポーツに挑戦する日本人がいることを知っていただきたいです。そして応援をお願いします!
インタビュー:ライトハウスハワイ 大澤陽子
このページは「ライトハウス・ハワイ」 2023年12月号掲載の記事を基に作成しています。