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ハワイで1978年に創業し、日本人をはじめ多くの人に快適な住まいを提供し続けてきた不動産会社ハワイアンジョイ。20代で社長に就任し、11年目を迎える若きリーダー深山博史さんに人生の転機を伺った。

 

日本出身の父と母がハワイで出会い、結婚。1978年に母がハワイに不動産会社ハワイアンジョイを立ち上げ、父が社長となり、その2年後に私が生まれました。

幼少期からこのままハワイで進学し、就職するのだろうと思っていました。ところが高校入学のとき、母が慶應義塾ニューヨーク学院の情報を持って来たのです。ハワイを出るのは一つの挑戦。NYへ進学しました。初めての日本人だけの生活、しかも寮生活。日本ならではの縦社会に驚きましたが、それを学べたことは、後の人生に役立ちました。

卒業後はハワイへ帰ろうとすると「1日で辞めて良いからそのまま日本の大学に進学を」と母。1日のつもりが結局大学4年間を日本で過ごしました。母のアドバイスは常に的確だったと思います。

卒業後、1年間の予定で日本で就職。不動産業を継ぐ気持ちはなく、出版業界へ。日本で社会人勉強をしたかったのですが、1年では足りず、3年間働きました。出版業界が徐々に衰退していくのを肌で感じる中、将来を考えると、キーワードとして〝住まい〟が浮かぶようになりました。

一方ハワイでは、私が会社を引き継ぐ意思がないと知っていた両親が、会社を売却する準備をしていたところでした。もう少し遅ければ、今この会社はないと思うと、ここが私の転機だったと思います。

 

突然の社長就任以降  信頼獲得へと走り続ける

2007年、不動産の仕事をするためにハワイへ戻りました。翌年、社長就任のお達しが。まだ20代でしたし、こんなに早く? と驚きましたが、30年間社長を務めた父と交替する時期だという両親の考えを知り決心しました。

そのとき父に言われたことは「まずは10年頑張ってようやく小学1年生になれる」。30年間、お客様との間に築き上げてきた信頼はそのまま私には付いてきません。無我夢中で物件管理やサービスなどお客様と向き合い、日々走り続けました。

2014年クリスマスの日、警察からの電話で父が倒れたことを知り、3日後に父は他界しました。それまでは父が後ろにいるからスムーズに行っていたこともありましたし、常に安心感があったので、一層気が引き締まる思いでした。もし、そのとき初めて社長を務めることになったとしたら、その責任と任務はあまりにも大きくて背負いきれなかったと思います。それでもお客様から「お父さんはこうだった」など指摘されることもしばしば。その都度気付かされ、経験を重ねています。

 

40年の重みを背負い、快適な生活を提供し続けたい

会社の代表として11年目。ようやくスタートラインに立てたと感じています。私たちの仕事は、日本のお客様とハワイの間に立つこと。物件を購入されたときからお客様との長いお付き合いが始まります。快適な住まいで暮らすため、安心してお任せいただけるように全力を尽くすのが我々の務めです。

両親が紡いできた40年を受け継ぎ、今後も多くの方にハワイで安心して暮らしていただける場を提供するお手伝いをしていきたいと思います。

父親の60歳の誕生日を祝ったときの家族写真(左から母、本人、父、妹)。この翌年に社長に就任

 

ふかやま・ひろし

◎1980年ホノルル生まれ。ホノルルで育つも、小学校3年生から中学校2年生まで夏期休暇中は毎年日本の学校へ通学。日本語補習授業校レインボー学園でも日本の勉強を続ける。慶應義塾ニューヨーク学院卒業後、慶應義塾大学商学部へ進学。2003年卒業し出版社へ就職、営業職へ。2007年ハワイへ戻り、ハワイアンジョイ入社。2008年社長就任。

(2019年5月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年5月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

 

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