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昨年より、ハワイアン航空とコードシェア、マイレージ提携等ハワイへの利便性向上に努めている日本航空。成田−コナ(ハワイ島)の直行便も順調な同社ハワイ支店に赴任した黒田浩支店長に人生の転機を伺った。

 

 

大学時代はバブルの絶頂時期。自然と世界に目が向き、注目したのが航空業界でした。当時の日本航空(JAL)は、航空事業だけでなく、手広くホテルなどの関連事業も展開していた頃。世界的視野で働ける上、社名に「日本」と付いているのも気に入りJALに入社。最初の配属先は大阪の伊丹空港でした。初めての関西勤務に、緊張して初日を迎えたことを覚えています。

関西では人と人との距離が近く感じて、その近すぎる距離感に最初は戸惑いました。また、ご飯とお好み焼きを一緒に食べたり、マクドナルドをマクドと呼ぶなど軽いカルチャーショック状態。笑いのつぼも違い、「パチパチパンチ」は何が面白いのか最初はわからず。でも、何度も見ているとじんわりその面白さがわかってきて、2年半の大阪勤務を終る頃には、多くの『吉本新喜劇』のビデオを持っていました。

一転、大阪のあとは本社の経理部という硬い職場に転属。経理の基礎を学び、決算書や財務諸表が読めるようになりました。数字を見て何かを判断して次につなげるというプロセスは、理科の実験に近く、仮説を立ててこうなるはずだと、具体的に策を打っていく考え方は、理系の私にはなじみやすく、数字の動きを見ることが楽しくなりました。  その後、マイレージプログラムの企画・運営の部門に異動。国際線しかなかったマイレージプログラムを1997年に国内線に初導入しました。日本中駆けまわって、「国内線でもマイルが貯まる。それで海外に行ける」という入会促進のキャンペーンを実施。結果、会員は急増し、マイレージという言葉が世間に一般名詞として浸透することになりました。

 

 

聞いた皆が涙した、破綻後の1本の電話

2010年の1月19日、JALが破綻した日は成田の旅客業務部にいました。お客さまや社員にどのように説明するのか、カウンターの前にどんなご案内を出すのかなど、前日から本社の人も来て徹夜で準備。当日、飛行機も運航し、目立った混乱はなかったのですが、翌日以降は当然、厳しいお言葉もいただきました。辞めていく先輩や同僚を見送る心の痛みを感じ、「必ず再生しよう」と皆で力をあわせてきました。

その年の年末に商品サービス部門に異動。お客さまサポート室の責任者となりました。ある時、お客さまから「実はうちの娘が伝えたいことがある」とお電話をいただきました。4、5歳ぐらいの女の子が電話口に出て、幼い声で「頑張れ!頑張れ!JAL、頑張れ!頑張れ!JAL」と言ってくれたのです。聞いていたみんなが涙しました。彼女の声はいつまでも心に残り、この子にいつまでもJALファンでいてもらえるような会社にしなきゃいけないと固く決意しました。

そして今年3月、突然ハワイへの辞令が下りました。「海外を相手にするぞ」と夢見ていた大学時代。50歳過ぎて初の海外赴任となりました。今後は日本への情報発信とともに、ハワイの人にとっても魅力ある旅の目的地として日本を積極的にPRすることで、日本だけでなく世界のマーケットでも評価されるJALを目指したいと思います。

 

まだ、ハワイビギナー。いろいろなハワイを楽しみたいです

 

くろだ・ひろし

◎1966年生まれ。神奈川県出身。東京大学工学部を卒業後、1989年に日本航空株式会社に入社。大阪国際空港国際旅客部、経理部、国内営業部、マイレージセンター、商品開発部、成田国際空港旅客業務部を経て、直近は商品サービス企画本部業務部。2018年5月よりハワイに着任した。

(2018年6月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年6月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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