1950年以来、アロハの気持ちを込めて新鮮でおいしい豆腐を作り続けてきた『アロハ豆腐』は今年創業75周年を迎える。数多くの試練を乗り越えてきた3代目社長のポール・ウエハラ氏の人生の転機とは?
祖父母である亀三郎と鶴子がアロハ豆腐を始めたのは1950年です。父たち6人兄弟姉妹も働き、私も幼少期から姉や妹、従兄弟たちと家業を手伝っていました。夏休みなのに毎日早朝から働くことや、何より本来は仲が良い親戚たちが同じ職場となったことで、それ以外に集まる機会が無くなっていったのが寂しく、豆腐屋が大嫌いでした。
高校3年生になり大学進学を考えたとき、ふと、進路に選択肢を持てるのは豆腐屋のおかげだと気付いたのです。「大学卒業後に誰も継がないなら自分がやろうかな」と、意識が変わった転機でした。
大学3年生のときにもう一つ気付きを得る体験をしました。アジア経済学の授業の一環でアジアの国々を回ったのです。ビルマ、インド、ネパール、パキスタンなど発展途上国を訪れ、人間の強い生命力を目の当たりにしました。そしてアメリカ人はどれほどラッキーであるかを実感しました。人生で本当に大事なことについて考え、自分がハワイで生まれ育ったことに感謝しました。この気付きが人生の根底にあるように思います。
大学卒業後は2年間台湾で英会話教師をして、その後は広島のYMCAで4年間英語を教えました。そのときに妻と出会い結婚。1996年にハワイへ戻ってきました。
最初の試練は1999年、風評被害により売り上げが80%落ちたことでした。新聞2紙が豆腐に関するある研究発表を、誤解を生じさせる見出しで一面に大きく報じたのです。当時の豆腐屋さん6社で集まって対応しましたが、回復まで半年かかりました。
2004年に社長となり、経営を学び、売り上げも伸びていたのですが、2010年には親族の中で会社売却の意見が出るなどの争議があり、2年間かけて解決しました。
2013年には事業拡大を一大決心。あるアイデアを受けて油揚げや厚揚げ用の第二工場を作ることに。ところが工事の遅れなど問題が多発。
莫大な経費がかかり、気付けば経営は火の車に。給与を支払うため、夫婦の個人預金を崩すほどのどん底でした。7年間の賃貸契約をしていたので撤退もできず、妻のアイデアで飲食と小売を始めるなど必死に持ちこたえました。私の計画が甘く、あまりにも高い勉強代でしたが、経営の問題を洗い出して体制を見直し、立ち直ることができました。
今年創業75周年を迎えます。75年の意味はレガシーではなく、従業員とハワイのコミュニティーへの感謝に尽きます。
以前なら優先順位にウエハラファミリーがありましたが、完全に考え方が変わりました。従業員がいてくれなかったら豆腐は作れませんし、配達もできません。彼らが満たされて幸せに働くことによって、新鮮でおいしい豆腐を届けられ、お客様、地域が喜んでくださる。仕事も人もどんなこともテイクケアすれば、それが巡って好循環が生まれると実感しています。これからもアロハの気持ちを込めてハワイのコミュニティーに、作りたての豆腐を提供していくことを大切にしていきます。
Paul H. Uyehara◎1967年ホノルル生まれの日系3世。ピュージェットサウンド大学アジア経済学部卒業。2年間は台湾で、1992年から4年間は広島県のYMCAで英会話教師に。1996年にハワイへ戻り家業に入る。2004年に社長へ。2005年、鶴と亀をデザインした会社ロゴを制作し、リブランディングを図る。2013年7年間ドールキャナリーに第2工場稼働の経験を経て現在に至る。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年1月号掲載の記事です。